丸竹夷は私も大好きな数え唄です。東西の通りの名前を北から南へと唄ってるので、京の都の通り名を覚えるのに便利ですね。南北の通りを唄う寺御幸(てらごこう)とともに重宝します。
さて、最後のフレーズに出てくる『とどめさす』の意味ですが、文法的には〔とどめ+さす〕になると思います。「とどめ」は下二段活用動詞「とどむ」の連用形で、「やめる、中止する」という意味があります。平安後期の歴史物語である大鏡にも、
これは皆人に知ろしめたることなれば 事も長し とどめ侍りなむ
というように使われています。「このことはみんなに知れ渡っているし、ずいぶん前から続いていることなので、この辺りで終わりにすることにしましょう」という意味です。「さす」は助詞で、使役の意味がありますが、ここでは「とどめ」を強調しているくらいに解するのが妥当でしょう。つまり、「とどめさす」は「終わりです」とか「お仕舞いです」ということですね。数え唄なので「九条東寺でお~しまい♪」くらいがよいでしょう。
ところで、丸竹夷には派生バージョンが幾つかあります。NHKの番組で「九条 東寺でとどめさす」となっているのであれば、おそらくそれは派生バージョンでしょう。というのも、京都で昔から語り継がれている唄の最後の方は、
八条 こえれば 東寺道
九条大路で とどめさす
だからです。
東西の通りを北から南へ数えていくのですから、普通であれば真っ直ぐ南に向かうのが普通です。八条通りの南は東寺通り、その先に九条大路があります。河原町通りや堀川通りを南下すれば、この順番で数えることができます。ところが、「九条 東寺でとどめさす」となると、最後は東寺にぶつからなければなりません。これを満たす南北の通りとなると、大宮通りでしょう。昔はJRがなかったので壬生通りも考えられますが、これは北上すると後院通りにぶつかってしまい、通りを数える上では適当でないと思われます。それで大宮通りなのですが、これも北上すると二条城にぶつかってしまい、それより北にある通り(丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路)を数えるには、堀川通りを南下して途中で大宮通に入るという面倒くさいルートを取らなければなりません。そういうわけで、最後のフレーズは「九条大路で とどめさす」が妥当だと考えるのです。
この他にも「十条大路でとどめさす」というのもありますが、十条通りは戦後にできた通りなので、比較的新しいバージョンであることが判ります。失礼ですが、質問者さんは想像力豊かで好奇心旺盛のようですので、京都市内地図を見ながらいろいろ調べてみると、思わぬことが判って面白いかもしれませんね。
お礼
丁寧に教えていただいてありがとうございます。 「とどめさす」というフレーズで、公儀の隠密かなにかが誰かの「とどめをさした」のかと勝手に想像してました(笑) 「とおりゃんせ」がそのような意味があったような気がしてましたので… でもこれですっきりしました。重ねてありがとうございました。 京都の地図で遊んでみますね。