一つの分岐点がロンドン条約調印時の「統帥権干犯問題」です。
このとき野党の政友会を指揮していた犬養毅は「海軍軍令部の承認無く結ばれた軍縮条約は統帥権の干犯」だという論理で政府を攻撃しました。
しかし元々「統帥権」について憲法学者はもちろん軍の多数派ですら「統帥権は純粋な作戦面におけるもの」(例えるならプロ野球において「オーナーでも監督の試合中の采配に口出しできない」のと同じようなもので、近代国家なら特に変わったものではありません)との認識だったのであり、これは明らかな拡大解釈でした。
もともと犬養自身も軍縮条約には賛成の立場であったにも関わらず、ただ目先の議会内の主導権争いの為に憲法解釈を歪めるという大失策の為に、これ以降議会内で軍の行動に異を唱えると「統帥権の干犯だ」と揚げ足を取られる事になり、議会は軍に対するチェック機能を自ら放棄してしまいました。
そしてその拡大解釈された「統帥権の独立」を盾に行われた満州事変では、政府はもちろん軍中央の意向を無視して占領地を拡大しても、マスコミや世論の後押しの為にそれが追認されてしまい、これ以降「政府や軍中央を無視しても戦果を挙げれば認められる」という「下克上」の風潮が生まれてしまいます。
なお「軍部が政治の主導権を握った」とはよく言われますが、実際には陸海軍はもちろんそれぞれの軍内部でも派閥抗争がいろいろあって一枚岩とは言い難い状況であり、むしろ誰も主導権を握らないままズルズルと現地軍の暴走とマスコミ・世論の支持に引きずられていったと言った方が正しかろうと思います。
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