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「人と話すときは“目”を見ろ!」……なぜ?
「人と話すときは目を見る」のは常識ですが…… なぜ“目”を見るのでしょうか? 相手が喋るときはふつう“口”が動くので、 目よりも口か、“(相手の)顔全体”を見て話した方がいいようにも思うのですが……? 学校でもそこまで詳しくは習わなかったので、理由がよくわかりません。 回答よろしくお願いします――
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noname#84191
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補足
詳しい説明ありがとうございます。 ※こちらは質問している側なので偉そうなことは言えないため、若干遠まわしな表現をしています。 そのため、nisekantさんのおっしゃることを直接的な「補足」ではなく、こちらで理解してまとめたような形で書き込んでいます。 >「我々は体感によって、そのもの有用を知るのであって、必ずしも言葉による説明を必要としない」 >我々は、行為をするようにつくられているのであって、知るためにはつくられていないといえるでしょう。ひとつひとつの行為に説明が必要であるのならば、あまりにコストが高すぎます。 大げさに言えば、「ヒトの『知能』は、ものを奥深くまで理解してくるためについてくる、“おまけ”のようなものであり、筋肉を使って体を動かし、『体で知る』ことが本来の“生物としてのヒトの生き方”である」……でしょうか? 質問しているこちらから例えるのはおかしな話かもしれませんが―― ヒトの先祖が誕生した最初期から、「どれなら食べれるか?」、「どれなら物として使えるか?」……を、nisekantさんがおっしゃるように、「体で体感して学んできた」…… ――無論、まだ言葉なんてない時代から、上記のようなことが次の世代へ、次の世代へ……と引き継がれていき、“今”が存在している…… 「言葉」は今のヒトにとっては、必要なものかもしれない…… ――だがしかし、それはあくまでもそれを作り出してきた大昔のヒトの先祖が編み出したものを、その後の世代がそれの新たな使い方(ヒト同士で対話をとること)を(悪い言い方をすれば)“勝手に考えてきた”のであって、言葉は生きるために必ずしも(どこまでも)必要なものとは言えない…… 前述で、「言葉は必要ないものだ」と言ってるようですが、逆に言えば、「言葉がなくては生きていけない」ようでは、ヒト以外の生物(特に動物)は、生きていくことはできないはずなので。 例えば昆虫の一部は、ヒトのようにプロポーズという形をとらずに、鳴き声などでメスを誘い出す…… あくまでもここでの例えの「プロポーズ」という形での異性との付き合いは、ヒトが勝手に考えだしたものである…… ――まとめれば、ヒトを含むすべての生物が共通してあらゆることを“知っていく手段”……それこそが「体感」なのですね。 そのため、「言葉を重要視しても仕方がない……」