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外と内
人間(日本の場合)が夫婦や小集団をつくり、外界との境となるものを作り、火を囲み、同じ鍋・釜を囲む生活をするに到ったのは縄文でしょうか、弥生でしょうか。 そういう生活がされてきた、前と後においては、人の意識や生活の仕方はどのような相違があるものでしょうか? そいうことについて、想像や推量などで結構なので、どうかお話いたでけないでしょうか? どんなことでも結構です。神話や伝説、民話などにそのちょいとした、伺えるものがあるとこれはまた嬉しいのですが。 どうかよろしくお願い申しあげます。
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想像するだけで楽しくなります。 「外界との境となるものを作り、火を囲み、同じ鍋・釜を囲む生活」ということですね。 鍋・釜を土器と考えた場合は、いつ頃、土器が作られるようになったのか、という問題ですね。 あるいは、土器と煮炊きはセットですから、煮炊きをするようになったのはいつ頃か、ということにもなります。 縄文土器より古い土器が発見されたということですから、石器時代の終わり頃に「火を囲み、同じ鍋・釜を囲む生活」が始まったと考えてよいのではないでしょうか。 「函館市史」日本の先土器文化 http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_02-02/shishi_02-02-01-01-01.htm 次に、「外界との境となるものを作り」ということを、洞窟・洞穴を住みよいように工夫したと考えれば縄文時代以前であり、竪穴住居を作ったとすれば、縄文時代からでしょうね。 そんなことより「人の意識や生活の仕方」を想像する方が楽しいですね。 土器で煮炊きできるようになると、食べられる動植物の種類が一気に増えて、食生活が豊かになります。 煮炊きしたものを常に火の側に置いておくと保存がききますから、食料確保のために働く時間が少しは減って、より遠くへ出かけることができるようになります。 やがて、海の民は山へ、山の民は海へ、遠くのムラとの交易が始まります。 交易は、相手に喜ばれるモノでなければなりませんから、モノ作りに熱心になります。 北海道産の黒曜石や新潟産のヒスイなどが、青森三内丸山の地に運ばれています。 熱海大越遺跡からは、伊豆諸島・神津島や長野県産の黒曜石が見つかっています。 泊りがけで出かけられるようになったのは、どこででも、煮炊きできる自信があればこそできることです。 通婚圏も広がったでしょう。 もしかすると、友だちができて「友情」という観念が生まれたのかもしれません。 同じムラでは、全員が同族で、全体の規律が優先となり、相互扶助が当たり前ですから、友だちのために何かをするという観念が生まれませんね。 そこで、結論ですが、時間的に多少の余裕は生まれたが、「人の意識や生活の仕方」に大きな変化はなかったと思います。 それは、縄文時代は約一万年ほど続いたのに、目ぼしい文化はこれといってありませんね。 世界の古代文明が、軽度の乾燥地で牧畜・農耕に適した地域に発生していることから考えて、 縄文時代が一万年ほど続いたのは、日本が湿潤で、疫病に弱い古代人が生きる適地でなかったからだと思っています。 だから、縄文人は生きるのに精一杯で、小集団(ムラ)ごとに助け合って、生活していたのでしょう。 しかし、他のムラへ侵出して、戦闘することなどはなかったような気がします。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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NO3.です。 >>自分という単位、或いは、夫婦や家族のような小単位(民の家に煮炊きの煙がたったかどうかを眺めたという原初の国家もいまなら、谷川か、川などの周辺を中心にした600戸くらいの国でしたろうか?)共同生活というものの開始により、心身そして、家とか、境界・胸壁のような物理的な隔てができた。 仰せの通りですね。 でも、自分自身を振り返ってみても、 まず、母の愛(母乳)などで母とのつながりが始まる。 そして、父という存在や祖父、祖母、兄弟といった存在が自分の中に「家族」としてはぐくまれていく。 やがて、近所の人たちや近所の子どもたちとの協調性、さらには、その中での「集団行動」というものが頭の中へ「自然と」入り込んでいく。 さらには、幼稚園、小中高大学と人との付き合い、と、言うよりも自分の「社会的視野」が広がる。 そうした中では、力関係の強弱も理解し、今度は「社会」という広い範囲へと移っていく。また、日本だけではなく「世界」に羽ばたく人たちも多くなる。 そして、当然のように、「好きな人」「嫌いな人」などという、色分けをして、自分自身を「守る?」バリアができていく。 それは「外的」であったり「内的」であったり。 こうした「知識」の広がりを、ある意味では、人間の「文明の発達」に置き換えているところが、「太古」を探る「基本」になっているのかもしれませんね。 現代は、「国連」などという「世界全体」というよりも「地球規模」での「統一制」を重んずるようにもなってきていますが、まだまだ、人間の考え方が「10人10色」で、中々難しいこともいっぱいありますよね。 中世ヨーロッパで広く行われた「City Wall」は、今でもイギリスなどには残っていますし(ただし、観光のためだけ)、北朝鮮と韓国との境界線。そして、近年に崩壊された「ベルリンり壁」。 集団が団結するためには、また、その集団を守るためには欠かせなかったものかもしれませんね。 >>同じ火を囲む、なべ釜を囲む。それと外の世界と人、存在。 それはエゴという意識の呼び起こしと、歩みの最初として考えられないか、という思いから、皆様のお知識・学殖からの示唆やヒント、お教えを賜りたい、ということでした。 つい最近、麻生首相がホテルで飲食をしている。庶民感覚とはずれている・・・などと報道されましたが・・・。あなたは、どのように受け止められたでしょうか? 確かに、ホームレスあり、ニートあり、会社でも人件費の安い派遣を使い、日々の「米」にも事欠く人もいれば、○○姉妹のように、「アムール貝が食べたくなった」と言って、すぐに、飛行機でフランスなどへ行く人あり・・・。 私は一応「作家」ですが、これとした「ヒット」もなく、かろうじて、講演会の依頼や、最終的には「ゴーストライター」もする。 やはり、「エゴ」と言われようと自分の家族(家庭)を守るためには、極端に言えば、お隣さんが「裕福」であろうと「貧乏」であろうと、関係無い、と、言うよりも、向こうも干渉されたくない。 ですから、マンションなどでも隣に誰が住んでいるかも分からないし、知ろうともしない。 私が約35年前、今住んでいる団地の一戸建てを買った時、当時は40軒位でしたので、皆が集まってのバーベキュー大会とかカラオケ大会等々が開催され結束力がありました。しかし、時の流れとともに団地も250棟あまりになり、自治会ができ、盆踊りなども開かれますが、知らない顔ぶれがずらり・・・。結束力は、あるようで、無い。 そうそう、こんなことがありました。 もう、10年前位に、家内が「急性食中毒」で夜中に七転八倒。団地にピーポーピーポーと救急車が入って、私の家に横付けになりました。当然、近所の人たちが飛び出して来ました。その頃、息子が2~3歳でしたが、私が救急隊員と話している間に、35年あまり前一緒にバーベキューなどをしたことのある、1人おばさんが、すばやく息子を抱きかかえ、 「息子さんは、私が見ていてやる、急いで病院に行きなさい」 と、言ってくれました。 後から入居した他の人たちは、ただの「ヤジ馬」。人と人との「信頼関係?」は、どこで生まれ、どこで役立つのか・・・考えさせられたことがありました。 とりとめの話でごめんなさい。
お礼
続き、ありがとう御座います ≪つい最近、麻生首相がホテルで飲食をしている。庶民感覚とはずれている・・・などと報道されましたが・・・。あなたは、どのように受け止められたでしょうか?≫ この世はまことに多様と相違で出来ていますし、基本は相似であると存じております。 ≪麻生氏ですか≫。彼ってあまり知りませんが、私も長い勤務では多少似たようなこともありまして、でも接待する側もされる側も、実はあまり幸せなどは思ってはおりませんでした。義務ですからね。 家でぬかみそといわしの丸干し、大根も味噌汁。そして家庭。 それができないのですよ。 つらいことですが、お互いににこにこしておりました。つくりですね。だってしことですからね、神経はお互いに張りつめています。 無論武士同士というわけではないが、ゆるむことはできません。 足をすくうことがなくても。 ≪麻生氏の場合≫がどうかは存じませんが。 そんな兄弟がいるというのも、何か気の毒に思えてきます。 ちゃんと落ち着いて、自分を生きることにどりょくすればいいのにと。いろんなことを、可能だからということで敢えてやっている方。 それって充足できているのでしょうかね。 ここは普通の、団地ではないところでして、、普段余りことばを交わさない、ご近所さんが増えました。 そういうことで、歴史作家のbungetsuの団地でのご経験と同じ現象を経験することになると存じます。子供もみな30過ぎではありますが。 淋しくもあり、気軽でもありますが、意外とそれがまたいろいろ手を出してくれる人もいたりします、無論限界付きですが。 これから人間の生活と意識ってどうなるのでしょうか。 ありがとう御座いました。
補足
再度のご回答、ありがとう御座いました。歴史小説作家のbungetsuのお姿がちらりと見えて、とても人生を暖かいものにしてくれております。 戦後の進駐軍の強い方針とマスコミで模範的な民主主義教育を、学芸大新卒先生から薫陶を受け、大事に模範的に育ち、一定の組織で60年安保の活動をしてきている私。世代は10年も違うかの幕僚長さんと同じに、今は敢えて、敗戦ということばを使っています。終戦ではない。 46年もいた大学勤務時代では旅行や一週間そこらの出張では国内も歩きましたが、70年東京の隅田川、いわゆる江戸びとの大川ですね、ここの流域から少しもでていない。浅草、千住、向島、そして川を越えた金町柴又を境界にした辺りしかしらない。いろは四十八組の彫り物、彫り師、路地の三味線、鳥追いのおばさん。そんななかの成育です。 そういう中では、比較的他を排する自分を大事にしなくても、そのほうが、生きていられました。 でも最近はそうもいかないことも多くなっているようです。 確かに私などはもぅ古いですから、扱いはいたわられては居ますが。 そういう中での感想や、昔から西洋哲学や西洋思想歴史をしていて、50年くらいまえから中国やヒンドゥのこと(性格性はまことに異質同士なのですが)にのめり込み、そういう中での、エゴのことを思うと、そういう境界の始まりって、火を囲む共同生活、家という造作、などに端を発しているのではないかな、と思った次第です。 ありがとうございました。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 とは言っても「太古の歴史」ではありません。 でも、古代を見聞きするのも、とても面白いかも・・・。 マンガで「始め人間・ギャートルズ」という本があります。 夫婦と子供が洞窟を住みかとして、男たちは「マンモス」を倒して「食料」とする。家族で「火」を囲み、マンモスの肉を焼いて食べる。 さて、人類の誕生は約300万年前と言われていますが、二足歩行を「人類の誕生」としているようですが、チンパンジーなどの猿類も二足歩行をする動物は、結構いますよね。 やがて、約60万年前くらいには、大陸から日本列島に人類が移動して住むようになり、約20万年前に、日本列島が現在のようになった。 そして、約3万年前頃より、石斧(いしおの)や握手型(あくてがた)ナイフのような物が使われるようになった、と言われています。 こうした「道具」を使い始めた、ということは、木の実を割ったりするための知恵の発達からでしょうね。 このあたりまでを「旧石器時代」と総称しているようです。 そして、「縄文時代」に入り、現在、定説となっているのは、 (1)約12,000年前に「縄文土器」が作られ始めた。 (2)約10,000年前より「竪穴式住居」に住むようになった。 と、いわれていますが、 (1)土器が作られ始めた、と、いうことは、この頃には「火」が使われ始めたことも意味すると考えられます。 始めは、火山の噴火などで、「火の存在」を恐れていたものが、次第に、「煮炊きする」ことでの「調理」という概念が生まれたものなのでしょう。火山の噴火や山火事での「火」を持ってきて、その「火種」を絶やさずに大切に受け継いでいったことが想像されます。 ただし、先の方々が言われるように、「先土器」なども発見されており、土器が縄文時代に入ってから・・・と言う「定説」も覆されるかもしれませんね。 (2)やがて、自然の洞窟などを利用しての住居から、「家を建てる」という時代になりました。これには、動植物を得るために「行動範囲」が広まったことと関係あるのではないでしょうか。 そして、野生動物を倒すためには、「矢じり」なども考え出されたと思います。 人類が生きていくうえで、「子孫を残す」または、老いた自分を「養ってもらう」ためには、男女の結びつきは「本能」と言われていますね。 「家族」という「単位」は、人間だけではなく、色々な動物にも存在するようですね。 そして、「集団」という感覚も、やはり、人類以外でもみられますね。 やはり、「家族」や「集団」は、あなたのおっしゃるように、「火を囲み」「同じ鍋」を囲むような「楽しい生活」だったと思います。そして、肉を焼いたり煮たり、自然の野草なども「おいしく」食べられるようになり、「生活」は、大きく改善していった、と考えられます。 「集団」ができると、当然、力関係が生じます。強い者が「集団」を取り仕切るようになり、自分たちだけの集団を守る。 そこには、やはり、他の集団との「諍(いさか)い」も出てくるでしょうから、「武器」の発達にもつながっていったのではないでしょうか。 そして、「集団」を守るために「柵」を造ったり、「溝」掘ったりしての「境界線」という意識にもつながっていったことでしょう。 さらには、「稲」の栽培なども始まり、集団は「水」の便が良い河川を中心として広がっていった。 ある人の学説によると、人類が「火」を使い始めたことから、「自然破壊」や「環境破壊」が始まった・・・と言う、「大胆な仮説」を唱える人もいるようです。 >>神話や伝説、民話などにそのちょいとした、伺えるものがあるとこれはまた嬉しいのですが。 (1)かぐや姫は宇宙人だった。 誰しも「想像」できることですが、2008年10月14日のTV東京「日本史ミステリー」で、静岡県富士市では、市役所の職員でさえ、それを信じている。実際に、「比奈(ひな)地区」には「赫夜姫(かぐやひめ)」という地名があり、竹採公園というものがあり、「竹採塚」まである。さらには、竹取の「お爺さん」「お婆さん」の子孫と名乗る方も出演していました。 そして、「皇国地誌(こうこくちし)」・・・これは、明治政府が各県ごとにまとめさせた、各地に伝わる「伝説」「伝承」をまとめたものですが、その中に、 「かぐや姫は、3ケ月で成人の女性になり、国司ががそれを聞き、無理やり一緒に暮らし始めた。数年後、かぐや姫は空飛ぶ車で富士山に帰って行った。悲しんだ国司はかぐや姫の後を追い富士山に登ると、かぐや姫が現れた。しかし、その姿は人間ではなかった」 と、記されています。 (2)沖縄の海の海底ピラミッド。 沖縄の「北谷(ちゃたん)」の海岸から200m位沖に存在が発見された「階段状ピラミッド」。南北600m、東西200mにも達する。そして、現在のビルにすると5階建(15m前後)に相当する人工的に削られた岩の「階段状ピラミッド」。エジプトでも、紀元前2650年頃に「階段状ピラミッド」が造られ、今も現存するが、北谷のピラミッドも放射性炭素年代測定で、2500~1500年前位に造られたとか。 そして、中国の「淮南子(じゅんなんし)」という書物と「粱書(りょうしょ)」という書物(それぞれ2000年前位に書かれた書物)に「扶桑国(ふそうこく)」・・・扶桑とは、ハイビスカスだという、つまり、ハイビスカスの咲き乱れる国・・・として登場し「独自の文字」を持っていた、と書かれています。その石版も出土したとか。 我々が授業で教わったのは、せいぜい1000年前位から・・・。 2500~1500年前に、すでに、王国が造られ、文字を持っていた人々は、一体どのような人々なのか。 なぜ、その文明は途絶えてしまったのか。 なぜ、その王国?は、海底に沈んでしまったのか。・・・地殻変動? (3)桃太郎伝説。 桃太郎は鬼ゲ島で「鬼」を退治した。「鬼」は実在した。 これは、おそらく「蝦夷(えぞ)地」の「アイヌ」または「ロシア人」を指したものと考えます。 まあ、ここへ投書して、色々な「ロマン」に馳せるのも楽しいものですね。
お礼
「歴史作家」さん、ありがとう御座います。 皆様のお教えを賜れますようにと、ここに投書させていただきましたのは、自分という単位、或いは、夫婦や家族のような小単位(民の家に煮炊きの煙がたったかどうかを眺めたという原初の国家もいまなら、谷川か、川などの周辺を中心にした600戸くらいの国でしたろうか?)共同生活というものの開始により、心身そして、家とか、境界・胸壁のような物理的な隔てができた。 そしてそれは区分・差別(穢多・非人というのでなく、内外の)という意識と生活につながった。 同じ火を囲む、なべ釜を囲む。それと外の世界と人、存在。 それはエゴという意識の呼び起こしと、歩みの最初として考えられないか、という思いから、皆様のお知識・学殖からの示唆やヒント、お教えを賜りたい、ということでした。 この度も、いろいろに該博な学殖からの、お話はとてもすばらしいものです。 曽っては頂点の技術や文化、精神的ありようを極めた歴史があって、姿を消してしまったが神話や伝説ではたくさんあることは仰せのとおりですね。 確認できないからと、それらに冷淡に対応することはあまり成熟していない仕方だとは存じます。見分けがつかないので、何でも偽書だとか捏造だというのも軽率ではないかと存じます。 そういうことで今回のご回答にとても感謝申し上げます。 ただ火を囲み、壁を作ったことがエゴの喚起と歩みの開始とはなっていないかな、ということについても少し、お話、お教え賜るととてもありがたいと存じます。 いつもながら、すばらしい回答に深甚に感謝申し上げます。どうもありがとう御座いました。
- caesar-x2
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明らかに、縄文よりも前です。先土器ないし旧石器時代。 先土器時代に住居跡が残ってます。 上場住居跡、休場遺跡の炉跡など。1万4千年ぐらい前の遺構ですよ。 人間の意識の変化について、当然!、不明です。 生活の違いは、明らかですね。 先土器・旧石器というのは先史時代ですから、 神話も伝説も民話も、文字情報はいっさい全く残ってません。
お礼
早速にありがとう御座います。 縄文より前ですか。う~ん。住居は。確かに鳥類も動物たちも巣はつくりますものね。 でも人間の住居っていうのは、そういうのとは異った、機能と構造であったのでしょうね。 【神話も伝説も民話も、文字情報はいっさい全く残ってません。】 はぁ、在りませんでしたでしょうからね。でもその状況を伝える何かが、神話も伝説も民話もにも影響したり、残っていたりはしないでしょうかね。 もちろん想像や空想なんですけれども、間接に波動でしたでしょうね。 早速にありがとう御座いました。同かよろしくお願い申しあげます。
補足
ANo.1さんのこの欄をお借りして、お三方みなさまに心よりお礼申し上げます。 どうもありがとう御座いました。
お礼
goo-par1732さん、なんとグー・パーさんで開いているのでしょうかね。 ありがとう御座います。 そういえば煮炊きは吉見の百穴のようなところでは排煙が難しいかもしれませんね。だから横穴の穴居を出てきたのと時を同じくしたのが煮炊きの開始かもしれませんね。 食材の種類が増え、保存や時間の余裕もでてきた。ここにいわゆる未来時間を考える広がりも出てきたのですね。 そして人の役に立つものを造ったり、そういう生活もするようになった。う~んすごいことですね。 そして集団や規律も出てくる。何か当為や当為的考えというものの原初なのでしょうかね。 お互いの認識もそして同じと違うという観念もでてくるのでしょうね。楽しいですね。 湿潤な日本は、生物というもの、側面では生活しやすいけれども、これはまた、疾病の温床でも在るかもしれませんね。 長く続いたけれども、「人の意識や生活の仕方」に大きな変化はなかったのですか。 機械や物質の大それた変化より、微小、微妙な変化って、人間的ではないでしょうか。 ありがとう御座います。
補足
ありがとう御座いました。 お礼のところの継続です。この質問では、すばらしいご回答の内容や方向は実は予測しておりませんでした。 寧ろ他と自分、或いは自分を含む伴侶が中側であり、外との区別、そういうエゴ的な意識の、生活の芽生えみたいなものはこの辺にあるのかなという想像を致しまして、単にヒンドゥの哲学を勉強・精進しているだけの素人ですが、お教えを請いた次第です。 思いもかけないたくさんの、明るいことの詰まったご回答に心より感謝申し上げます。