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三国志。

三国志って、どんなストーリーですか?

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  • michan555
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回答No.1

中国の漢時代の末期の話で西暦200年ぐらいです 漢の皇帝に力が無くなって悪い役人が好き勝手やってたので 地方に有力者がたくさん現れてめちゃくちゃやってました そんなときに高級役人の血筋の曹操という男が そういう地方にいる有力者を倒してのし上がってくストーリーです  まあ警察のボスですね それとは別に漢の血を引くのが劉備という男で農民にまぎれて暮らしていました そこに偶然知り合った関羽と張飛という二人の男と義兄弟の契りを結びます 関羽と張飛はめちゃくちゃ強いので二人を用心棒に これまた、のし上っていきます この劉備と曹操が三国志のなかの2つの国のボスです もう一つは孫権というのが脇役的な感じで居ます もともとある地方の有力者で 劉備と曹操が居ないエリアに住んでいたので その地域をまとめ上げて三国のうちの1国のボスになります。 長い間戦うので曹操の子供や劉備の子供の世代になっても戦います 最終的に、三国とも滅亡します なんと、曹操の創った国に居た部下が国を乗っ取って 三国とも滅ぼして統一してしまうのです だれが勝者というわけでもなく正義というわけでもないので いろんな見方ができて、いつまでも人気があります

noname#146254
質問者

お礼

ありがとうございます。 皆様のお話、参考になります!!

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  • phantom1
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回答No.3

冒頭の後漢王朝衰退の経緯が相当端折られた説明がされていますね。 まず、後漢という王朝がありまして、この王朝の皇帝が若死にする家系(遺伝的にそうだったみたいです)で、皇帝の側近や皇后の一族などが宮廷で力を持ちやすい体質だったのです。権力中枢がこんな状態ですから、末期は内部抗争がひどい状態で、三国志のストーリー初期では、これがいよいよ収拾が付かないほどになっていました。こうなると、地方行政も乱れて重税が横行するようになり、ついに大規模な民衆反乱が起きます。これが、黄巾の乱です。反乱軍の同志が黄色い布を身に付けていたので、こう呼ばれています。朝廷側では、これを鎮圧したいのですが、もはや朝廷自体が大軍を送り出す力がありません。そこで、各地方の有力者(諸侯)に手弁当の軍隊を出してもらって、その連合軍で黄巾賊を討伐するのですが、この事で軍事力を持った地方の豪族たちが、黄巾賊がいなくなった後に自分の地盤で割拠し、自立するようになります。宮廷内部でも、軍事力を背景に董卓と言う男が宮廷を牛耳り、幼い皇帝を傀儡にして中央の政治を私物化します。この董卓の振る舞いに怒った地方の諸侯が、またも連合して、今度は董卓を倒します。こうなってしまうと、もう皇帝の権威も何も無くなってしまうのですが、その混乱状態から、最終的に頭一つ抜きん出て来た者が曹操、劉備、孫権の三人だった、と言う事です。

noname#146254
質問者

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  • cobamax
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回答No.2

一口にいうのは、難しいですがNO1の方が簡潔にお答えになって いるとおりですので、三国志に出てくる逸話から 1 天下三分の計 蜀の劉備が軍師孔明より伝授された兵法、国を魏          蜀 呉の 3分割する方法、小泉首相もおなじよう         なことを言っていたような 2 三顧の礼   劉備が孔明に軍師を3回も依頼に行ったことから          「目上の人が礼をつくして仕事を頼むこと」の意味          になりました 3.赤壁の戦い  長江での船による戦いで少数の呉の孫権軍が多数          の魏の曹操軍を火船の奇襲により奇跡的に破った          有名な戦い 4 桃園の誓い  劉備 張飛 閑羽が桃園で義兄弟の誓いをたて          大酒に酔いつぶれた 5 関羽     その中の関羽は後に商売の神様としてあがめられ日         本では横浜 中華街の裏通りに関帝廟として祭られ         ています、 この三人(劉備 曹操 孫権)が天下を取ることはなかったが、魏の曹操なきあと司馬炎によりこの地区は統一され晋王朝が設立された、以後戦乱の後、隋 唐とつずいて行きます、それぞれはネットに詳しく でていますよ、

noname#146254
質問者

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