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スピノザ、エチカ「自殺について」
ちょっとしたギモンなのですが。 「自殺者は無力な精神の持主であり、自己の本性に抗う外部要因の前で屈服競る人である(四部定理十八備考第三)」とありますが、生きる欲求もある人が、にわかに死の世界に興味を持ってする自殺(死んだらどうなるのだろう、ちょっと死んでみようといった風変わりの刹那主義の方もいそうです)の場合はこの定理は当てはまらないように思うのですが。どうしてスピノザはこのような考え方をしたのでしょうか。 よろしくおねがいします。
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noname#70164
回答No.1
スピノザはキリスト教の検知から著述しています。 キリスト教では自殺それ自体が悪であり、たとえ窮地に陥ったとしても、それは主が与えた試練である、と考えるべきだ、と説いていました。 当然、死んだらどうなる等と云った考えはキリスト教では受け入れられず、弱い精神に悪魔がつけ込んだ、とされました。 当時は、自殺者は墓地に入れられず、山や野原に追放されるように葬られました。 スピノザはそう云った当時の常識から著していたので、自殺者の心理に対する考えが現代より浅かったことは否めません。 しかし、エチカ全体の思考はかなり現代でも通用します。
お礼
「なるほど」のご意見ありがとうございます。