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人生の本当の辛さ、寂しさとは

私のような多くの若造が、年配者に「本当の人生の辛さ、寂しさを解っていない」なんて たしなめられることがあったと思います。 では、その「本当の人生の辛さ、寂しさ」とは、どんなものなんでしょうか? どのような辛さ、寂しさが本当の辛さ、寂しさでしょうか? それらを理解するようになるには、どのようにしたら理解できるようになるのでしょうか? 非常に抽象的な質問ですが、宜しくお願いします。

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回答No.4

 多感で柔らかな時代のときにもそれなりに「本当の人生の辛さ、寂しさ」です。  まぁ未熟で勝手、自分中心に考え見ている、試練が不十分である。ということから、「本当の人生の辛さ、寂しさを解っていない」などともいいますが、私(古希をもう直ぐ終わります)は小・中と経た、つらいあしらいは今も、記憶に鮮やかです。    仰せの「本当の人生の辛さ、寂しさを解っていない」は、時に大人になりきれない、大人の時に吐く独りよがりの科白ですが、感心しません。当たり前ですし。  人生をきちんと生きてくれば、あまりそういう状況に追い遣られることはありえないことでもあり、身から出た錆をりかいできないのでしょう。  「本当の人生の辛さ、寂しさを解っていない」とは、他人がそういう状況で居ることを本当に親身になって、同じ思いをして感じますが。  伴侶との生別、死別とか。  人にがっかりして、「本当の人生の辛さ、寂しさ」をいうのは甘いですね。そして独りよがりですね。自業自得ですね。

Ivane
質問者

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こんばんは。 無知、未経験がもたらす身勝手な考え、押さえどころの無い心の葛藤。例外なく私にも経験があります。 そして今、それらのカタルシスからようやく抜けようとしている時かもしれません。 先日、「庭の千草」の原詩(The last rose of summer)を読みました。 夏に咲き誇りたるバラの花、深秋いよいよ最後の一輪のみ取り残される。 汝の如き我の身上、友は去り、伴侶との愛も失われた今、我は何故一人で生きられよう・・・そういう歌でした。 私はこの歌に共感がもてます。そしていつか私もそうなるのだと。 だから今の内に学ぶ事は学び、しておくべきことはしておきたいと思っています。 話は一転しますが、武勇伝とも言える苦労話は将にkray1998さんのおっしゃられる通りだと思いました。 「道を踏み外した」とか「大金を浪費した」とか。 でもそれは往々にして未然に防ぐことが出来た、或いは自分の理性がしっかりしていればしなくてもよい苦労、 身から出た錆じゃないのだろうか・・・。 krya1998さんのアドバイスありがとうございました。

その他の回答 (10)

noname#228148
noname#228148
回答No.11

私は30歳ですが、これから年上の人々がどんどんこの世を去るようになり尊敬する人を見出すのが難しくなっていくのではないかと思っています。 年下の人からも学べるようになりたいですね。

Ivane
質問者

お礼

riku_mioさんこんばんは。 私と同じ世代ですね。一昨年の今頃、私の理解者だった方が亡くなりました。 その方は政治家だったので、私が幼い頃は山師のオジさんにしか見えませんでしたが、 私が成人して、ある程度視野が広がって物の分別が付くようになってからは 物事の高度な判断が出来るすばらしい方に見えるようになってきました。 確かに私もriku_mioさんと同じように、尊敬できる人間がなかなか見つかりません。 日本人に人物と言える人間が居なくなったのも確かですが、 私の場合、自分の価値観だけでなく、より多様な社会の価値観を受け入れて、 新しい価値観で人を見れるようになれば、今までと違うタイプの尊敬できる人が 見つかるのではないかと思っています。 お互いにがんばりましょうね。ご回答有難うございました。

noname#69232
noname#69232
回答No.10

>では、その「本当の人生の辛さ、寂しさ」とは、どんなものなんでしょうか? No.1さんに通じますが… 古代シュメール人の書き残した『ギルガメシュ叙事詩』 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』 ――太古の人も近代の人も、たった一人の友を、掛け替えのない親友を失った悲しみを嘆きました。 遠く時代が離れていても、遠い異国であっても人類の悲しみは共通なのではないでしょうか。 どんなに富や名声があっても、たった一人の友“エンキドゥ”に出会えるまでは暴君で思いやりの欠片もなかった若き王、ギルガメシュ。 貧しくて、同級生達にからかわれながらも、お父さんの帰りをひたすら待っていた少年、ジョバンニ。 そんな彼の心を支えたのが親友“カムパネルラ” 同じ目線で同じ時を生きた掛け替えのない人を失うことは、地獄のように苦しいのだと思います。 何者をも恐れず、怪物だけでなく神さえも敵に回したギルガメシュ。 そんな彼も唯一人の友エンキドゥを亡くして、死に取り憑かれたように永遠の命を求める旅に出ます。 ギルガメシュもジョバンニも、ずっと友と一緒に生きていくと思っていたのに、突如として永遠の別れが訪れたのです。 俳優の森繁 久彌さんも、言語学者の故 金田一京助さんも 「長生きして寂しいのは、友達が次々去っていってしまうことだ。」 と仰ってます。富や名声は努力で付いてくることがあっても、去りゆく人の命は繋ぎ止めることは出来ないし、同じ時代を共有する人が去っていくのは、自分を失っていく感覚なのかも知れないと思います。 長寿の双子のお婆さんで有名だった蟹江ぎんさんも、姉のきんさんが亡くなった時は「あの人は親のような人でね…」と仰っていたので、報道を見ていてとても悲痛に感じたのを覚えています。両親よりも伴侶よりも、子供よりも、友人達よりも長い道のりを共に歩んできた人。 「同じ時代を同じ目線で見てきた人が、ある日突然いなくなる…。」 共感し合えた人が自分を置き去りにして去っていってしまう。 ――考えただけで恐ろしいです。 どんなに辛く、悲しいことがあろうとも同じ景色を見て語れる人がいれば、苦しみも悲しみも分け合うことが出来るでしょう。勇気づけられることでしょう。 同じ空間を共有出来る人がいないのは、まるで自分が異邦人になってしまったように辛いのではないでしょうか。 >それらを理解するようになるには、どのようにしたら理解できるようになるのでしょうか? ここまで、自分が思う「本当の辛さ、寂しさ」を書きましたが、感じ方は人それぞれ違うのでしょう。でも、それまで当たり前のようにあった日常が、ずっと続くと思っていたものが突然崩れ去ると、初めて人は自分が幸せだったと気付くそうです。そんな当たり前の日常を、奪われた人達の声に耳を傾けるようにすると共感出来るのだと思います。 地獄のような苦しみを、夜の砂漠を一人彷徨うような寂しさを、我が身で味わったときやっと理解出来るのではないでしょうか

Ivane
質問者

お礼

こんばんはsupunereraさん。 お礼遅くなりました(反省)。 独り身で、仕事や家事を両立させなくてはならないので、お礼が遅れてしまいました。 だからと言っていい加減なお礼では申し訳ないと思い、少しずつですが書き込んでいます。 人は本来孤独なんだと思います。打たれ落ちるた時に既に母親の体から分離した時点で「個」ですし、 死に臨むときもまた一人。だからこの世で生きている間だけでも心が繋がる事が出来る人間は 本当に貴重な存在です。 今の社会に風潮では、人との繋がりを人脈と言う事がありますが、そういう風に軽々しく言ってもらいたくないと 思うのは私だけでしょうか。無常の世だからこそ、人との繋がりは有機的なものにしたいですね。 ギルガメッシュ叙事詩を私は読んだことがありませんが、是非近々読ませていただきます。 私がこの書き込みをする時点でriku_mioさんはお辞めになっていますが、是非またお戻りの際は お話聞かせてください。ご回答有難うございました。

回答No.9

 ANo.4です。  この科白とともにいやなことばが、“甘いな”という言い方ですね。  私も未だ、古希すぎですが、多くの先輩には本当はそのようにいわれなければならないものでしょう。  でも息子や、年齢の若い友人に口が裂けてもこいう科白は吐きません。  それぞれ真剣に、そして自分の人生を、自分の課題を生きているのですからね。  未熟はお互いに当然ですからね。躓き、どぶに落ち、転び、そしてやっていかなければならない、お互いですから。  人生の景色は似ているけれども、それはそれでまた違い、その人そのものですからね。自分で経て漸く判っていく、お互いがそういうもの。  年齢の差はない。どんな上でも薄らぼんやりは、十二歳の子どもにも追いつけない。ひどいことを言う人、ひどい対応をする人は、子どもにもまけている。  と存じます。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。再度のアドバイス、お手数をおかけします。 krya1998さんは芯がしっかりなされている方なんですね。私も見習いたいです。歳を重ねることに魅力を感じさせられます。 TVでどこかのお坊ちゃまが「あなたとは違うんです」と言う発言をされましたが、私はあの方が何故リーダーに選ばれたのか不思議でなりません。krya1998さんを始めとする回答者の皆さんの爪の垢を飲んでいただきたいものです。 私は人間の人生はパラレルな物だと思っています。誰もが「生老病死」と言う共通項を持ちながらも、誰一人同じ人生を歩むことは無い。 だからこそそこで人間の価値が試されるのではないかと。けっして100%理解しあえる事は不可能にしても、そこでどれだけ相手を理解しようとする努力の過程が人生に深い味わいをもたらす事ができるのではないかと。 krya1998さんにはもっともっと様々な場面で活躍いただくことを願っています。 アドバイスありがとうございました。

noname#70384
noname#70384
回答No.8

年配者が若い方をそう言ってたしなめるのは、少々嫉妬も入っていると思うんですよ。若い方はだいたい綺麗で健康で、希望があって、生計をたてる苦労がなくて。そう見えるんです。 ほんとうにそれを理解するためには、経済的な苦境とか親しい人との別れとか身体の不調とか体験しないとわからないでしょうね。 でも無理して理解する必要はないですよ。今は、デリカシーというか、そうした人の心を想像して思いやることができれば充分なのだと思います。 本当の辛さと寂しさは、実は年なんか関係ないと思いますよ。#7さんがお書きにになっているように、共感し合える人が一人もこの世にいないと思っていること。(親は除きます。)誰からも相手にされない、誰といても楽しくない。こんなに辛いことはない。この耐え難さは往々にして人を激烈な破壊的行動に走らせます。 愛する人を亡くした人の悲しみは、他人にも理解しやすいものですが、愛する人さえいない悲しみは、なかなか共感を得られません。より寂しく辛いものです。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。お礼遅れてすみません。 社会に目を向けると幸せそうな人々は容易に目に入りますが、ふと脇に視線を変えると十分な努力をしても不幸な人間が沢山いる事に気付かされます。また苦悲の境遇にあっても、希望を失わずに人間の尊厳を見失わずに生きている人々が救われるべきだと私は思います。 私も歳を重ねるにつれて、より多様な方々と接する機会が増えてくると思いますが、他者の苦悲に目を向け理解できる人間になりたいと思っています。ご回答ありがとうございました。

noname#68928
noname#68928
回答No.7

思い付いたことを書いてみます。 一番大切な人が亡くなること。 一番大切な人を置いて逝ってしまうこと。 死んでいるように生きていること。 誰も愛せず、誰からも愛されていないと思っていること。 ――そして、これがこの中で一番辛く寂しい事なのではないでしょうか。 共感し合える人が一人もこの世にいないと思っていること。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 人間は常にアイデンティティの孤立から逃れようとしている不思議な動物ですね。世界の多くの人類の創生は、一つの人間から男と女が分離されたのが人類の始まりだとしている点は面白いことだと思います。 自分を愛するように他者を愛することが出来る人は、それだけで幸福なのかもしれません。それが破綻すると言うことは、個の存在を脅かすことになるんでしょう・・・。アドバイスありがとうございました。 noname#68928さんがまたこのサイトに戻る日を楽しみにしています。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.6

年配者にとっては戦争経験がやっぱり大きいんじゃないでしょうか。 それに関しては経験しろというのも無理な話ですが。 そうでなければ単なる苦労自慢でしょうね。 子供叱るな来た道じゃ、年寄り嗤うな行く道じゃ そんなフレーズを思い出しました。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 人間の全てに共通するのが、時間の矢の呪縛からは逃れられないことでしょうか。 いま人生の春を謳歌している人間も、いつかは病に取り付かれ、老いていく。 行く先を経験しない人間が経験者を笑う、経験者が無知な人間を笑う。 人間と言うのは、経験者が未経験者に救いの手を差し伸べるのが怏々の道理だと思います。 つまり、経験の断絶、智慧の継承があるからこそ人間たる由縁、つまりこの智慧の継承が 連続出来るようになったからこそ人類は飛躍的に進歩できたわけですから。 アドバイスありがとうございます。

回答No.5

若輩者ですが。 自己から放たれることができないまま生きていく虚しさ。だと思います。 生きていることに、生きていくことに(人生)、生きたいということに 不信感(疑問)を覚えてしまうことです。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 私Ivaneはw-hiteroseさんと同じくらいの年代だと思いますよ。 自己から開放されると言うのは、本当に大変なことだと思います。 究極の自己からの開放を試みたのが仏陀だと思いますが、人類史上有数の賢者でさえ、大変な苦労をされました。 人間は動物ですから、その本能からの衝動、言うところの「欲」に多かれ少なかれ左右される運命にあるわけですよね。 自分が理想とする己が存在するにもかかわらず、現実の己との間に誰でも多かれ少なかれ乖離が存在し、その刷り合わせに奔走する毎日。 それのしがらみから逃れるのは解脱しかない・・・。 本当に人間とは苦しく、悲しい生き物ですね。 ご回答ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

「それらを理解するようになるには、どのようにしたら理解できるようになるのでしょうか?」 あせることはありません。 長い人生で誰しも経験することですから。 それでもというのなら、「仏よ、艱難辛苦を我に与えたまえ」と祈れば早く経験できるかもしれませんが、これはやめときなはれ! 普通の人には耐えられません。 人生の途路で、親を亡くし、子を亡くし、自らも病になり、経済的な苦境などいろんなことが起こります。私にもありました。悲しみには底があるんですね。底を割ればまた違った思いがあるということですね。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 実は私にもmmkyさんのような、カタストロフィーを経験しました。 神仏に願った訳ではないのですが、あっちから勝手にやってきました。 今はごめんなさい、全部は語りたくないんです。なぜかと言うと、それを話してしまわずに一生背負って生きたほうが、自分が生きている実感を持てるような気がして。そう言う素地が有るこそ、日々の小さな誰も気付かない物事を甘美に感じることが出来るからです。 mmkyさんのアドバイス、ありがとうございます。ご心中お察し申し上げます。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

誰にも人生というものが一体どういうものなのか知りたくてもわからないということではないでしょうか。若く健康な時にはそのことに悩まないで済みますが老齢になったり病気になると嫌でもそのことを考えてしまいます。病気の人が健康な人に私の気持ちがわかってたまるかと言うことがあるのも同じだと思います。答えとしては自分が死ぬことがわかったときどんな気持になるかを試してみることが最善の理解法かと思います。あまり考えたくないですが、潜水艦にひとり閉じ込められて深海に沈められた場合などはどうでしょうか。私はなぜこんな目に遭わなければならないのだという疑問の方が窒息して死ぬであろうという予想より恐怖なのではないでしょうか。つまり肉体が老朽化していることを苦にするよりもその肉体に閉じ込められている自分というものについての苦悩ではないかと思います。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 人生が何であるか解明しようとするる試みは哲学の一大命題ですが、 解明できないからこそ哲学が発展していく、論議がつきないのかなぁと思うときが在ります。 人間とは将来を見通す能力があるからこそ人間たる所以と言われます。 その将来が身上に関係なく不可逆的に断絶へと向かう・・・。 お話の潜水艦のたとえをお浚いすれば、その昔訳も無く幽閉されながら獄中でから外の世界に思いをはせ、苦悩した人々がしのばれます。 例えばベリア抑留。寒極の劣悪な施設に収容され日々生命の危機に曝されつつも、異郷から故郷の空を思う苦悩。 それの状況に拘束された身体をすて、意識だけでも安息の地にもどりたいと言う悲願。 それを思うと私達実体験の無い現代の若い世代には想像を絶する苦悩が有ったことでしょう。 ご回答ありがとうございました。

回答No.1

確か、福沢諭吉だったと思いますが 人生で一番寂しいのは友人がいない事で有る、と言っていたと思います【覚えたのが30年前だから原文のままでは無いかも?】

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 友が居ない・・・つまり他者との関りが断絶されるという事なのかなと想像しています。 感情や経験を共有する相手が居ない。 そうすると、現代社会は子供から大人まで、ものすごく不幸な人間で満たされているのかもしれませんね。 概して現代人は濃密な人間関係を不得意としつつも、濃密な人間関係を望むと言われていますが、 幸福になろうとして、逆に不幸な道を選んでいるのかもしれません。 アドバイスありがとうございます。

Ivane
質問者

補足

ここをお借りします。 現在頭の中を整理しています。自分で皆さんの回答、アドバイスを熟慮してからお礼したいと思っています。少々お待ちください。

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