萬葉集 巻第一17、18に関して
小学館 日本古典文学全集 『萬葉集1』からの転載です。
額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和ふる歌
17味酒 美輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
反歌
18三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
右の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、「都を近江国に遷せし時に、三輪山を御覧す御歌なり」 といふ。日本書紀に曰く、「六年丙寅の春三月、辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」 といふ。
さて、NHK教育TV『日めくり万葉集』7/13放映によれば18は額田王作だそうです。何故彼女の作だと言えるのかが分かりません。回答の形式はご自由ですが知りたいことは下の通りです。
1. 序詞の「額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和ふる歌」とはどう解釈するのか。「17を額田王が詠い、18を井戸王が返した」と読むのか。「17を井戸王が詠い、18を額田王が反した」と読むのか。どちらでもないのか。要するに、誰が17を詠み、誰が18を返したのか。
2. 小学館版の解説では、類聚歌林の記事は2首とも天智天皇作だと述べていると解釈していてNHK説と対立しているように(私には)読めます。NHK説は定説なのか、一つの学説なのか。また類聚歌林がいうように同一人物が反歌まで詠うことがあるのか。更に、類聚歌林は2首とも同一人物の歌と述べているのではなく、一行が近江国へ去るに際して雲に隠れている三輪山への思いを額田王と井戸王が詠んだ歌だといっているのか。
よろしくお願いします。
お礼
さっそくに、ありがとうございました。 hagiが先にあって、ki に芽があてられた、ということでしょうか。 haは和音では小さいものを意味することがあります。萩は葉も花も小さいから、小さい葉の木、小さい花の木。 同時に葉も花も形が歯に似ている、だから歯の木、 大昔父親が娘に教えた、歯の木と言うのだよ、これは。 素人のかってな想像、でも何か感じることが出来れば、正解の一つだと思います。 重ねてありがとうございました。