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「読み書きができて聞く話すができない」の分析
日本人は他国に比べて, 「読み書きができて聞く話すが苦手」 な人が多い気がしますが,わたしの周り(英語圏)には現地の人と心地よくコミュニケーションが取れるのに書けない人が結構います。 日本の英語教育では,大学入試を見てわかるように,「読む」「書く」のレベルは相当高いと思います。 英検を見てもわかるように,リーディングとリスニングのレベルにギャップがありすぎると思います。 個人的にはそれは決して悪いと思っておらず,そのせっかく身につけた読み書きの能力をどう「聞く」「話す」に転換させるか次第と思うわけです。 そこで,考えたのは,「読み書きができて聞く話すが苦手」(私もその1人ですが)の問題点を考えたとき, 読む・聞く-input 書く・話す-output とすると, 同じinput・outputでも「読む」「書く」は時間がある程度あって,辞書や文法書を使えるけど,「聞く」「話す」は「コミュニケーション」なので,語彙力(会話中に辞書は引けない),咄嗟の判断&柔軟性,根本的なコミュニケーション能力の問題ということに尽きるのでしょうか。
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>「聞く」「話す」は「コミュニケーション」なので,語彙力(会話中に辞書は引けない),咄嗟の判断&柔軟性,根本的なコミュニケーション能力の問題ということに尽きるのでしょうか。 それよりも,根本的には文字と音の違いでしょう. 音については,耳や口による聴く,話すという動作が必要ですが, これらには発育過程や教育,交友関係,社会とのつながり,その他,多くの要素が結びついています. 簡単には,子どもの時に訓練されないと,これらの能力を身につけるのはなかなか難しいと言われています.運動能力に似ています. たとえば,日本人は日本語で育ちますが,日本語の中の発音に無い外国語の音は聴き取れなかったり,発音できなかったりします. 文字の場合は,その文字だけで解釈はできます.
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No.3 です. 「聞く・話す」のコミュニケーション能力といった場合,話し手の情報発信を受けるためには,「読む・書く」の場合と違い,個々の文字より単語での認識が必要です.また,各単語の中,および複数単語のグループから文に至るある長さの表現に含まれるイントネーションやアクセントもコミュニケーションに役立っています.ご存知のボディ・ランゲッジや顔の表情でも意味が伝わります.これらは日本語の場合とは,必ずしも同じではなく,日本人には馴染みがないので,こうした関連情報も外国語理解の壁になっています.つまり,「聞く・話す」の場合は文字以外の追加補足情報が使われ,外国人としては,これらを理解し身につけることが極めて困難なのです.
お礼
再びありがとうございます。 きっと同じ方と思いますが,別の質問(thatの品詞について)では,最後に厳しいお言葉をいただきました。 削除されてしまいましたが,わたし自身は日々の考えを揺るがす非常にありがたいご指摘でしたので,この場を借りてお礼申し上げます。
No.4 & 8 です。再び失礼します。 >「読む」も足りないでしょうか…。 >どれも中途半端では救いようがありませんね。 読むトレーニングも、精読と多読と両方が必要ですが、日本の英語 教育では、精読に偏り過ぎていて、多読が不足していると思います。 ただ、中途半端ではありますが、決して無駄にはならないはずです。 足りない部分を個人個人で補えば、十分実践に役立つと思います。
お礼
なるほど,では現状の教育では,学校の授業では精読し,試験では速読が求められ,多読は個人にかかっていると言っていい訳ですね。 学生でも多読をすべきという認識を持たせられたらいいですね。 やらされている感がある限りは難しいような…。 国語でたくさん読書をさせるのと同じとしても,相手は外国語ですしね。 何事も,バランスって難しいのですね。
No.4です。 >「何度も繰り返す、地道なトレーニング」 >の結果,素早く簡単な文章をoutput「書く話す」ができるようになっても, >それは「聞く」能力上達につながるでしょうか。 リスニングには、主に2つの能力の習得が必要だと思います。1つは、 日本語にない英語の音を聴き分けるための能力、もう1つは、その音を 言葉として理解するための能力です。 前者は、ディクテーションやシャドーイング、あるいは、発音の トレーニングで作り上げるしかありませんが、後者は、多読や音読、 文法・構文の理解など、様々な方法で向上させることができます。 また、トレーニングにおいて、大量のインプットは必要ですが、それ だけで自然とアウトプットはできるようになるわけではありません。 逆も同じです。アウトプットだけしてても、インプットのトレーニングが 不足すれば、コミュニケーションできるようにはなりません。 No.4に書かせていただいた「トレーニング」とは、たった1つの何かの 方法ではなく、読む、書く、聴く、話すのそれぞれのトレーニングの ことを指しています。日本の学校教育では、そのいずれも絶対量が 足りないと思っています。
お礼
再びありがとうございます。 やはりそれぞれのトレーニングが必要なのですね。 >日本の学校教育では、そのいずれも絶対量が足りないと思っています。 「読む」も足りないでしょうか…。 どれも中途半端では救いようがありませんね。 ありがとうございました。
- kiichi0805
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まず、読み書きができてとありますが、現地ではあの程度の 英語では何の意味もなしません。特に書きの能力不足は 甚だしく、catastrophicな部分が相当程度あります。読みも 日本人が大学受験のために覚えた程度の単語では辞書を 延々と引き続けないと専門書は読めません。 そしてあんなにゆっくり読んでいる時間もありません。 読み書きや聞く話すの最大の違いはおっしゃられている 通り、語彙の違いと柔軟性です。 例えば、話すときには「I got amorously infatuated with her」 などと冗長な文章はそう言いません。むしろ 「I think I'm starting liking her」などの簡単で、 瞬間的に理解できる文章を使います。使う語彙が違うのです。 (この点で書きを話すに活かすのには限界がでてきます。 話す用の語彙を知らなければ、話すことはできません。) そして相手がどういう対応をしてくるかも分かりません。 相手がjokeyな人間なのかdilligentな人間なのかでも かなり大きくその反応は違います。 つまり、確かにoutput、inputの違いもあるかとは思いますが、 それよりもまず、日本語でもフォーマルな文章言葉と カジュアルな話し言葉が違うように絶対的に語彙が違うことが まず一番大きい要素ではないかと思います。話すと書くには それなりに隔たりがあり、話すは話すの訓練なり、慣れを していかないとその能力が伸長することはありません。 余談ですが、日本人の能力の偏重はその個人の能力ではなく、 明らかに教育の問題です。読み書きの能力の方が 客観性が高く、採点がしやすいためにこういうシステムを 取ったのでしょう。
お礼
ありがとうございます。 大学入試レベルというのも高低差があるので一概には言えないですが,専門書を読むというシチュエーションは,日常生活や一般ビジネスを超えたやや限られた場面に思います。 もちろん専門職で,専門書を読む場合は専門用語の習得が必要というのはありますが。 柔軟性と書き言葉と話し言葉が違うというのはおっしゃる通りです。 >話すは話すの訓練なり、慣れをしていかないとその能力が伸長することはありません。 やはりそういうことですね。 >採点がしやすいためにこういうシステムを取ったのでしょう。 個人的には,英語教育では「書く話す」のoutputの試験を学生か自分ら徹底的にやってほしいですが,悲しいかな,人口が多い故にマークシートが便利だったり,採点者・面接官に高い英語力が求められるので難しく,日本の場合はこの点の改善は難しいですね。
TOEICは「読む・聞く-input」ですが、ゆっくりした教科書英語ではありません。 生英語よりはゆっくりで丁寧ですが。 「言われていることは分かるが答えられない」と言う日本人は結構多いので、「inputはそこそこ出来るけれど、outoputが出来ない」が多いかと思っていました。 そうでもないのでしょうか。 私はあまり書けないし、喋るのも上手くはないので、書けたら喋れるようになるんだろうなと思っています。 組み立てと言いますか。 聴くのと読むのは、組み立て能力が低くても出来ます。 (低くてもと言っても程度問題かもしれませんが・・・・) 私は大学受験をしておらず、聴くのと読む練習はしたので、やったもの(リスニング、リーディング)だけマシになっているという感じです。 時間を掛けていない部分(文法、作文)は劣ります。 もともと文法は好きではないので、得意不得意の問題なのかもしれませんが。
補足
質問の表現が少し誤解を招いたかも知れないですが, >「inputはそこそこ出来るけれど、outoputが出来ない」が多いかと思っていました。そうでもないのでしょうか。 おっしゃる通りで,そのように書いたつもりでした。 >書けたら喋れるようになるんだろうなと思っています。 ここが今回の疑問点の山場でして,ある程度書けるので,日本語を英語にすることはできるのですが(自分の言うことは相手に伝えられる), 「聞きとれないから話せない」 という式になってしまっているのです。 困ったものです。 ご回答ありがとうございました。
- ucok
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#2ですがお礼を拝見しました。 >でも,中国の例では同じアジア人でも会話力はかなりありますよね。 中国にいらしたことはありますか? 国際都市と言われる上海の外国人向けのホテルでも、英語を話せる人は稀です。アルバイトの大学生が、日本人並みの片言を話す程度です。街を歩いていても、英語を話せる人が見つかる率は極めて低く、その低さは日本以上だと感じました。実際、中国には英語を要する外国人の割合が少ないのです。でも、話せる中国人は話せます。それは日本でも同じです。 >>読む>(ゆっくりとした教科書英語を)聞く>書く>話す >聞くのは2番目に得意ですか…。 >では,わたしはやっぱりあまりに「聞く」才能がないのですね。。。 簡単なメールを書こうとしても、意味の通じる文を書けない日本人が、ネイティヴでない自分だけに向かって、ゆっくり話してもらえば理解だけはできる場合のほうが多い、という意味です。あなたの能力がどれほどのものかはわかりませんが、ひょっとしたら、単に、書く才能が秀でているだけなのかもしれません。余談ですが、通じる英語が書けなくても、有名大学で英語を専攻し、英語の家庭教師として教え子を受験合格に導く人はいます。
お礼
>中国にいらしたことはありますか? 国際都市と言われる … そうでしたか。 海外に住む中国人を見てと,中国では小学校から授業では英語は話すことに重点を…という情報で思い込みがあったようです。 失礼しました。 >単に、書く才能が秀でている そういうふうに考えたことありませんでした。なるほどです。 仕事柄英文を書いてはネイティブチェックをという作業を日夜しているので,最近ようやくネイティブから,きちんと教育を受けたネイティブ並の英文を書くと(おせじでも)言っていただきましたが,それとリスニング能力とのギャップがありすぎるのです。 TOEICで言うとリスニングは400点もないレベルです。 >通じる英語が書けなくても、有名大学で英語を専攻し、英語の家庭教師として教え子を受験合格に導く人はいます。 まさに日本的な部分ですね。 この辺りはよくわかっております。 質問に曖昧な部分があり失礼しました。 ご意見勉強になります。ありがとうございます。
私も、以前は質問者さんと同様、「日本人は読み書きはできるのに、なぜ 聞く話すが苦手なんだろう」と思っていましたが、最近、少しその考えが 変わってきました。それは「日本人は読み書きも実用レベルとは言えない」と いうことです。確かに、大学入試で出るような難解な文章を読み解いたり、 小難しい英作文をしたりするのはできるかも知れませんが、それよりも、 実践で必要なのは、「簡単な文章でもいいから、素早く理解して、素早く 書ける」という能力が足りないと思います。それができれば、きっと 聞く話すことにも繋がるはずです。 そのように学校や入試で求められる英語力が偏っているために、多くの 日本人は、「勉強」はたくさんしても、「トレーニング」が絶対的に 不足しています。これはスポーツと全く同じで、いくら理論や型を理解 できても、それを飽きるほど何度も繰り返す、地道なトレーニングが なければ、実践のコミュニケーションに使えるような力になりません。 読み書きは、自分だけの領域で、自分のペースでできるので、「できてる 気がする」だけではないかと思います。ネイティブが話すのと同じ速度で 読んで理解できる能力がなければ、同じ文章を聞いてもわからないでしょう。 簡単な文章でも、咄嗟に英語に組み立てて書けなければ、話せるはずも ありませんからね。
お礼
まさに流行っている「話すための瞬間英作文トレーニング」のようなものですね。 >実践で必要なのは素早く理解して、素早く書ける >それができれば、きっと聞く話すことにも繋がるはずです。 「何度も繰り返す、地道なトレーニング」 の結果,素早く簡単な文章をoutput「書く話す」ができるようになっても,それは「聞く」能力上達につながるでしょうか。 例えば上述の教材で短文がたくさんありCDもついていますが,それを何度も何度も聞いたり声に出したからと言って,実践で自然な会話ができるかというのはかなりの疑問です。 「英作」と「聞き取り」は違うと思うのです。 No.3さんのおっしゃるところの「文字」と「音」は別というのは前提で,4つの分野でそれぞれ地道なトレーニングが必要ということなら納得ですが。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
読み書きをする機会はいくらでもあるし、また、いくらでも持てるが、話したり聞いたりする機会はなかなかないし、また、持とうともしないというだけでしょう。 ちなみに一般的に、日本で育った日本人は英語を、 読む>(ゆっくりとした教科書英語を)聞く>書く>話す の順に得意だと思います。 余談ですが、とかく人は、1つの能力で補えていると、別の能力を高めようという意思が弱まるものです。紙に書いてもらえればわかるので、わざわざ会話力を磨かない日本人とか、どうせ話せば通じるのだから書けなくてもいいやと思う英語圏在住外国人が多いのは、それゆえです。
お礼
>話したり聞いたりする機会はなかなかない その通りです。 でも,中国の例では同じアジア人でも会話力はかなりありますよね。 中国の英語教育は詳しくないですが…。 >読む>(ゆっくりとした教科書英語を)聞く>書く>話す 聞くのは2番目に得意ですか…。 では,わたしはやっぱりあまりに「聞く」才能がないのですね。。。 そういう意味ではTOEICなんかは上位2つの能力検定で日本人に馴染みやすい訳ですね。 イギリス圏の試験は4つの能力が必要なのでそのギャップも感じます。
- Agee
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>「読む」「書く」は時間がある程度あって,辞書や文法書を使えるけど,「聞く」「話す」は「コミュニケーショ >ン」なので,語彙力(会話中に辞書は引けない),咄嗟の判断&柔軟性,根本的なコミュニケーション能力の問題 >ということに尽きるのでしょうか そう思います。おっしゃることをスポーツに譬えると「読む・書く」はゴルフで、じっくり精神を集中し、いざ準備OKとなったら打つことが出来ます。「聞く・話す」はテニスですね。打ち込まれたらすぐ打ち返さなくてはなりません。 「語彙力」は重要ですが、分らなければ相手を"walking dictionary"として使うことが出来ます。"What do you mean by that?"と単語やフレーズの意味を聞き返せばいいのです。それでもまだわからなければ、"In other word?"(他の表現では?)と別な言葉を要求出来ます。ただし、一分おきにこれをやったら、相手は閉口して去って行くでしょうけど:-)。 >わたしの周り(英語圏)には現地の人と心地よくコミュニケーションが取れるのに書けない人が結構います 私の周りにそういう日本からの移民が何人もいます。お年寄りですけど。多分、中国・韓国・ヴィエトナム・フィリピンなどからの移民も同じでしょう。そういう意味では「読む・書く」が出来ることには、日本人は自信を持つべきです。 一つ、云わせて頂けば、日本人は受験戦争の余波で完璧主義(文法的に正しい英語しか認めない)に毒され、間違うことを恥とする風があります。アメリカ映画の黒人の英語を聞いて御覧なさい。文法も滅茶苦茶だったり、下品だったりで、全然模範になりません。アジアや中米からアメリカにやって来た人々の大半の英語も同じです。ですから、日本人だけが完璧な英語を話そうと努力するのは(向上心は結構ですが)実用的ではありません。コミュニケーションにはマス、ミニ、口(くち)と色々ありますが、マスコミでさえ間違った報道をすることがあるほどです。人間のやることには間違いがあり得るのです。外国語を完璧に操るなんてことは、オリンピックで金メダルを十個獲得するようなもので(不可能に近い)、目標にすべきではないと思います。コミュニケート出来れば充分ではありませんか。完璧主義が日本人の口を重くしているのは間違いありません。考えを変えるべきです。
お礼
よくわかります。 完璧主義と言われるのは,たぶん,英語知識ゼロのところで(例えば中学とか)いきなりいろんな人種の英語や訛など,多彩な英語を学べというのはあまりに酷で,まず理論をおさえてあとは応用,とせざるを得ないように思います。 でも,それが行き過ぎ(完璧でなければならない)ということですよね。 どこまでのレベルを完璧にするのか,どのレベルまで達したら柔軟に考えるべきか,そういうことになるでしょうか。 難しい問題です。 ご意見勉強になりました。 ありがとうございました。
お礼
文字と音の違い,なるほどです。 では,結局は「聞く話す」は小さい頃からすべきという結論になるのでしょうか。 でも,大人になってもする~っと学校英語から「聞く話す」に転換できる方々がいて,その人たちとの自分の違いはどこなのかと真剣に悩みます。 ほかの方のおっしゃるとおり,会話の経験を積むしかないですかね。