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昔気質な暴力を振るう先輩料理人
料理人を10年している者です。 数年前、ホテルの厨房に勤めていた時、すごく昔気質な先輩がいました。 仕事中の罵声罵倒はおろか、殴る蹴るも当たり前。 内緒で病院に行った事もありました。 それでもその先輩の料理に対する姿勢は 尊敬に値するものがあり、当時私はどんな目に遭っても 辞めずにずっと我慢していました。 しかし昨年、ある相撲部屋の先輩力士が「かわいがり」と称し 後輩を虐待していたとのこと。後輩はその時の外傷が原因で死亡。 結局先輩たちは刑事責任を問われる立場に。 今思い返せば私は命こそ取られなかったものの されてたことは相撲部屋と大して変わらなかったんじゃないかと。 そこで質問ですが、後輩を指導するのに「かわいがる」料理人は 今でもたくさんいらっしゃるのでしょうか? またそこまでして指導しないと一流の料理人にはなれないものなのでしょうか? 私はただ先輩の「かわいがり」の道具だったんでしょうか? よろしくお願いします。 (文章力に欠けるのでご不明な点があれば補足要求してください)
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こんばんは。 お礼を頂き、またいろいろ考えていたのですが。。。 >・ここでのこのような議論が彼らの目にもしとまるようなことがあれば 私と同じような目に遭う後輩は少しでも減るかな?という期待 これについては、私は「期待出来ない」と思えるのですが。。。そのような行為に至る事の出来る人は、そのような「客観的視点が無く」、「自律も弱い」と思えるからです。 なので、その「期待」は、先輩ではなく、「後輩へ」向ける方が得策かと思われます。 私は完全に「門外漢」ですので、このような事が可能か、判らないのですが、 *専門学校、業界紙等を通じて、「このような事例がありうる事」を、これからこの世界に踏み込む者の「予備知識」として持ってもらう。 *実際に遭遇してしまった場合の、「相談窓口」を、各学校に設置してもらう。 *実際に相談があった場合は、「迅速な調査を行う組織」を立ち上げる。 そのような先輩であれど、「素晴らしい技術の持ち主」である事には、「敬意を持ちつつ(=技術を損なわず)」、「その行為のみを糾弾」出来るのが「理想」ですよね。。。
こんばんは。再びお邪魔してもよろしいでしょうか? お礼をありがとうございます。 正直、質問者様も他の回答者樣方も、私より人生経験が抱負と見受けられますので、私如きの拙い回答に、丁寧なお礼を頂きまして、恐縮しております。 お礼文にありました、 >いいえ、私に言わせれば最初から誰が何と言おうと虐待でした。 との事。 それならば、その先輩の行動は、「虐待」と位置づけて良いのではないでしょうか? 何か「躊躇される理由」がお有りなのでしょうか? 「虐待」は「不必要」。この結論が「質問者様の結論」であり、今後自ら後輩を指導なさる時には、決してこのような行為をなさらなければ良い事。そう固く決心なさればそれで良い。そうでは無いのですか? お礼にありました、質問 >あなたはお子様に躾をする時に必要以上に叩いたりしますか? これについては、恥ずかしながら「あります」。 質問者様は、お子様はいらっしゃいませんか? おそらくほとんどの世の親が、一度は「余計な体罰」への「衝動」を感じた事があると思います。それほどに、「子育て」における「果てしない繰り返し」は心身ともに、親を疲弊させるものだからです。(これについては、やはり「技術の継承過程」も同様と思われます。) その「衝動」を、現実にするにしろ、しないにしろ、それを「感じた事」そのものに、大抵の親は自らへの恐れを抱き、更に「自律を強化」するのです。 稀に、何らかの理由で、「衝動への恐れ」が「自律の強化」へ、結びつかせられない者がいるのです。それは、どのような理由があっても、「異端」であり、「悪」であり、その人の「人として欠陥がある」と言う結論で良いのでは無いでしょうか? 質問者様は、何故「今になって」このような質問をされたのでしょう? 「いずれ後輩を指導する身」として、「指導方法に思いを巡らせた」事による疑問でしょうか? それならば、「技術」と言うものの特性の一つである、「独創性」「創造性」に基づいて、質問者様の理想とする「独自の指導方法」で、それを遂行なされば良いのでは無いでしょうか。 いかに「良い」「理想的」と、世間で評される「指導法」も、「相手によって」効果に大きな差が出るものだと思います。「指導法」と言うものは、「指導者」に属するものでは無く、「師匠と弟子の「間」」に「化学反応」のようにして生まれるものだと思うのです。 私は三人の未就学児を育児している者ですが、同じ「おもちゃをひったくる」行為であっても、三人三様に「対応が変わります」。一番目には、「理由の如何を問わず、叱る」事が多く、二番目には「制止」の後に、「どうしてそんな事したの?」と問いかけ、三番目は「ひったくるのも遊びの一つ」と捉えます。この「原則」すら、その時々の状況で変わります。 「技術の継承」の指導法も、同じように、「言葉遣い」等、後輩それぞれによって「変える」ものだと思います。「危険行為の制止」や「印象を強める為」の「体罰(的行為)」も、その後輩によって変わるものだと思います。その際に、その行為が「体罰(的行為)」か、「虐待」か、の線引きは、前述の「好意と信頼の有無」で、「後輩の主観で」決める他無い、と思います。 話は、ご質問から逸れるかも知れませんが、私が気になったのは、お礼に有った、次の文です。 >当時の私はそうは思いたくなくて、「ああ、これも指導の一環か」と自分に言い聞かせていただけです。 これこそが、質問者様が「今になって」このような質問をされた、「理由」では無いのかな? と、「穿った読み方」をしてしまったのですが、違いますでしょうか。。。 「これは虐待だ」と認めつつも、それを耐え、「技術を手に入れた(質問者様の表現で「良い麦に成長出来た」)」けれども、 「それに耐えた自分こそが「間違い」だったのではないか?」 この疑問が「頭から離れない」。。。違いますでしょうか。。。 先輩の行為を「虐待として否定」するならば、 それに「耐えてしまった」自分も「否定」する事にはならないだろうか? そうしたら、「その期間に自分が得た技術」も「否定」する事にはならないだろうか? しかし、今現在、自分はその技術を活かして働いている。 「否定」する訳にはいかない。 しかし、それでは、先輩の虐待行為を「必要悪」として、「肯定」する事にはならないだろうか? 違いますならば、後半部分はどうぞ読み捨ててください。 もしも、そうであるならば、私でよろしければ、また伺います。 長々と、読み取り難い文章で申し訳有りません。
お礼
再々のご回答をいただき、こちらも恐縮している次第です。 拙い回答だなんて、とんでもないです。 >質問者様は、何故「今になって」このような質問をされたのでしょう? ・相撲部屋の事件と当時の自分がオーバーラップしたから ・未だに時代錯誤な指導をしている人間がどれだけいるのかも興味があった ・ここでのこのような議論が彼らの目にもしとまるようなことがあれば 私と同じような目に遭う後輩は少しでも減るかな?という期待 こんなところです。たまたま「今」であっただけで、暴力に関しては以前から疑問視していました。 もちろん当時も。言い聞かせてはいたものの、疑念は抱いていました。 しかしその裏にある「もっと大きな意味を持つもの」の存在は理解していました。 どんなに痛い目に遭っても、それがあったからこそ先輩についていけたのです。 それがあったからこそ「感謝している」と言えるのです。 しかし、私はだからといって暴力を容認できません。はっきりいって教える側のエゴなんです。 ものすごく料理のセンスのある新人がいたとします。 先輩の言うことも素直に聞き、仕事もまじめで将来有望です。 しかし彼が先輩の暴力が原因で料理の道を諦めてしまったら? 将来の貴重な人材を失うにはあまりにもくだらなさすぎる原因だと思いませんか? 現にこういうケースはいくらでもあるのです。 せっかく自分たちが先代から受け継いできたものを引き継がせようとしても このような手段は結局自らの首を絞めているということになるのです。 当事者はそれが「悪」だとは認識してません。と言うより「できない」のです。 調理場でお金をもらって仕事をする人間は子供ではありません。 言葉が理解できる大人です。そこに暴力の介入する余地はないでしょう。
bagnacauda様の回答を追って来た者です。 二十代後半、三児の母です。 「子育て真っ最中」の立場と「家業の技術を受け継いだ者」の立場から少し考えた事がありまして、お邪魔致しました。 職人世界の「師匠と弟子」の関係は、「親と子」、 「技術を継承する過程」は「子育て」と良く似ている気がします。 「技術」は「言葉では表現出来ないもの」がほとんどを占めるように思います。何度も何度も気が遠くなる程繰り返しの果てに、「見えて来るもの」であったり、無意味に思える(実際無意味かもしれない)「決まり事」に忠実にしたがった結果、「現れて来るもの」である事が多いのではないでしょうか。 「子育て」も同じです。「躾」は「押しつけ」であり、個性を一旦消して、「型にはめ込む」作業です。それこそ、毎日毎日気が遠くなる程、叱り、励まし、おだて(笑)、褒めて、の繰り返しです。しかもそのほとんどを「叱る」事が占めます。 「個性ある人間(乳幼児にもあります)」が、それに耐えうるのは何故か?と考えました。 それは、「好意」と「信頼」があるから、では無いでしょうか。 世間では「黒」とされるものを、親が「白」と言えば、子供は「白」だと思います。子供が「両親」を「好き」で「信頼」していさえすれば、「説得」なんて「不必要」です。親の影響力は絶大です。 それは「善悪」の場合も同じです。その「悪」の最たるものである「虐待」は、「親が間違っているはずが無い」と信じるから「親の呪縛」に絡み取られてしまって、起こるものです。 。。。質問者様のケースは、この「虐待」に当たる訳ですよね。 「虐待」と「躾」の線引きは、この「好意」と「信頼」の「有無」で決まるものではないでしょうか。 これはもう、本当に「主観」で決めるしか無いものだと思います。ただ、「技術の継承」という目的の下、その先輩を「素晴らしい、信じられる、正しい」と思えるうちは、(誰が何と言おうと)「虐待ではない」。 しかし、疑念が生じた「その瞬間から」、その先輩の行為は(誰が何と言おうと)「虐待である」。 そう考えると、先輩に指導を受けていた「その時は」、「虐待では無かった」事になり(実際、質問者様もそう感じておられるのですよね?)、疑念を持つ「今となっては」、「虐待である」。 何だか「意味不明」な文章になってしまいましたが、伝わったでしょうか? こんな「考え方」はいけないでしょうか。。。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >疑念が生じた「その瞬間から」、その先輩の行為は(誰が何と言おうと)「虐待である」。 いいえ、私に言わせれば最初から誰が何と言おうと虐待でした。 当時の私はそうは思いたくなくて、「ああ、これも指導の一環か」と 自分に言い聞かせていただけです。 私の質問文の「我慢」の文字がそれの証明です。 私の問いは「暴力の必要性」です。あなたはお子様に躾をする時に 必要以上に叩いたりしますか?こんないかにも封建的でナンセンスな指導方法が 今でも一部の厨房内でまかりとおってるのは問題視すべきです。 変な例えですが、料理やファッションも時代に即したトレンドというものがありますよね? 指導方法も同じなんじゃないでしょうか? 昔の人の価値観で今の人間を指導するのには無理があると思います。
- bouhan_kun
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まあ、今時、料理人になろうと思えば、カフェみたいな小さなカウンターの店をいきなり出すとか、調理師学校で勉強するって手もあるのでしょう。ただ、そういうのは、既存の料理人さん、特に修業を繰り返した方から見れば、甘いとしか映らないでしょう。 私も、職種は違えど、給料一切なし、いわゆる丁稚奉公のようなことをしてました。普通の生活がいい人から見たら、とんでもない封建的な話なのでしょう。殴られはしなかったですが、休みも寝る間もなく働いて、怒られて、当時はきつかったですが、今にして思えば、そこでつけた技術や考え方などがあるから、今の自分があるのだと思います。結局は、怒られるとか殴られるとか言う事象だけをとらえるのか、もっと包括的な考えを持てるのかって話だと思います。 かの親方も、一生賢明だからそれだけ付き合ってくれたのでしょうが、それだけきつくあたることに多少は後ろめたさもあったようです。近年話をしてて、白状してくれたんですが(笑) 結論として、厳しくしなくても立派になる人もいるが、努力ないとこに達成感はないだろうってことでは。で、その感性が、職人なのでは? 少なくとも、死ぬ限度を超えるまでお玉で殴るわけはないので、あの話とは違うと思いますが。まあ、それを一緒にして考える感性の方は、その道に向かないのでしょう。殴る行為がいい悪いは別にして。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >厳しくしなくても立派になる人もいるが、努力ないとこに達成感はないだろう まさしくおっしゃる通りだと思います。 しかし努力の芽が暴力によって摘まれてしまっては元も子もありませんよね? その可能性は否定できません。 >少なくとも、死ぬ限度を超えるまでお玉で殴るわけはないので、あの話とは違うと思いますが。 程度の差こそあれ、私は同列の話ととらえます。 彼の指導は限度を超えていたことも度々あったのです。 説明不足をお詫びします。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
お礼を頂き、少しだけ加筆します。 ■これには賛同しかねます。誰のおかげで「職人」でいられるのでしょうか? 「お客様のいうことよりも」というのは私には理解できません 「プロ」というものは、お客様の要望に添ってはいけない場合があります。 例えば、設計士や大工がお客様の言うがままの家を建てると、耐震性のない、見た目アンバランスな家が建つことがあります。 法律の職人である弁護士は、客の要望よりも、法律を優先しなければならない。 医者にしても、患者の要望に添えないときがある。 料理人だって、プロとして、いくらお客様が要望しても、作ってはいけない料理があるはずです。 「プロ」の「職人」の仕事を「評価」できるのは「プロ」だけです。 素人であるお客様には、わからない良い仕事がある。 僕はそういうレベルの仕事をしてきた自負がありますので、お客様に従わず「説得」し、それでも駄目な場合は、「仕事を受けない」という選択をしてきました。 僕にとっては、お客様の言うとおりの仕事をすることよりも、プロとして納得の行く仕事をすることの方が大事です。 ■ならば極論すればプロの職人は技術向上のためには何をしても、 どんな法に触れてもかまわないということになりませんか? 私は職人になるために人間性まで捨てたくありません。 僕は一流の職人なるために人間性を捨てる「必要」があるとは言っていません。 どんな技術でも、プロにふさわしい領域に踏み込むためには、1日それこそ25時間、仕事のことだけ考えているくらいの時期が、一定期間「必要」なんじゃないかな?と思うだけです。 それを、「善悪よりも大切」という表現に込めました。 ま、そんな感覚です♪
お礼
度々ありがとうございます。 こんなにも何度も付き合っていただいてただただ恐縮です。 >お客様の言うとおりの仕事をすることよりも、プロとして納得の行く仕事をすることの方が大事です。 私はプロとしての視野が少し狭かったのかもしれません。 bagnacaudaさんのアドバイスはずっとお客様至上主義の私に 一石を投じるものになりそうです。 少し話が脱線してきているので 本題の「暴力は必要か否か」の回答に限らせていただきます。 ご了承ください。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
#6です。追記したいと思います。 誤解を避けるために敢えて書けば、僕はいわゆる「かわいがり」や、職人世界での先輩の理不尽な行いは、「悪」だと考えます。 しかし、「善悪」よりも大切なものがあるというのが、プロの職人なのだと思う。 それが技であり腕、技術。 職人として大成したいのであれば、少なくとも自分自身を肯定するために、技術的に上位にある先輩や師匠を否定する「必要」がないことが大事です。 貴方の料理の腕前、技術を誇り、自信を持つために、先輩の人間性を否定する必要はないはずです。 善悪という観点なら、貴方の先輩は悪い。 しかし、貴方にとって大切なのは何か? それが生活のために金を稼ぐことであるのならば、貴方は職人には向かないから、時間を切り売りするサラリーマンになるべきだ。 職人は、何よりも、それこそお客様の言うことよりも、自分自身の「仕事」が大事な人間なんですから、、、
お礼
再度の投稿ありがとうございます。 いくらプロの職人であっても、それ以前に人間なのです。 >「善悪」よりも大切なものがあるというのが、プロの職人なのだと思う。それが技であり腕、技術。 ならば極論すればプロの職人は技術向上のためには何をしても、 どんな法に触れてもかまわないということになりませんか? 私は職人になるために人間性まで捨てたくありません。 捨てなければ職人になれないというなら、なれなくてもいいと考えます。 >職人として大成したいのであれば、少なくとも自分自身を肯定するために、技術的に上位にある先輩や師匠を否定する「必要」がない これは大いに納得です。 >職人は、何よりも、それこそお客様の言うことよりも、自分自身の「仕事」が大事な人間なんですから これには賛同しかねます。誰のおかげで「職人」でいられるのでしょうか? 「お客様のいうことよりも」というのは私には理解できません。 それが職人だ、と言われれば、やはり私は職人にはなれないようです。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
50代の中小企業経営者です。 ●貴方にとって「料理」という「仕事」が、どれほど大事なものであるか? ということに尽きるとぼくは思います。 僕にとっては、仕事は金を稼ぐ手段と言うだけではありません。 家族が「命」なら仕事は「生き甲斐」。 だから、世の中の理不尽さも、それなりに愉しんで仕事をしています。 ■またそこまでして指導しないと一流の料理人にはなれないものなのでしょうか? ■私はただ先輩の「かわいがり」の道具だったんでしょうか? なんてことは、「料理を身につけ、魂の籠もった料理を作る頃が夢」ということにくらべれば、ど~~でもいい、そう思えるのが「職人」なのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >世の中の理不尽さも、それなりに愉しんで仕事をしています。 さすがは私より20年以上も生きていらっしゃる先輩ですね。 私には悟りの境地のようなお言葉です。 まだまだこんな風には考えることができません。 ゆえに私はまだまだ職人レベルではないということです。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
相撲部屋のように金属バットで殴ったり、包丁で叩くようなことをされていたのなら問題でしょう。 叩かれるようなくらいならあってもおかしくないでしょう。 料理人は包丁を使ったり火を使ったりと非常に危険が多い仕事です。 まずは自分が怪我をしないために非常に厳しく指導されます。 それ以上にお客様の口に入るものを作るのですから、おかしなものを作ってお客様の体調を悪くさせたら一大事です。 だから人によってはそういう暴力もあるでしょう。 料理人は何秒という時間が大事になる世界ですよね。 話してわかるだろといっても、その話している時間がないですから、手が出るということだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 さすがに包丁でやられたら新聞沙汰ですね。しかし木ベラとかお玉とかはザラでした。 >お客様の口に入るものを作るのですから、おかしなものを作ってお客様の体調を悪くさせたら一大事です。 >だから人によってはそういう暴力もあるでしょう。 この因果関係には甚だ疑問です。
- vervis
- ベストアンサー率19% (78/400)
40過ぎの男。 確かに暴力は法律に触れる行為ですのでそこについては触れません。 ただ、あなた自身が一番よくわかってるはずですが 包丁一本で食っていく男の生き様を伝えたかったのだと思いますよ。 職人の世界は甘くない。シビアなもんや。 命かけれんのやったらやめてまえ。。 任侠道の世界に近いかも・・・ でもどこの業界でもいっしょやと思います。厳しいんです。 本気でやらん人は生き残れん。。 ま、あなたはその先輩の下で立派に命を落とさずいいものを吸収して 今がある。 あなたは同じやり方をする必要はありませんよね。 自分がいいと思ったことをしましょう。 ただ先輩の「かわいがり」の道具って言葉には???ですよ。 まだわかってないの??って感じ。。 ほんとうはわかってるはずだと思う。 ただ、社会的に表に出れば叩かれる。 しばかれるのとしょうもない男になるんとどっちが痛い? そん時は叩かれんとわからんレベルやったいうことちゃうかな?
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は今までずっとこの仕事を「本気で」してきています。 だからこそ彼のように熱い人柄に魅力を感じたのです。 今時珍しいタイプだと思いました。 ただせっかくの人柄も反社会的な行為によって魅力半減です。 vervisさんのおっしゃるように、その時の私は「叩かれんとわからんレベル」 だったのかもしれません。彼にしてみれば「麦踏み」と同じ感覚だったと思います。 しかしその踏み方もそれ如何でいい麦にも悪い麦にもなると私は思います。
補足
私の説明不足が誤解を招いてしまいました。 申し訳ありません。 私が「かわいがりの道具」と言ったのは 先輩の手出しが必要以上に感じるときがあったからです。 わからせるレベルを超えていた事が何度もあったのです。 物で殴ったりとか、物を投げつけたりとか 鼻血が出るまで顔を殴ったりとか… そこまでの行為は「熱い指導」だとは思えません。 普通にいじめられていたと思われても致し方ないと思いませんか?
- artofauror
- ベストアンサー率23% (91/393)
まぁ度が過ぎてるのはあれですが……それでも多少なりともかわいがりじゃないですが、軽くしごかれる人が居るだけでも、まだ捨てたもんじゃないって思いますよ。そう言うのは、ちゃんと教えてもらっている見習いのためになることだってありますからね。 嫌なら自分から辞めればいいだけで、無理してそこに留まる必要はないのも事実なのですが、教えている側は、立派に育てようって思ってやっているんですから、その気持ちだけは感じ取るべきです。決して指導者は相手を道具扱いなんてしないので、質問者さんそこを良く理解してください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >軽くしごかれる人が居るだけでも、まだ捨てたもんじゃない もしあなたの職場でこのような人がいるのが原因で新人がすぐに辞めていったとしても 同じことが言えますか?旧態依然の価値観にとらわれていませんか? 私にとっては手を出した時点でアウトです。 百歩譲っても病院送りになるほどの手出しって必要だとは到底思えません。 >教えている側は、立派に育てようって思ってやっているんですから、その気持ちだけは感じ取るべき これに関しては十分理解しているつもりです。 「怒られてるうちが華」って言いますからね。
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お礼
ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありません。 やはり期待するだけ無駄ですかね…少しでも思いとどまっていただける 良心をお持ちの方がいると信じたいですが。 *1 これはさらなる人材不足を招く恐れありで、私はあまり気がすすみません。 *2*3 学校関係者が職場の幹部と横の繋がりがあるのが現状なので、あまり効果が期待できません。 あと、専門学校卒の新人ばかりとは限らないので対象外の被害者は相談しづらいと思います。 アイディアを提供していただいて恐縮ですが、古い体質が抜けきるには少し時間がかかりそうです。 >そのような先輩であれど、「素晴らしい技術の持ち主」である事には、 「敬意を持ちつつ(=技術を損なわず)」、「その行為のみを糾弾」出来るのが「理想」ですよね。。。 全くもってその通りだと思います。