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文中の「こと」のニュアンス

8月24日の『天声人語』に理解できない書き方があります。皆様のご意見をお聞かせください。 http://www.asahi.com/paper/column.html 「川崎洋さんの詩の一節のような素朴な幸福に、4人の走者は包まれたことだろう」という文です。 「こと」によって、次の二文はニュアンス的にはどのように違うのでしょうか。 1.川崎洋さんの詩の一節のような素朴な幸福に、4人の走者は【包まれたことだろう】。 2.川崎洋さんの詩の一節のような素朴な幸福に、4人の走者は【包まれただろう】。 よろしくお願いいたします。

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  • ysk26
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回答No.2

文法的な解説はすでにほかの方がしてくださっていますが、意味的には、この「こと」は、「…ことだろう」(丁寧形は「…ことでしょう」)の形で用いて、詠嘆を込めた推測を表します。 挙げられた例の場合、「こと」がなくても(=詠嘆を込めなくても)意味は通じますが、筆者が、知るはずもない走者の心情を、~だったのだろうなあ、と勝手に思いやっているわけですから、「こと」を入れることによって詠嘆的な気持ちを添え、主観的な推測、というよりもほとんど希望的な思い込みであることが読者に伝わるわけです。「こと」がないと、それなりの客観的な根拠があってそのように推測しているようにも読めます。 逆に、語り手の私情や詠嘆とは無関係に、単に事実関係を客観的に推測する場合には「こと」を入れないのが普通です。 ○(天気予報で)明日は晴れるでしょう。 ×(天気予報で)明日は晴れることでしょう。

tsklasnk
質問者

お礼

ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.1

文法的には、「包まれ・た」(動詞+助動詞)という動作性の言葉に「こと」を付けることで「包まれたこと」という名詞句にしているわけで、用言を体言化する働きをしていると言えます。 > ニュアンス的にはどのように違うのでしょうか。 一応この場合の「こと」は「そういう結果」とか「そういう次第」という意味になります。 ただ、例えば「包まれたという “こと” だ」の「こと」(この場合は伝聞情報の意)とは違い、この「こと」はあってもなくてもほぼ同じニュアンスで伝わりますから、蛇足の感も否めません。強いて言えば、言葉にやや余韻が出るかな‥ という程度の差しか見出せない(要するに意味よりも響きの問題)と思います。

tsklasnk
質問者

お礼

ありがとうございました。

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