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テンプル騎士団について
あからさまな質問でごめんなさい。 テンプル騎士団についてしりたいのですが・・・・・・ どのような人たちの集まりで、なんの目的のためにあった騎士団なのですか?? またどのような活躍をしたのですか?? なにも知識がないのでこんな質問になってしまいました。 知ってる方がいらっしゃいましたらお暇な時にでも回答して下さい。 お願いします。
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- Scull
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テンプル騎士団については内外の研究者がヨハネ騎士団とともに様々研究されています。現代も残る聖ヨハネ騎士団(現:マルタ騎士団)とともに、こう言う書籍を研究されるのもおススメですよ。 http://www.bk1.jp/product/01985613 「アラブから見た十字軍」 http://www.bk1.jp/product/00096311 「テンプル騎士団」 http://www.bk1.jp/product/01063291 「十字軍騎士団」
はじめまして。 他の方の補足をさせていただきます。 1099年、十字軍は聖地エルサレムを奪取し、イスラム教徒から街の「防衛」の必要性に迫られます。 1118年ユーグ・ド・バイヤン等9名の騎士が「キリストの貧しき騎士」と名のり、 巡礼者の旅の安全を確保することを使命としました。 戦士と修道士を兼ねる、実に特殊で矛盾した使命の彼らを正当化し理想とみなしたのは、 聖ベルナールという12世紀の高位聖職者でした。 これにより中世キリスト教世界において二つの特権的身分であり 「剣」「鍬」を兼ね備える「修道騎士」が不動の地位を確立することになります。 テンプル騎士団のコマンドリー(支部)建築はヨーロッパ中世時代の特徴である「防衛」と「農業経済」に適うもので大半は質素でしたが、 またイベリア半島等のイスラムの脅威にさらされていた地域においてはほとんどが「要塞化」されました。 更に同時期にできた多数の騎士団の中でも、華々しい戦果や教皇や王侯、高位聖職者の支持を得て 圧倒的人気と巨万の富を蓄積した点において彼らテンプル騎士団は傑出していました。 しかし1187年にサラディンにより聖地が陥落され、その後も失地回復の挽回のないまま度重なる十字軍の影で テンプル騎士団は銀行業など経済的・政治的利益を最優先させ堕落、破滅していくことになります。 そして1291年アッコンの陥落により、全ての十字軍の試みは挫折します。 政治的に一大勢力化していたテンプル騎士団員達は人々の反感を買い、 のちのフランス国王フィリップ美男王は12世紀末よりフランス王家の金庫番的存在であった 騎士団から王家の財産だけでなく騎士団の財産までも奪取する陰謀を企てたのです。 その際に団員達は「異教徒」という汚名を着せられて逮捕され、凄惨な拷問による「自白」の強要、 ならびに火あぶりという残忍な極刑を強いられていきます。 ついに1312年、時の教皇クレメンス5世(アビニョン捕囚の発端の人物)でさえも 「テンプル騎士団解散の勅令」を発せざるを得ない状況に追い込まれ、 パリのノートルダム大聖堂の広場で総長ジャック・ド・モレーら二人が火あぶりに処されます。 そしてその際彼らが身の潔白と共に主張した「恐ろしい呪いの言葉」がその後的中した形となり (教皇、フィリップ王、関係者達が相次いで急死)、 テンプル騎士団にはこれ以降「騎士団のどこかへ隠された財宝」、 裁判の告発の焦点とされた「騎士団への入会の儀式や生活の規則に関する様々な秘密」に彩られ、 「根拠のない不思議な伝説」が生まれることになるのです。 後に、cogitoのデカルトの時代においては「魔女裁判」が急激に増加し、 合理主義に傾倒した18世紀には「フリー・メイソン」なる「秘密結社」が誕生し、 更には「科学の時代」と言われる20~21世紀においては様々な「カルト集団」、占星術、心霊術等の 「オカルティズム」が息を吹き返すようになっていきました。 つまりテンプル騎士団にまつわるであろうありとあらゆる「秘密へのあくなき妄想」は 「人間の本性」と密接に結びつくものであり、 「神秘主義」でない時代において「こそ」逆に脚光を浴びやすくなるのです。 そして「テンプル騎士団」も決してその例外ではない、と言えるかもしれません。 参考図書: 『テンプル騎士団の謎』レジーヌ・ペルヌー著 池上俊一監修 創元社 『フーコーの振り子』ウンベルト・エーコ著 藤村 昌昭訳 文春文庫
- nacam
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テンプル騎士団に関しましては、二つの面を持つ修道騎士団でした。 ひとつは、聖地エルサレムの守護と聖地巡礼者の保護です。 もうひとつが、ヨーロッパの金融ネットワークの統括者という面です。 聖地守護の騎士団が、金融ネットワークの統括者となったのは、騎士や領主たちが十字軍に行った時の領地管理を受け持ったり、本国からの送金などを扱った事に始まります。 封建領主たちが、十字軍に参加しているうちに、自分の所領が誰かに取られたり、災害などで壊滅することが無いように、テンプル騎士団に運営を委託しました。 その時、領主が死亡した時は、テンプル騎士団がその所領を受け取るという条件で。 また戦地への送金や侵攻地での略奪などの利益を送金する事も請負い、金融にふかくかかわってゆきます。 特にエルサレム王国が滅亡したあとは、金融面に重点がおかれ、聖地との送金業務だけでなく、ヨーロッパ都市間の為替なども扱い、莫大な利益を上げていました。 こうした行為が、反感を買い、テンプル騎士団は、異端であるとされ、取り潰され、構成員は処刑されます。 テンプル騎士団が異端とされたのは、テンプル騎士団に入団するときに、キリスト像を踏みつけたり、マリア像にツバをかけるなどを行っていたからだとされています。 実際、それは事実であったようです。 イスラム軍との戦いで、捕虜になった場合、キリスト教を捨てた証拠として、それらの行為を行えば、釈放されたため、まず入団者には、そうした行為ができるように教えられたそうです。 実際は、テンプル騎士団の財産を狙ったフランス国王の謀略というのが定説になっています。
お礼
回答ありがとうございます。 キリスト像を踏みつけたり、マリア像にツバをかけたと書いてあり、驚きました。 騎士団に入る人はキリスト教信者でもそのようなことのできる人じゃないといけなかったんですね。 ほんとうにありがとうございました。
- dichalozan
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こちらをどうぞ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3
お礼
参考になるサイトありがとうございます。 回答ありがとうございました。
お礼
本当によくわかりました。 こんなに詳しく説明していただけて嬉しいです。 回答ありがとうございました。