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国家意識
みなさんは「国家意識」というものを持っていますか? また、「国家意識」をどういったものだと思っていますか? 「日本」を一生、自分自身の国家(アイデンティティ)としていきたいと思っていますか? 「国家」や「国家意識」に関わるののであればどんな意見でもOKです。 たくさんの方の回答を待っています。 よろしくお願いします。
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こんばんわ。国会意識ですが、日本人としてこの国に生まれたのも、何なの縁でしょうから、大げさに国会意識というのもをもったことはないんですね。 なんか当たり前のようなそんな感覚なんですよ。よく日教組だか何かの、組合が、日の丸反対!と騒いでいますが、私個人的には、良いんじゃないの?です。 天皇制は、ちょいと個人的には、肯定したくないんですがね。しかし、国家、国というのは、当たり前のような感覚ですです。 国会意識を特に強く感じるときは、オリンピックのような国際競技のときですね。
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- zyaba
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国家を代表するのが行政です。戦後50年間 国民は日本復興のため積極的に行政に関わっていったような気がします しかし現代は行政を監督する力を失っているような気がします 我々国民が見抜く力を失えば、嘘も平気で力を持ってしまいます。見破れば一瞬で力を失います その原因は、我々が国家を建設していくんだという意識の欠如によると考えます やはり環境は自分で作っていくものなので、無用な責任転嫁はしたくありません。常に当事者は自分であると思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 新しい意見でとても参考になりました。 >その原因は、我々が国家を建設していくんだという意識の欠如によると考えます 国家意識の欠如を行政関連で話を聞いたのは私は初めてだったので、思わず「なるほど」と納得です。 >やはり環境は自分で作っていくものなので、無用な責任転嫁はしたくありません。常に当事者は自分であると思っています。 いい考えですね。国家意識があるにしろないにしろ大切なことだと思います。 ありがとうございました。
- majimekun
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日本人にとって国家以前に市民感覚というものは無いような気がします。というのも自分達で作り上げた市場というものはあっても、自分達の祖先が直接国家を作り上げたと言う経験が無いからです。律令国家を作ったのは天智天皇から文武天皇などを中心としたごく一部の人たちだし、幕府は支配階級が作り上げたものですし、明治の維新も錦の御旗をかかげて作ったものです。たとえば独立戦争をしたベトナムなどのほうが、国家を誇りに思えるのではないでしょうか。また、フランスやドイツの市民革命を経て(啓蒙するエリートを自分達の中から育て上げた結果)今の国が成り立ったのだと誇りをもっていたり。 日本はそういう経験もないので、国家意識は島国根性でしかないような気がします。ただ、結局歴史のある国なので独自の文化を育ててきたことを思い出せる独特の日本を体現する町並み、劣等感の克服ができれば、国家意識もはっきりしたものとして出現してくると思います。 これは私個人の意見ですからみんなの意見と違うかもしれませんね。 生まれた国なので、外国人が攻めてきたら、竹に出刃包丁をくくりつけてでも戦う覚悟はできています。むじゅんしてますか?
お礼
回答ありがとうございます。 >日本人にとって国家以前に市民感覚というものは無いような気がします。 ここでいう「市民感覚」というのは、何を指すのでしょうか。私自身、かなりの勉強不足なもので、基本的な質問になってしまいますが。。。 >自分達で作り上げた市場というものはあっても、自分達の祖先が直接国家を作り上げたと言う経験が無いからです。 確かにそのとおりです。日本は島国で、国境という概念はないですし、民族的にも単一な民族であって、外的に進入、侵路された経験もありません。幕末~明治初期に無理やりつくり上げてしまった、という印象ですね。 >律令国家を作ったのは天智天皇から文武天皇などを中心としたごく一部の人たちだし、幕府は支配階級が作り上げたものですし そうです。律令国家をつくったあともその支配下に置かれていたのは周辺の人々に限られていたし、東北や関東では依然として、他の勢力が支配下においていたと思います。 >幕府は支配階級が作り上げたものですし 鎌倉幕府に限ってですが、元寇のときには武士たちは日本という国を守るために戦いました。だからといって、彼らにどれほどの国家意識があったかというと、かなりの薄いものであるように思います。それに、彼ら以外(鎌倉幕府にほとんど関わっていない民衆たち)には、彼ら同等の意識のかけらもなかったでしょう。 >明治の維新も錦の御旗をかかげて作ったものです。 この部分は、先ほど述べた通りです。 >たとえば独立戦争をしたベトナムなどのほうが、国家を誇りに思えるのではないでしょうか。また、フランスやドイツの市民革命を経て(啓蒙するエリートを自分達の中から育て上げた結果)今の国が成り立ったのだと誇りをもっていたり。 納得します。 >生まれた国なので、外国人が攻めてきたら、竹に出刃包丁をくくりつけてでも戦う覚悟はできています。 私もそうですよ。国家意識がそんなになくても、やっぱり自分の生まれた国は大切ですし、外国人と戦いますね。たとえ自分が負けるとわかっていても。 私が思うにですが、日本人は自分たちが国家意識を自覚していないだけで、実ははっきりと国家意識を持っているのではないでしょうか。それが、オリンピックのような世界大会や、あなたの述べた「生まれた国なので、外国人が攻めてきたら、竹に出刃包丁をくくりつけてでも戦う覚悟はできています。」という意見につながるのではないでしょうか。 私はまだまだ勉強中の身で、偉い先生でもありません。だから、あくまでも私の一個人としての意見です。矛盾しているのかどうかは、私には断言できませんが、よろしいでしょうか。 以上のことについて意見がありましたら、またよろしくお願いします。 ありがとうございました。
- anaank
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三度失礼します。私は訪問した経験がありませんが、北朝鮮のように情報が偏り、幼いころから思想教育をされ、金一族を崇拝するような国家意識も不幸な気がします。 テレビで、脱北者のインタビューを眺めましたが、北から出て初めていろいろな現実がわかったり、発言で着たりする状況は、恐ろしいです。 人為的に都合がよいように、国民に植え付けられる国会意識も問題があり、恐ろしいものです。
お礼
三回も回答ありがとうございます。 確かに、北朝鮮の教育方法はとても恐ろしいものですね。それは私も常々思います。けれど、戦前の日本も同じ状況だったのかと思うと、それもまた恐ろしいものを私は感じます。本当に戦後の世に生まれてよかったなぁと。それには、教育に限らず、経済状況なども見てのことですが。 人々の国家意識というものは、特に近現代において、教育によってなされるものであると私は思います。その教育の背景には、「人為的に都合がよいように」、政府がしかけているものがありますね。なので、将来は人々が自由に自分の国家意識を持てるような世界社会になればいいですよね。 しかし、それには世界全体が平和でなければならないという前提がありますので、実現するにはなかなか難しい問題です。 返事がおくれまして、すみませんでした。 ありがとうございましらた。
- anaank
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早速のお返事を有難うございました。大学のレポートですか?頑張ってくださいね。余談ですが、大学といえば、もう何十年前の話でしょうか? さて、戦争が日常的に起こっていた嘗てのわが国においては、国会意識というものは、それこそ日常的な感覚であったのではないでしょうか? 見方を変えると、オリンピックなどの平和的な祭典の際、国家意識を感じるということは、むしろ幸せではないでしょうか? 戦争により、国会意識を感じるということは、不幸だ!と個人的には感じますね。
お礼
再びの回答、本当にありがとうございます。 「オリンピックなどの平和的な祭典の際、国家意識を感じるということは、むしろ幸せではないでしょうか? 」 確かにそうですね。 私たちは平和な世に生まれて、平和に暮らして幸せですね。 私も戦争がきっかけで国家意識を持つなんて、やっぱり嫌です。 世界各国では戦争や紛争が多々起きていて、そんな国々の人々は様々な危機感とともに、国家を感じられずにはいられない状態だと私は思います。 そんな彼らに比べたら、私たちは本当に幸せですね。 正直、この質問に回答は来ないかも・・・とかなりの心配をしていたのですが、2回も答えていただいて、本当に感謝です。 しかも人生の大先輩に… (笑)。 ありがとうございました!!
お礼
回答ありがとうございます。 実際、私も国家意識なんてないんですよね。 あなたと同じく「オリンピックのような国際競技のとき」にはやっぱり国家意識を感じますけど。 「国家、国というのは、当たり前のような感覚」ていうのも当たってる気がします。 今、大学のレポートで国家意識をやっているんですけど、文献読むより意見を聞いたほうがいいような気がして、質問させていただきました。 やっぱり日本人には国家意識なんてないんでしょうかねぇ?? また意見がありましたら、何回でもいいのでよろしくおねがいします。 参考になりました。ありがとうございました。