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発達障害の早期発見・療育は 本当にいいのでしょうか?
私には現在2歳4ヶ月の息子がおります。 子供は母乳で育てたのですが、授乳中に目が合うということがほとんどないという子でした。 育児書には「授乳中は目を合わせて語りかけながら」などと書いてますが、目が合わないのでどうしようもない、という感じでした。 私は当時、とても不安に思って発達障害についてネットで情報を漁っていました。 しかし、10ヶ月ころには授乳中に目も合い、おっぱいを噛んで私が(ふざけて)痛がるのを見てはケタケタと笑うようになりました。 1歳すぎには指差しもするようになり、発語も多く、1歳半では2語文もいくつか出て、検診でも引っかかることはありませんでした。 私は心配していたことは胸にしまって、もう少し様子をみていこう、と思ってここ1年過ごしていました。 しかし、先日義母が「この子、目が合わない!これって障害よ!!」と言ってきました。(ちなみに0歳から同居してます) その1点だけで「障害よ!」と騒ぐ義母に腹が立ちました。 でも同時に「気づかれてしまったか」「やはり私以外からみてもおかしいのか」というようなショックでもあったかもしれません。 普段、子供から話しかけてくるときは目が合います。でもチラっと合う、という程度。義母が騒いだときは、息子を叱ったときでした。息子と向き合って「目を見なさい」と言っても30分以上見なかったのです。叱られてバツが悪いから見ないとも取れるし、それにしても30分も目をアチコチへとそらし続けるのはおかしいとも思えます。 視線が合わないほかに気になるといえば、 ★走り回る 外出先もそうですが幼稚園のプレスクールでも他の教室へ行きたがって脱走したり、お弁当の最中も一口食べては走り回っている でも以前に比べれば若干マシになったようにも感じます ★お友達に興味がないように見える 少し年上の子供にはすごく興味があり勝手に混ざろうとしたりする ★偏食 幼稚園のお弁当などは食べられるものが少ないので苦労しています 偏食で、小食です。 早期発見・早期療育が良い、子供に不安があれば受診した方が良いのだろうと思っていたのですが、正直今はわからなくなっています。 ネットで見ても、発達障害と診断されたものの、成長とともに健常児と変わらない子になり医師の診断自体に疑問を持つ親御さんの声もみられます。 一度診断を受けたら、「このこは特別な子なんだ」と悲観してしまいそうです。たとえ後に健常児と変わらないくらいになっても、きっと不安はぬぐえないのと思うのです。 私は田舎住まいで車もなく仕事もしていて療育に通うとか、良い医者を探してまわるという時間もお金も捻出できない状況です。(実際診断がつけばそんなことは言ってられないのかもしれませんが) 義母はボランティアで障害のある子供たちと関わったことがあるので、そういうことに人一倍過敏です。一般の人よりは知識はあるかもしれませんが、実際は中途半端な知識だと思います。 発達障害というのは「●●だから、○○障害」というふうに単純なものではないと、ネットで見る限り私はそう思っています。十人十色、目が合っても障害の子はいる。障害があるのか、ないのか、それは全体像としてとらえる、と読んだことがあります。そしてフォローが必要なレベルであればやはりそれは障害であろうとも。 今の息子の状態では、普通の2歳児か、それとも発達障害か微妙なラインではないかとも思うのです。でも目が合わないのはやっぱり変、とも。幼稚園の先生にも息子の様子をどう思うか聞いてみようとも思っています。 「不安なら専門機関へ」がこの手の質問への回答のセオリーだと思いますが、焦って受診して安易に診断をつけられることに強い不安があります もう少し様子をみて幼稚園に正式に入園しても集団行動に入れないようなら受診しても遅くないのではないか、と思ってもいますが「早期発見早期療育がベスト」と言われている現代で私の考えは甘いのではと悩みます。もし診断名がついたら先延ばしにしたことを後悔するかもしれないし。 最近は義母の言葉が残ってしまい体調も崩してしまいました。 先日幼稚園で教室を窓からのぞいたら息子が隣にいたお友達と二人で何やらおしゃべりをして二人でお互いの靴を見て遊んでました。その姿にコミュニケーションがとれてるんだ、とホッとしてもいたのですが、今となっては、会話しているように見えて実際は会話になってなかったのかな・・、などと色々思い出しては不安になったり悲しくなったりしてしまいます まとまらない文章で申し訳ないのです。不快に思われた方がいらしたら申し訳ありません。 何かお言葉をいただけたら幸いです。
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#4です。 お礼をありがとうございます。 お義母さんが「障害」という言葉を使ったのは軽率だと思うし発達障害は素人では判断できませんし医者でも判断するのが非常に難しいのであまり気にする必要はないと思います。 そういった仕事に関わってるから敏感になってるんでしょうね。 また旦那さんや親に理解を求めるのも非常に困難なことなんですよね。 うちも未だに理解してるか?ってなると理解はされてないと思います。 ちなみに子供の事で分かりましたがたぶん主人もADHDやアスペルガーの特性を持ったタイプみたいです。 謎な部分が溶けて私はすっきりしましたがまあ何とか育ってきて結婚もして職にもついていますし生きてく中で人とのやり取りは自然に学んできたのでIQが高い部分や暴走しやすいなどを除けばいたって普通です。 でも幼い頃はやはりほったらかしだったので大変な幼少時代を過ごしています。 でも自分もそうやって育ってきたわけだから今の時代のように特別支援制度だの何だの理解できないようです。 いいじゃんか普通で!個性があるってのはいい事だ!みたいな。 ボーダーなラインにいる子は本当に難しいと思うのですが要するに親がどう受け止めるかだけであって「我が子の個性・性格です」といえばそれでいいのではないかという思いも私自身あります。 輪から外れてるだけで「障害」いう枠に全てを当てはめる風潮はどうなんだろうか?と私も思います。 結局は学校・集団生活という問題があるから悩んでるだけなんだと思います。 現代では軽度発達障害の人たちは障害と言われてますが以前本で読んで感じた事を書きます。 人間の歴史は長くその間にどんどん進化していってますよね。 だって少し前は猿だったわけだで話せないし二足歩行もできなかったわけで。。。 今の時代では浮いてしまう発達障害ですが遠い未来を考えれば人間の新たな進化形の子達とも言えるそうです。 遠い未来には個性を持ちさまざまな分野で能力を生かせる人間というのが当たり前の存在になっているかもしれません。 産まれ持った脳の障害と言われていますが原因は未だにはっきりとされていません。 今の時代だから浮いてしまう存在かもしれないけれど人間が進化していくにはどこかでその途中経過の時代が必ずあるわけです。 突拍子もない話ですが色々な本を読むとなんとな~く納得できるような事も多々あります。 例えばADHDの子達は「インディゴチルドレン」と言われてるそうです。 オーラー写真を写すとインディゴのオーラが出るそうです。 この色を持った人間は随分昔に存在を一度消していたのですが最近になって増えてきたそうです。 もっと現実的に例えると狩人と農人が昔はいて狩人タイプの人間は減り農人タイプだけになったけれど最近になって狩人性質を持った人間が再び増えてきたそうです。 それがADHDの特性を持った子達とも言われてるそうです。 ただ現代ではまだまだ浮いてしまう存在のようです。 でも逆に考えれば遠い未来には今普通と言われてる人たちが「遅れている・障害」となってるかもしれないわけです。 非現実的な話のようですが海外での研究は進んでいるので海外では理解も多く受け入れ態勢が進んでいます。 日本人のように常識・普通にこだわる人種世界では中々難しいですが最近はだいぶ理解が出てきたので我が子達が大きくなる頃には今よりかは生きやすい世の中になってるのではないかな~と思います。 実際に発達障害を持ってる方は能力的に優れた部分を持ってる場合が多いです。 実際にそれを生かせてる方もいるし生かせないまま生きづらさを感じて二次障害を起こしてしまう人もいます。 個性を十分に生かし能力を発揮させてあげるにはやはり育つ環境・周りの理解が大切になるんですよね。 ちなみに我が子の場合は記憶力がすごく優れています。 また理屈っぽいので研究などが向いてる感じです。 気になればとことん追求して答えを見出したいみたいな。 旦那の場合はIQが高く普通の人とは違った形で答えを見出します。 例えばパズルは裏向きで真っ白の状態で作るのが楽しいとか数式は自分で作って答えを出すとか・・・ 運動神経が異常に優れていたり・・・(嘘みたいだけど8階ぐらいから落ちても反射神経で途中で捕まり生き延びてたりします^^;) テレビなんかを見ててもそうだなと感じる人は多いです。 まあとにかく大変な事も多い人たちですが自分にはない部分を多く持ってるのでおもしろいといえばおもしろいです。 少し不思議な話を書いてしまいましたが色々な本を読んでみると考え方や視野も広がると思いますよ。 また子供にそういった心配がなければ知識もなく自閉症=自閉症と大きな枠でしか知らずそういった軽度の障害を抱え苦労してる方たちのことも知らなかったわけで自分にとってもすごく勉強になったと思いました。 私も昔は悲観し悩んでたので質問者様がすぐに前向きになるのは難しいと分かるので私は今となっては楽観的になりすぎてるかもしれませんが少し前向きになれそうな楽観的な話をさせて頂きました。 少し気持ちが晴れるといいなって思います。 これから先にお子様が何か集団に馴染めないなどまんがいち心配が出たとしてもきちんと育ててあげる事ができる親の元に子供は産まれてきたので大丈夫だと思います。 質問者様は既にすごく理解がある方だと感じますしきっとお子様を理解してサポートしてあげれる素敵なお母様だと思います。 ちなみに最後に他の方の回答で気になったのですが・・・・ 発達障害はあくまで産まれ持った脳の障害なので育った環境や親の躾で発達障害になることはありません。 成長過程や親の虐待などで問題が起きた場合は精神障害になります。 また遺伝性についても私は多少あるのではないか?とも感じますが実際は正式なデーターは出ていないようです。 こういった誤解の部分が未だにある日本社会です。 目に見える障害ではないので難しいとは思いますがこれから先に理解が増えていくことを願いたいです。
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- ai-ai-ai
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#7です。 落ち込ませてしまってごめんなさいm(_._)m 言葉が足りませんでしたね。 私がプレスクールに行かせなかったのは、我が子が人との関わりを嫌がるように感じたからです。私は専業主婦で、子ども2人と家にいても煮詰まってしまうので、毎日のように子どもを連れて遊びに出掛けています。その中で、息子はお友達が使っているおもちゃを取ろうとはしないけれど、自分の遊んでいるおもちゃに人が近づいてくることを極端に嫌がり、近づいてくる子に手を出してしまっていたのです。押し倒してしまってお友達が頭を打ってしまったことも、「来ないで!」と出した手がお友達の目に入ってしまったことも、かみついて怪我をさせてしまったこともありました。こんな状態で目を離すのが怖かったのです。また、プレスクールと言えば、ドキドキしながら初めての集団生活を始める子達が集まるところですよね。「○○君がいじめるから行きたくない」と我が子のことを嫌がられても、これからの幼稚園生活が不安ですし・・・。 ただ、我が子に社会性を身につけるためには、我が子を自分の近くに置いておくだけではいけないと思っています。必要な時期には集団の中に身を置くことも必要だと思っています。だから、幼稚園も2年保育に行かせるか3年保育に行かせるかも悩んでいます。 「療育が必要」と言われたら、幼稚園自体は2年保育でも良いかもしれないけれど、その他に行かせる場がないのであれば幼稚園は3年保育に行かせた方が良いように思えるし、でも、それが出来るのかどうか・・・。 私もまだまだ勉強不足な上に、我が子のことですから思い入れも強くて、なかなか判断できずにいる状態です。 考えた結果と言うより、臆病者で新しいことを始める勇気がなかった結果、プレスクールに行かせなかったのかもしれないと思うこともあり・・・。 質問者様を落ち込ませるつもりはなかったのに、言葉が足りなかったために嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。 話は変わりますが、「人見知りがなく、人が大好きな子」とは、羨ましい。我が子の発達を不安視する原因の一つは「人見知り、場所見知り」が強いこともありますから。(もちろん、それだけではありませんが。)
お礼
二度も回答いただき、ありがとうございます。嫌な思いなんて、全くしていません(><) お礼の場で簡単に「落ち込んだ」なんて書いてしまい、こちらこそ申し訳ないです。 ai-ai-aiさんに頂いた回答を読んだときに「そいういえば私はわが子にとって何がストレスになるかなんて、全然考えていなかったな・・・」と気づかされたのです。 去年の秋ごろでしょうか、プレスクールに入れる時点では、正直わが子の発達についての不安はほとんど忘れていました。 無知だった私は指差しができて、お話ができていて、親と手をつないで歩ければ大して心配ないと思っていたのです。お恥ずかしいかぎりです。 わが子は後追いもなく、仕事に行くときも、幼稚園に送っていくときも、母親と離れたくないと泣いたことは一度もありません。誰にでも抱かれるし、別な子供の母親に抱きついたりします。 実は、それはそれで不安要因のひとつです。 一応他人と家族の区別はついているように見えるし、夜は「ママと寝るー!」と泣いてくれたりするのですが・・・あまりにも他人に慣れすぎていて疑問に思うこともあります。 4世代同居でまず家族が多く、親戚も多く付き合いも盛ん。大勢の知らない大人に抱かれたり、遊んでもらうのが当たり前で育ったせいかもしれません・・でも本当のところはわからないです。 知らない場所も、満面の笑みで走りだし、探検したがってすぐ消えてしまうのです。 ai-ai-aiさんはお子さんが人見知り・場所見知りの強いことを不安に思っていらっしゃって、私は息子の人見知り・場所見知りのなさで不安に思っているのだから、「発達」というものは本当に難しいなと思いました。偏りというのは不安になるものですね。 今日、幼稚園で息子のことを聞いてみたのですが「もう少し様子をみてはどうですか?」というような事を言われました。 待つことも少しずつでも覚えていますよ、と言われホッとしたような「本当にそれでいいのかな」と複雑でもありました。 でも、機会をみて発達相談には行ってみたいと思います。私も今回質問してみて、いかに自分が無知か改めて知らされました。 私と同じように現在進行形で悩んでいる方がいるんだ、と勝手ながら心強くなりました。二度も回答いただき、本当にありがとうございます。とても嬉しかったです。
- ai-ai-ai
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2歳8ヶ月の長男ですが、発達相談の予約を取っています。 この子はのんびりと成長する子で、それはそれで問題ないかとも思っていたのですが、ここ数ヶ月「赤ちゃん返り」「魔の二歳児」だけではないような難しいものがありそうな気がして、たまたま遊び場にいらした心理士さんに相談した結果、発達相談に行くことになりました。 「この子は特別なんだ」とか「障害者」とか、そんな言われ方をするのは腑に落ちません。これも「個性」の一つだと思っているからです。自閉症の場合はその程度は様々で、自閉傾向のある健常児と助けがないと社会生活を送るのが困難なほどの方といらっしゃいますよね。「自閉傾向」と言うだけなら「ちょっと変わっている」という表現や「天才肌」で片付けられてしまうようなものですから。我が子は、この数週間の成長が著しいので、今考えると「個性」の範囲で済んでいるような気がしています。 でも、こんな状態で来年から幼稚園に入れるかと思うと、やはりこの子にとってのストレスは他のことは比較にならないほど大きいものになるのではないかと不安です。(プレスクールに行かせることも考えていましたので、見学には行きましたが、まだまだ集団生活を送ることは無理だと思い、今年は見送っています。) この子にとってストレスのない導き方をしたいと思っている私には、相談に行ってそこでこの子にあった声掛けの仕方を教わりたいと思っています。声掛け一つでこの子の癇癪の激しさが全然違うのですから。 療育に通っているこの話を聞いて、集団の中で「先生」という人の指導の元で過ごすと言うことにも大きな意味があると思いました。だから、必要であればその場に行かせたい、と言うか、我が子が発達障害があってもなくてもそういう場で学ぶことには意味があると感じています。 何も解決にならない回答で申し訳ありません。
お礼
回答ありがとうございます。 うちの子と同学年のお子さんがいらっしゃるんですね。 私も発達相談をうけてみようかと思い始めています。 私は働いているのですが、保育園には入れなかったので同居の家族が子供をみています。そのため、同年代の子供とのふれあいや散歩の機会が少なく、プレスクールに入れました。 人見知りがなく、人が大好きな子なので良いと思っていたのですが(実際楽しく通ってはいるのですが)ai-ai-aiさんの回答をみて、安易だったのかなあとちょっと落ち込みました。笑 でも ずっと家の中にいさせられるより(家族は公園などに連れて行ってくれない)、子供の中にいれることで、良いことにしても、そうでないことにしても、とにかく何かが分かるかもしれないという期待があったのも事実です。それと面接のときの先生の「最初はみんなこんな感じですよ~」の言葉を信じて入れました 正直怖いですが、そろそろ半年たつので幼稚園の先生に率直にどう思うか聞いてみようと思います。それをもとに発達相談にも行ってみて療育がどんなものか勉強したいと思います。そしてわが子にはどんなことが考えられるのか、どんな育児が向いているかなど、学びたいです。 現在進行形でのお話は大変参考になりました。ありがとうございました。
- noarin
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私の子どもは発達遅滞児です。4歳の時に診断されました。 それ以前から?と思っていたのですが、診断はその年齢に なりましたが、ずっと疑っていたので、どちらかというと ああ、やっぱりなぁ、という気持ちになりました。 (こういうふうになるのは、少数派らしいです) 小さい頃から療育を受けてきました。診断を受けたのは 療育に通いたかったからなんですが、あの時受けていて、 そして療育に通えて良かった、と今心底思ってます。 親の私がいろいろと勉強して、子どもに合った方法を 見つける事ができたこともあります。 それと、今は「安易に診断する」ことはないと思います。 だからこそ「なかなか診断名がつかないジレンマ」に 悩む親御さんも多い事も事実です。ですが、ある傾向の 可能性があるかも、というのでしたら、その傾向のお子さんに 合った方法を早く知る事ができ、実践して積み重ねていく ことができます。 私の子どもは養護学校の高等部に通っていますが、この年齢に なってくると、障碍の程度に関係なく、小さい頃からの 積み重ねがあるお子さんは落ち着いてきます。 「しなかった後悔はしたくない」と私は思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 長々と書き込みしている割に、私は療育というものが実際どういうことをするのかがハッキリとわかっていませんでした。 いまさらながら気づきました。私の住んでいる地域にもちょっと遠いのですがそういった機関があるようなので、まずは幼稚園の先生に聞いたうえで、それから相談してみようと思います。 今回色々な回答をいただき、拝見していくうちになんとなく自分の中で考えが変わってきた部分があります。みなさんのおかげだと思います。 「自分の子供に診断がつくのがこわい」という思いが強かったのですが、だんだん「わが子のことをもっと知りたい、そしてどうすればわが子のためにベストなのかを知りたい」という気持ちが生まれてきました。 仕事もしていて、車もないため、なかなかパッパと行動にうつせないとは思うのですが、少しずつでも動いてみようと思います。(もしかしたら、その中で決定打が出るかもしれませんし・・) ありがとうございました。
- piis111
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詳しく覚えていないですが発達障害の診断を受けるのに適した年齢があって遅すぎても早すぎてもいけないそうです。後医師によって診断がまちまちで「障害有り」だったり「無し」だったりする事もあるそうです。いくつかの医師から診察を受けた方がよいのかもしれません。 本に書いてあった事ですが 1遺伝による影響が大きい。 血縁者で発達障害らしい人はいませんか? 2子供が出来てから虐待に走るケースがある。(本には多いと書いてありました)子供も発達障害になる可能性が高い。 3食べ物の好き嫌いが多い。(出来るだけ何でも食べられるようにように育てる事が望ましい) 4この本の作者が言うには小学校は普通学級でコミュニケーションなど学び、中学校は特別教室で生活、高校は養護学校に進学して訓練を受け障害者枠で就職するのが望ましいそうです。就職先ですが障害者枠がある所は大企業が多く能力が高くても高卒では入社出来ない所に就職出来るそうです。 企業もある程度大きくなると障害者を採用しなといけなくなり、出来るだけ能力の高い(障害の程度の低い障害者)を求めているそうです。 別の本には 1不思議な事に発達障害者は上流階級の子供には少なく、下流階級の子供に多い。 つまり教育に金をかけなど恵まれた環境で育てた子供は障害があっても日常生活などに支障なく出来る。しかし荒れた環境で育ったり教育を受けると支障が出てくる。 2昔はこのような人達は障害者では無く職人・変人・変わり者位にしか思われていなかった。しかし先進国を中心に高学力・学歴社会、コミュニケーション重要社会になり職人が必要無くなってくると彼らは障害者になった。 3アメリカを中心に学力・コミュニケーションが重要視される国で発達障害者が激増。普通学級から特別学級学校に移動されられる事も多い。 これは個人的感想ですが発達障害者の例として変わり者の天才やトム=クルーズを出してくる研究者や本が多いです。ただそれは発達障害を持つ人達にとって良いことなのでしょうか?親は嬉しいと思いますが。 当人たちはある程度の年齢になれば自分の事が分かってくると思いますそのような能力は持っている人が多いと思います。 「トム・クルーズはイケメンだけれども私はただの馬鹿だから」と発達障害者の女子中学生がいったそうです。天才になり認められるのは一握りで後は障害といっしょに地道に生きていくしか無い人達です。
お礼
回答ありがとうございました。そうですね、セカンドピニオンは必須だと思います。 1 親戚にLDの子がいますが、その子は遺伝的LDではなく出産時のトラブルにより超未熟児で生まれたことが原因でのLDだと医師から診断を受けています。 2 私自身が虐待をするという意味か、子供が大きくなってから虐待をするという意味かはわかりませんが、私のことであれば私は虐待はしていないと思います。同居で家族が多く助けられているので、発達に関して不安はあっても、育児そのもので思いつめることはありません。 3 子供のことでしょうか?偏食はないにこしたことはないです。ある程度は親の努力で直ると思います。 上流階級の教育を受けたことがないので詳しくはわかりませんが、手厚いサポートのもと、熱心な教育者がその子のことを考えた教育を受けさせてもらえるなら、それは発達遅滞があろうとなかろうと、子供にとって良い結果をもたらすと私も思います。 昔より「障害者」が増えましたが、それは悪いことばかりではなく、二次障害を防ぐことにつながるとも思います。 生きにくさを抱えたまま、自分に自信が持てないまま大人になったり、友人がなかなかできない自分に悩んだり、結果的に精神を病んでしまったり・・・そういうことを予防できるのではと思います。もちろん完全には防げません。表現も変えるべきだと思います。誤解を招かぬ表現に。障害、ではなく障碍、という表記が最近は主となっているようですね。ただ本質的には表記や表現の問題ではなく、世間一般の「理解」の問題だとは思いますが・・・ トム=クルーズなどの例については、piis111さんのように知識のある方からすれば「またその話か」とウンザリする話だと思うのですが、知識がなくわが子の将来を悲観していた親が初めてその話を知れば「わが子の可能性はゼロではないんだ」という希望になると思います。 私もその話を知ったのはずいぶん昔ですがそのときは「へえ~!!」と思ったものです。定型発達児だからトム=クルーズのようになれるわけではないし、発達障害だからトム=クルーズになれるわけでもない。たぶん、なれるなれないの可能性は定型発達児でも、そうでなくても大して変わらない、そういうことかなと私は思っています。色々詳しく記載していただきありがとうございました。参考になります。
正に私が4年間悩み続けてきた内容だと思います。 長男はボーダーなラインさまよい心配して育ててきました。 1歳半で言葉の遅れをきっかけに心配がはじまり3歳半まで定期観察で心理・言葉の先生に診てもらってました。 3歳半でペラペラ話だして遅かったもののその後は言語は順調に発達しました。 言葉遅れ以外には何も心配はなく視線も合い多動もありませんでした。 定期観察が終了した3歳半を過ぎた頃から今度は保育園での集団行動に問題が出てきました。 物事の切り替えが難しい・偏食が激しい・昼寝をしない・マイペース・友達との関わりより先生との関わりを好む・こだわりがあるなどとにかく発達障害と疑われる行動が当てはまりまくりました。 決め手は運動会で1人輪からはずれ好き放題やってました。 ただ今になって思うと・・・ 長男は早生まれでしかもマイペースな発達の子でした。 しかもちょうど下の子が産まれ赤ちゃん返り真っ最中・・・ しゃべれるようになった事で魔の2歳児がなかった代わりに魔の3歳児って感じでした。 今思えばこれだけ理由が揃っていると成長の過程だった気がします。 でも当時は親からしても手がかかり周りと比べてしまい何かおかしいと思いました。 また園の先生も口うるさい人で心配してる私に心配を仰ぐような人でした。 市の発達相談へ行くと成長の過程と言われたのに・・・保育園に来る発達相談の先生は子供の様子も見ず園の先生の愚痴とも言えるような内容を聞き10分ほどで「発達障害ですね」って言いました。 衝撃的でした。 正直10分でこの子の何が分かるわけ?私は1歳半~心配して相談に向かってたけど「障害」って言葉をあなたは10分で出すわけ?という怒りもありました。 3人が「障害ではなく成長の過程」と言ってくれても1人が「障害」って言えば親としては心配になるわけです。 なのですぐに病院へ行ってはっきりさせる決断をしました。 でも予約は半年待ちで早期療育の話は知っていたのでもし障害があるなら半年も無駄にしたくないという思いがあり自ら市の療育に通わせてもらおうって決断しました。 そんなこんなで現在5歳の年長さんになります。 療育にはあれから通い続けて卒園まで通う予定で病院で診断は出ませんでした。 テストの内容としては知的に問題もなく自閉傾向もさほどなく凸凹も特になく社会性も歳相応でした。 今は本当にしっかりして集団行動もきちんとこなし友達とも遊びコミニュケーション力も十分あり心配な面はありません。 でも息子は普通とは少し違う考え方の気もするし不器用な面があったり考えすぎる面もあると思います。 広汎性発達障害に当てはまるかもしれないし性格かもしれない。 普通ってなんなんだ?と思えば性格・個性だと思います。 だから大人になればなんて事ないことですが日本ではどうしたって普通・みんなと一緒・集団行動っていう教育が付きまとうので少し外れてる子がいると障害だ~ってなるんですよね。 就学はどうしようか?通級に通わせようか?とずっと悩んでいます。 主人は何も問題はないと言うし私もそう思います。 確かに昔は変わった子も普通学級にいた時代だけど現代は特別支援制度ができたわけで時代が変わったんだ。 私も新しい考えにならにとなって思ってます。 親からではやはり中々第三者の目で見ることができないので最終的には就学相談で第三者からの判断とテストの結果で決めたいと考えています。 何かしら不得意面があり通級がふさわしいという結果が出れば親が認められなくてもきっと息子にとっては低学年のうちだけでも通級に通ったほうがバランスを上手くとって勉強を学べる子なんだと思います。 何も問題がなければ散々心配してきたけど良かったねってなるわけです。 心配しながら何もしてこないで後々後悔するよりも結果的に問題はなくてもやりつくしてきたのであれば良かったねとなり後悔はないと思います。 息子に軽度の障害があるのかないのか今も分からないですが療育に通わせてよかったと思います。 療育でやる事は障害あるなしに関係なくプラスになる事だからです。 周りを見渡せば軽度の障害があるだろうと思われる子って結構多くいます。 アスペルガーと思われる子は私から見るとあきらかにそうで親も多少心配していて園の先生からも指導が入ってますが親が受け入れられないでいます。 でもやはり幼い頃に親が受け入れてあげてるか?あげてないか?で5歳ぐらいになると大きく違いが出てきます。 私が悩み続けてきて感じた事は障害名や診断はどうでもいいってことです。 はっきりする障害であれば診断名がついたほうがいいと思いますがボーダーな子の場合は診断名より親や周りがその子の事をどれだけ理解してあげれてるかだと思うんです。 親が理解してあげてれば先生にも伝える事ができるし。 でも親が理解してあげてないと一番苦しむのは子供なんです。 わがまま・自分勝手で集団行動しないでいるわけではなく本人の脳の作りでどうしてもこだわる部分・忘れてしまう部分などがあるって事を理解してあげないと誤解を受けたままただ叱られ窮屈な思いを子供はしていかないといけなくなります。 おっしゃる通り今すぐにどうこう行動をとる必要もないと思いますよ。 ただ親が感じる不安・心配っていうのは何だかんだで一番正しいのであなたの中で心配事があるならそれから目をそむけるよりも向き合って前に進んだ方がお子様にはプラスになると思います。 とりあえず3歳までは今のまま様子を見てみてはどうでしょうか。 2歳児は一番分け分からない時期ですし。 当時は私も悩みに悩み先の見えないトンネルをさまよってる感じでしたが今となって言える事はそこまで不安に恐れることではないって事です。 ボーダーな子であればその子の性格と思って理解してあげればいいだけです。 先ほども言いましたが診断名にはこだわらず何か不得意面があるなら親が学んで理解してそれを園側にも伝えお子様がいかに理解ある環境で育つ事ができるかって事が大切です。 それにプラス療育施設があるならば週1回通うことで不得意面を伸ばしてあげれると考えてあげてください。 習い事とでも思えばいいです。 この理解があるかないかで集団行動命!になる小学校生活を過ごせるか過ごせないかが大きく違ってきます。 なので結論としては早期発見・早期療育はやはり大切だと思います。 親は不安を仰がれますが子供にとっては早期療育(これは親・周りの理解と捉えていいと思います)があるかないかでその後が違うわけですから。 軽度の発達障害がある子は幼い頃よりも年齢が上がる事に目立ってきます。 なので幼少時代に早く気がつき理解ある指導を受けると5歳ぐらいで回りと大差なく馴染める場合があります。 逆に何も指導を受けず理解なく育つと幼い頃は大差なかった事が5歳ぐらいではっきり目に見えて違いが分かってきます。 なぜなら幼い頃はみんな同じようなものなんです。 発達障害項目にどこかしら当てはまるのが幼児です。 普通は教わらなくても日常生活で自分で学び身につけていく事ができるのですが軽度発達障害の子の場合はそれが中々難しく本人に分かりやすく・伝わりやすく工夫をして子供の気持ちも受け入れつつ教えてのが大切だったりします。 それのフォローをするかしないかで差が出るんですね。 長々書いてしまい分かりづらい文章ですが経験をして感じた事を書かせて頂きました。 よろしければ参考になさってください。 最終的に判断するのは親次第だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。読んでいて共感する部分がとても多く、とても詳しく書いてくださり、内容にうなずくばかりです。 >3人が「障害ではなく成長の過程」と言ってくれても1人が「障害」って言えば親としては心配になるわけです。 本当にそうなんですよ。多分10人中1人でも「障害だ」といえば忘れられないと思います。私がそこで前向きに歩める親ならいいのでしょうが、その自信が今はありません。 >診断名より親や周りがその子の事をどれだけ理解してあげれてるかだと思うんです。 それが大事なことなんですね。他の回答者さまもおっしゃていらっしゃいました。子供にとって恵まれた環境を作ってあげること。 夫は一緒に住んでいないため育児に関わっておらず、義母は障害者にも効果があるという健康食品を売っており息子が検体にされそうで嫌だし、なんとなく「もう少し様子をみよう、もう少し、もう少し・・・」と先延ばししています。 子供をみているとお話も上手だし、特に育てにくいとか、育てやすいということも感じません。普通の2歳児に思えます。 でも息子を集団の中に連れて行くと、家の中にいるときとは違う違和感を感じることがあります。その不安がぬぐえません。 今すぐにはできなくても、少しずつ動いてみようと思います。幼稚園の先生もお迎えの時間には(別なバスに乗っていたりして)いないことが多いのですが、機会をみて聞いてみます。 夫にも帰ってきたら言ってみようと思います。 >逆に何も指導を受けず理解なく育つと幼い頃は大差なかった事が5歳ぐらいではっきり目に見えて違いが分かってきます。 この言葉にハッとするようでした。確かに、5歳になると差は歴然としますね。 障害を見てみぬフリをする親は嫌だけれど、何でもかんでも障害にする風潮があるように思えて嫌悪感も抱いていましたが、ryuryutotoさんの回答でなんとなく考えが変わりつつあります。 自分の考えが浅はかだったと思います。 夫にも私の母にも、みんなにわかってほしいですね。 もしも不得意な分野があるならば、理解してサポートしてあげられる母になれるよう勉強したいと思います。ありがとうございました。
- mei4792
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こんにちは。 1歳7ヶ月で正式に自閉症と診断され、1歳10ヶ月から療育に通っている男の子(現在年長)がいます。 私が思うのは、診断というのは、あくまでも「育児の指針のひとつ」でしかないということです。 こういう障害を持っているからこういう対応をしなければいけない…ではなく、 こんな困った状態にあるけれど、どんな風に対応したらいいんだろう、 と思ったときに あれこれ試行錯誤する手間を省けるということです。 障害名が分かっていれば、大雑把に「特性」が分かります。 そこから、ガバッとした情報を得て、わが子にフィットするものを探すことができますから、労力はかなり少なくなりますよね。 たとえば、「りんご(お子さんにフィットした支援)」を探すときに 「りんごは食べ物(障害名)果物(特性)」とわかっていれば、 「食品売場」→「果物売場」→「りんごを見つける」→「りんごの山の中からおいしそうなりんごを見つける」 という簡単な手間で済みます。 何も情報が無いと、それこそりんごをひとつ探すにも「8階建てのデパートを上から下まで探す」という労力が必要ですよね? 時間もかかります。 ウロウロ探している間に…また、りんごが必要なのに、靴下を手渡すなんて勘違いをしてしまったばっかりに、お子さんの状態がどんどん悪くなる(二次障害)ということもあり得ます。 そういう「労力」や「手間」、二次障害が省けるというのが一番のメリットだと思いますよ。 デメリットは、質問者さんがおっしゃるとおりです。 たとえば、成長とともに特性が薄まったとしても、いらぬ不安を抱えたままになる…ということもありますし 診断後から変に悲観してしまうということもありますね。 ただ、ある程度の年齢を超えて診断された場合は たとえ成長して「個性かな」くらいに特性が薄まったとしても、定型発達児さんよりはより強い「特性」を持っている ということは自覚しておかないといけません。 私の息子は、診断された頃は「自閉症! ごもっともだッ!」と思うほど、バリバリガッツリな自閉症児でした。 今は、保育園に行っていますが、クラスの保護者さんから「嘘でしょ」と言われるほど、定型発達児さんっぽいです。 ただ、これらは私や保育園の先生が、「息子に対応するコツ」をしっかりと理解して、息子の特性にフィットした指導ができるからこそです。 診断されたことにより、障害についての理解(勉強)、療育での対応など、そういうところで全部フォローしていただいたからですね。 もちろん、定型発達児さんっぽく見える息子は、自閉症が治ったというわけではなく(障害なので治りません)、今も「ガッツリ重度の自閉症児」です。 それだけ、息子が「この世の中で生きていく方法」を覚えてきたからだと思います。 私たち夫婦や、療育の先生や、保育園の先生が、「定型発達の人の世界」と「息子(自閉症児)の世界」の通訳になったからでもあるのですが…。 私は、療育は息子のためだけではなく、私自身のためでもあると強く思います。 ちなみに、発達障害だといわれたからと言って、悲観する必要はありません(もちろん診断直後はどの親でも泣きますし悲観します)。 スポーツ選手のあの人やこの人は、ADHDだといわれていますし、 ハリウッドのあの俳優さんはLDです。 アメリカの某一流企業の社長はアスペルガー、 日本のノーベル賞受賞者のあの人もアスペルガーです。 また、こんなスゴイ人でなくても、普通~に結婚して家庭を築いている発達障害者は、実はたくさんいらっしゃいます。 というわけで、思いつくままに書いてみました。 参考になれば幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 なんだか、考えがまとまらずうまく言葉にできないのですが、すごく納得のいく回答でした。ありがとうございます。 >それこそりんごをひとつ探すにも「8階建てのデパートを上から下まで探す」という労力が必要 本当にそうだなあと思いました。育児指針のひとつ。そのとおりかもしれません。 でも頭ではわかっていても、まだ気持ちの上で「こんなに人懐っこくてお話も上手なのに・・・」という思いと「でも集団に入ったときの違和感は何だろう・・」という思いが両方あります。 迷っている私に仕事を休み、保健所に相談したり、病院を受診したりするパワーはまだないのですが、まず幼稚園での様子を伺うことや行きつけの小児科で話してみるなどから始めてみようと思います。 とても参考になりました。貴重なお話を本当にありがとうございました。
こんにちは。 専門家でも経験者でもないのですが、共感したので書かせていただきます。 書かれている事だけでは、健常児とさほど変わらないような気もするのですが、心に引っかかる事があるから 悩まれているのでしょうね。 実は、我が子も幼い頃から非常に育てにくい子でした。 今は健常児として普通の学校に通っていますが、学校には多動や学習障害など、軽い物まで含めれば100人中数人は該当児童がいます。 そう考えると、我が子ももしかしたら軽微な障害があるのかもしれません。 今は、普通に生活していてたくさんの友達に囲まれ、勉強も普通に頑張っています。ただ、幼い頃からの問題は未だに解決していません。 「こういう性格の人っているよね~」くらいのレベルまで改善されたのですが、そこからは進歩しません。 私の場合は、当時、そういった知識がなくて受診しませんでした。でも、今なら必ず受診すると思います。 きっと、専門の機関で相談をしていたら、障害があろうがなかろうが、本人もわたしも、もう少し楽にここまでやって来られたと思うから。 ネットや義母様の中途半端な情報に翻弄されて、不安を抱えて育児するよりも、 より良い方法で導いてあげるほうが、息子さんにとって幸せなのではないでしょうか。 それが、診断をうけることなのかどうかはわかりません。周りのお友達も3~4歳で正式な診断を受けたという子が多いです。 専門家でも難しいみたいですね。 ご心配な気持は理解できますが、あまり思い詰めすぎないでくださいね。 >会話しているように見えて実際は会話になってなかったのかな・・ 2歳なんてそんなものです。 質問者様が感じる違和感(視線が合わない)は、実際にお世話されている方にしかわからない事ですが、 その他のことは、全て2歳の男の子ならありがちな行動ですよ。 もしも、何かの問題があったとしても早くから的確な接し方をして、順調に成長されているお友達も何人もいます。 つきなみな回答ですが、機会をみて良い先生に相談することをお勧めします。 お子様とご家族にとって、全て良い結果であることをお祈りいたします。
お礼
回答ありがとうございます。 まずは、幼稚園の先生に伺ってみようと思います。 あれこれ悩んでネットを漁っても答えは出ないですよね。 ただ、ここで回答をいただいたり、ネットを見るうちに、障害があったからと言ってそこで終わりではなく単にスタートに立つということなんだと思い始めました。 大きくなって自分に自信を持てないままだったり、自分自身に疑問を感じたままにならないようサポートしてあげたいと思います。
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こんにちは。私も3歳半の息子がいますが、質問者さん少し神経質になって、少しお疲れなのではないかなという印象を持ちました。 お母様の言葉って、なかなか頭の中から離れないものだと思いますが、しかられた時など、どんな子供も目をあわせたがらないものだと思いますし、普段のしつけの中で「ありがとう」と「ごめんなさい」は人の目をちゃんとみて言おうねと教えて理解できていればいいのではないかなと、私は思っています。 幼稚園で、先生など経験豊富な専門家から、子供さんの普段の様子の中で気になる点などがあれば指摘や言えでの様子などの質問が特になければ、問題無いのではないかと思いましたがいかがでしょうか? まずは、現在幼稚園へ通われていらっしゃるのでしたら、先生に少し園でのようすなど、お話をされてみてはいかがですか? 質問者さんが、おひとりでいろいろ悩まれているような気がして心配になってしまって書き込ませていただきました...。あまりお役に立たない回答でごめんなさい。
お礼
ありがとうございます。 幼稚園では以前、家での様子を聞かれたことがありましたが、お迎え時にチラっと聞かれただけでしたのでさほど気に留めていませんでした。 でも今となっては先生からの遠まわしに多動気味だといわれていたのかな・・と思います。明日幼稚園なので聞いてみようと思います。 >少し神経質になって、少しお疲れなのではないかなという印象を持ちました。 そうかもしれません。夫は一緒に住んでいないし、まだ20代前半で父親というより、お兄ちゃんという感じで相談もできません。 義母はマルチの健康食品を売っているので子供が発達障害とわかれば実験台にされるんだろうなと思うとウンザリします。 実の母に言えば、「この子のどこが障害児なのよ」と怒られると思います。私自身がとても育てにくい子供だった(夜泣きや癇癪がひどかった)ので実母にしたら、私のほうが障害ありそうなもんだと思うでしょう。 相談相手がいなくて、一人で考え込んでいました・・。 まずは幼稚園の先生に聞いてみることから始めてみようと思います。 気に掛けていただいて、嬉しかったです。ありがとうございました。
お礼
二度も回答を頂戴し、ありがとうございます。 読ませていただくうちに、ちょっとジーンときたり、ちょっと笑ったり、すごく励みになりました。そして、考えさせられました。 >例えばADHDの子達は「インディゴチルドレン」と言われてるそうです。 オーラー写真を写すとインディゴのオーラが出るそうです。 すごく興味深い話だと思います。個人的に琴線に触れました。 「障害ではなく個性」という言葉を頭でわかっても、飲み込めていない私がいましたが、この一文を読んだときに「個性」という言葉のもつ意味をなんとなく掴めそうな気がしました。 個性、でもあるし、そういうタイプの人間である、ただそれだけのことなんだなー。と良い意味で軽く考えられました。 それから今日、幼稚園の先生に聞いてみたのですが返ってきた答えは「もう少し様子をみてはどうですか?」でした。 確かに走り回ってはいるけれど、まだまだ延びる時期。出来る事も増えてきています、以前より待てるようになりましたよ。 と言われ、ホッとしたような、ちょっと拍子抜けしたような・・・で帰ってきました。 それで大丈夫なの?という気持ちと、プロが言うのだからそこまで酷くないってこと?という気持ちと、混ざってます。 機会をみて発達相談には行ってみようと思います。 どんなことを言われるのか怖い気持ちもありますが、正しい知識も欲しいですし、その道に携わる方から見て息子がどう映るのか気になります。 そして、私も本を探して勉強します。まだまだ解明されてないことが多い分、いろんな本が出ているでしょうから、発掘してみたいと思います。 ryuryutotoさん、温かい回答をありがとうございました。またなかなか知ることのできないお話も、大変参考になりました。 (読んだときに、本当に心に光が差したように感じたのです!私が知りたいのはこういうことだ、と思いました) この感激した気持ちをもっと的確な言葉で表せたらよいのですが、どうも語彙が少なく文書力の無い私で・・すいません。 でも本当に救われました。感謝しております。ありがとうございました。