天守閣って一体何のための建物?
日本各地に残る城遺跡には必ずと言ってほど天守閣 (再建されたものも含む)、またはその跡地が展示されていますよね。
という事は、江戸時代に建設されたどの城にも必ず天守閣があったと考えるべきなのでしょうか?
また、天守閣自体は一体何のための建物だったと考えるべきでしょうか?
姫路城を訪れた事があるのですが、天守閣内部に城主がそこで日常生活をしていたのかどうか、説明がなかったように思います (記憶違いだったらご免なさい)。
もしかすると天守閣は政務や会議をするための設備であって、家族との日常生活は別の平屋でしていたのかも?
よく時代劇などで、時の殿様が天守閣の一番高いところから町を見下ろして、感慨にふけるシーンがありますが、実際にこれって可能だった?
それと江戸城なんですが、元々は天守閣が存在していたのですが、1657年の大火で焼け落ち、当時の将軍家綱公が再建しない事を決定したと聞きましたが、と言うことは天守閣なんて飾り物であって、言ってみればあっても無くても構わない、実際には何の役にも立たない代物とも考えられるんですが ・・・
あとすみません、ついでに天守閣と本丸の違いを教えて下さい。 もしかして天守閣の事を本丸と呼んでいたのであれば、大火以後の江戸城には本丸が存在していなかったのかな、と考えています。
愚問で申し訳ないですが、宜しくお願いします。