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「花鳥風月」って???
「花鳥風月」という言葉について調べています。 1. 意味は、辞書などで調べましたが、 成り立ちなどをご存知ではないでしょうか? 日本で作られた言葉なのでしょうか? 2. 「花」「鳥」「月」は、視覚的なものに対し、 「風」は触感的(?)な物です。 なぜ、この風が選ばれてるのでしょうか? 風にはどんな意味があるのでしょうか? よろしくお願いします。
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私はアメリカに本拠地を置く物理学者です。そんな私が「花鳥風月」という言葉に関わったエピソードを紹介します。 私は日本のある大学で、日本人の自然観と西洋人の自然観の違いに付いて、物理学者の立場から論じたことがあります。西洋では自然は既に与えられているもの、そこに存在するもの、即ち「ある」ものとして静的に捉えられていますが、それに対して、日本では「自然」という言葉の中に「自然に」とか「自然体」の例のように、「おのずから」と言う意が含まれていることから、日本人にとって自然とは、収まるところに収まって行くもの、即ち「なる」ものとして動的に捉えられているとの持論を紹介しました。 その講演で、「自然」と言う言葉を自然科学で使うような意味で使うようになったのは、明治以降の比較的新しいことだと言うことを私は指摘しました。そして、それ以前に自然をどのように呼んでいたか巧い言葉が思い浮かばなかったので、参加者の先生方にお聞きしたら、ある哲学科の先生が、「天然」とか、「花鳥風月」と言っていたのではないかと指摘してくれました。なるほど、そんな見方もありそうだと、大変参考になったという経験をしたのです。今の自然科学は昔だったら花鳥風月科学と言っても良さそうだという訳です。 蛇足ですが、その後「花鳥風月」は音読みなので、その言葉が使われるようになる以前に自然を表す大和言葉が在ったはずだと考えて見ましたが、あるいは「あめつち」がそれに当たるのかな、などとも考えております。
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- kogotokaubewe
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四季折々のその季節らしさを表すものの代表として選ばれて組み合わされているのであって、五感のどれかで統一するという意図で選ばれているのではありません。 たとえば、梅の花は、視覚よりも嗅覚で捉えられることが多いと思います。 春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる 凡河内躬恒 人はいさ心もしらずふるさとは花(ここでは梅)ぞむかしの香ににほひける 紀貫之 鳥も、秋の雁は、 まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。 「枕草子」 と、視覚で捉えられることもありますが、 うばたまの 闇のくらきに あま雲の 八重雲がくれ 雁ぞ鳴なり 源実朝 と、聴覚で捉えられることも多いです。 春のウグイス、夏のホトトギスは姿より声です。特にウグイスは習性として藪の中などで鳴いて、姿が見えるような所にはあまりやってきません。 年月を待つ(松)にひかれてふる人に、今日鶯の初音聞かせよ 『源氏』明石の上 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣 風も音で捉えることが多いです。 秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 藤原敏行
- onioncat
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過去にも、こういった質問・回答をしているところがあったようなので、拾ってきました。 ただ、私にはどれが正解かはわかりません。 漢詩説 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q113145876 貴族の遊び説 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147948814 中国の言葉「風花雪月」との比較 http://okwave.jp/qa2568904.html 世阿弥の名前がよく出てきますね。
- toko0503
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これは、視覚だけに訴えるものではなく、 四季を持つ日本人が魅了される自然、 風流や趣(おもむき)に通じる風景 から作られた言葉なのだと思いますよ。