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虻蜂取らずの成り立ち

今日のテレビで「虻蜂取らず」がでてきたのですが、今まで聞いたことはあっても意味を知りませんでした。 そこで調べてみると、「二兎を追うものは一兎をも得ず」と同じ意味であるとでていました。 しかしその辞書にもでていたのですが、「虻と蜂を両方捕ろうして両方ともとれなかった」ともでていました。 よく考えてみると虻と蜂をなぜ捕ろうとしようとするのでしょうか?はっきり言って危ないです。 インターネットでも調べましたが意味は載っていても言葉の成り立ち(?)まではでていませんでした。教えてください。 さらに調べていると「虻蜂取らず鷹の餌」というのもでていました。 これもどういうことなのでしょうか?(意味もたぶん同じなのでしょうが正確にはわかりません)

みんなの回答

noname#118466
noname#118466
回答No.3

再登場です。 いろいろな解釈が出るかと思いますが、蜘蛛説には若干難点があります。蜘蛛の巣を観察すれば分かりますが、巣にはいろいろな昆虫がかかっています。蜘蛛の横糸には粘着性があり昆虫程度ではいったんかかると脱出不可能です。したがって虻も蜂も取ることが出来ます。慌てず一匹ずつ殺す時間的余裕があります。「鷹の餌食」をどう解釈するかがポイントだと思います。先に紹介した私の解釈は我流ですから正しい解釈があるかも知れません。自信なしです。

ebinamori
質問者

補足

「鷹の餌」というのはあくまでインターネットで調べて その中のひとつに載っていただけなのであまり当てにならないと思いますが、 「二兎を追うものは二兎をも得ず」は、私の家にある辞書には「西諺」と表記されていました。 西諺とは西洋の諺だそうです。今まで日本原産(?)の諺だと思っていましたが 初めて知りました。 以前にご指摘の通り私は人間中心で考えていましたが動物の餌と考えると そんなに疑問に思うような諺でもないですね。

noname#12373
noname#12373
回答No.2

私も不思議に思っていました。兎なら食べられるけど、虻や蜂を取ってどうしようというのかと。 これは蜘蛛の行動なのだという話を聞きました。網にかかった虻と蜂のどちらを先に仕留めるか迷った蜘蛛が、結局両方取り損ねたということですね。 ご参考までに。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

「二兎を追うものは一兎をも得ず」ライオンなどは狙う獲物を決めてから追いかけますね。狩りの下手な人間はどちらのウサギを追いかけるか決めないままに、追いかけ始めるのでウサギに翻弄されてどちらも逃がしてしまうことです。物事を始めるにあたっては、準備と決断が必要なことを教えています。 「虻蜂とらず鷹の餌食」も意味は二兎と同じです。この諺の生い立ちは分かりませんが私は次のように解釈しています。虻と蜂の両方を追いかけていた哀れな小鳥は、追いかけるのに夢中になって警戒を忘れ、自分が鷹の餌食になってしまった。 教訓は、欲張って二つのことに夢中になると落とし穴が待っている・・どちらも達成できないばかりでなく、夢中になって周囲が見えなくなると危険に陥る・・現代風に解釈すれば、政敵に足をすくわれる、商売上の競争相手に裏をかかれるなどさまざまな解釈がなりたつと思います。

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