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「花鳥風月」と「風花雪月」

 日本語を勉強中の中国人です。中国語の「風花雪月」は日本語で「花鳥風月」というようです。興味を持っておりますが、なぜ雪を外すのでしょうか。それから、中国語の「風花雪月」は「自然の美しい風景」という使い方のほかに、「美辞麗句をならべただけで中身がなく、没落階級の情緒を反映した詩文をさす」という比喩の使い方もあるのですが、日本語の「花鳥風月」にもそういう貶す時に使う比喩の使い方があるのでしょうか。  また、日本語に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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回答No.4

awayuki_ch さん、こんばんは。 ★「花鳥」は、「花を見、鳥の声を聴く風雅な心」のことを言います。 ★「風月」は、「自然の風物」とか、「清風や名月を題材として詩歌を作ること」とか、「心を和らげるものとしての自然界の風物」などの意味があります。 このような「花鳥」と「風月」が合わさって出来た【花鳥風月】は、【風流の対象として眺められる自然界の景観の代表的なもの】とか、「風流な遊び」のことを言ってます。 *風月を友とする⇒風流な生活を送る このような意味に使われています。 「雪」が使われていない理由はわかりませんが、ここで述べられているように、「風流な生活」、「風流の対象として眺められる景観」という観点から見てみますと、「梅の木に啼く鶯」などの風流さを白一色の雪景色より上に取り上げたのではないでしょうか。 「花鳥風月」に、【美辞麗句をならべただけで中身がなく、没落階級の情緒を反映した詩文をさすという比喩の使い方】は無いと思います。

awayuki_ch
質問者

お礼

 shigure136さん、こんばんは。ご回答ありがとうございます。ちょっと興奮して眠れなくなりました。「風流な遊び」というと、この前、晋代の有名な書道家の王羲之の「蘭亭序」の中の「曲水流觴」の場所へ見学しにいってきました。感動されました。「風流な遊び」をしたいのですが、雑念が多すぎてなかなか難しいです(^-^)。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

「花を見、鳥の声を聴く風雅な心」という考え方はすばらしいです。確かに鳥の鳴き声によって、響き続ける感銘を覚えます。単調の雪景色よりいいのですね。なぜ「鳥」を入れるのかわかるようになりました。 ただ、私が感じた「風花雪月」の「雪」は静かな雪ではなく、動く雪です。大きな雪の中で、一人の剣客が広い天地で剣を振り回しています。雪は彼の周りに舞い上がって、地面に達した瞬間、「そそそそ……」のように聞こえます。それが「降り積もる」という感じです。まさしく人間の心にそっと降り積もるこの雪。私は「降り積もる」という言葉が大好きです。 >「清風や名月を題材として詩歌を作ること」 「名月」は「明月」のタイプミスでしょうか。中国では、よく「清風明月」のように使いますから。私は「清風」という単語がとても好きです。日本語でも「清風」でよろしいでしょうか。「せいふう」と読みますか。「清風」の美しい表現がありましたら、ぜひ教えてください。「清らかな風」はばかばかしいですね(^-^)。 「風花雪月」という言葉は恋愛を批判する文にもよく使われます。たとえば、次の二文は「花鳥風月」を入れることができるのでしょうか。 1.高校生の息子が最近同じクラスの子と付き合い始めた。それに気づいて、息子に『いま「風花雪月」というどころではない。ちゃんと勉強しなさい!』と。 2.ラブ小説を読んでいる娘に『また「風花雪月」のものを読んでるか。ちゃんと勉強しなさい!』と。 No.1さん、No.2さん、No.3さんの補足欄もご覧になっていただければ幸いです。何かご意見を聞いていただければ嬉しいです。

その他の回答 (8)

回答No.9

awayuki_ch さん、こんにちは。 お礼と補足を読ませていただきました。 どうも中国の「風花雪月」における、「風」「花」「雪」「月」の捉え方には、自然界の美しいものという捉え方のほかに、もう一つの捉え方があるような気がしてきました。 awayuki_ch さんのご説明にあるような、【恋愛を批判する】言葉として使われていることから考えると、これらの四つは、確かに美しくはあるけれども、「風・花・雪」は、ふわふわとして実体のない、どこか儚くしっかりとしてないものというイメージも共有しています。さらに「月」も美しいとはいえ、自らが光を発しているのではなく、これまた実体のない美しさという点で共通していると考えられます。 このような意味で捉えると「風花雪月」は、美しさに潜む、浮ついて儚く、実体のない虚構の世界に喩えられるものとなるのではないかと思います。 このような面から「花鳥風月」とを対照させると、両者は似て非なる「四文字」なのかもしれません。 日本語の「花鳥風月」は回答文に記したとおりですが、ここには「風花雪月」のもつ「恋愛に対する揶揄」という意味合いは全く入っていないと思います。 「花鳥風月」の四文字は、それぞれが単純に「風流」、「自然」などを代表するものとして捉えられていますが、「風花雪月」の四文字は美しい自然のもと、実体のない美しさというものを代表するものとして捉えられているのだと思います。 これは awayuki_ch さんの例文や解説文を読みながら感じたことで、全く自信はありません。 したがって、私が考えるには、例文の「風花雪月」を「花鳥風月」と置き換えることは出来ないと思います。 私も「雪」は大好きです。 降り積もる雪を見上げるとき、また、降りしきる雪の中を歩くとき、月の明かりの中で静かに眠る雪見るとき、太陽の光を浴びて雪の結晶の一つ一つが輝きだすときなど、白一色とはいえ様々な顔を持っている雪を見るのはとても楽しみです。 特に、雪化粧をしはじめ、日々異なった顔を見せるこの時期の富士山を見る時は、「花鳥風月雪」と「雪」を一文字追加して欲しいと思います。 awayuki_ch さんの挙げた「剣客と雪」 こちらは風流というより厳しさ、冷たさ、鋭さなどを感じさせてくれます。 やはり、雪は、特に動く雪から受けるイメージは、風雅、風流よりも、「厳しさ」「忍耐」「艱難辛苦」などのイメージが先行してしまいますね。 ご質問にあった、「名月」はタイプミスではありません。 ★「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」 夜空に浮かぶお盆のようにまん丸な美しい月を見ながら、あれが欲しいよと駄々をこねている子供の様子を詠んだ俳句です。 「中秋の名月」・・・陰暦8月15日、9月13日の夜の月を「名月」称します。 十五夜といい、この月を見ながらお月見をする「月」が「名月」です。 「清風」は「せいふう」で、「すがすがしい(清々しい)風」「清らかな風」 「清らか」はばかばかしくはありません。 「清らか」という名詞は、「さっぱりとして汚れのない様子」を表現するものです。 「清らかな谷川の水」とか「清らかな澄んだ瞳」など。 このような意味のある名詞・「清らか」はもちろん「風」にも使えます。 「清らかな五月の風」⇒新緑の香りをたっぷり運んでくる、爽やかで清々しく透き通るような五月の風。 余談ですが、日本には「風花」と書いて「かざはな」と読む言葉があります。 これは、自分のいる所は雪が降ってはいないのに、何処か遠くで降っている雪が、風に舞って飛ばされて「はらはら」「ひらひら」と振ってきたときに使う言葉です。 「あれ、雪かな?」「そうじゃないよ、風花さ」 このような雪には風流を感じますね。

awayuki_ch
質問者

お礼

 shigure136さん、こんばんは。いつも鋭い考え方に感心しております。中国語の「風花雪月」の捉え方はとても共鳴できます。ふわふわとして実体のない、どこか儚くしっかりとしてないものというイメージなのですね。私はなぜか自分の中で、「風花雪月」から、静かな画面ではなく、「揺れる」、「そよぐ」などのような動的な感じばかり浮かび上がるのか、やっとわかってきたような気がします。「風花雪月」の四文字は美しい自然のもと、実体のない美しさというものを代表するものとして捉えられているのですね。恥ずかしいです。大変助かりました!     shigure136さんも雪が大好きなのですね。いろいろな雪の姿を紹介していただきありがとうございます。みんなとても美しいです。雨にぬれるのがいやですが、雪にぬれたら幸せなといつも思っています。先日、旅日画家の水墨画展へ見にいきました。富士山の絵はたくさん出てきました。富士山の頂きの雪はとてもきれいに書かれました。そこの部分を眺めながら、いつのまにか、自分もそこに飛んでいったような気分になりました。私も「花鳥風月雪」を新語としての申込書を書きたいです。「剣客と雪」は「厳しさ」「忍耐」「艱難辛苦」などのイメージでしょうか。そう言われれば、確かにそうですね。「凛とした」という表現も浮かび上がりました。  「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」は子どもの俳句でしょうか。可愛いですね。中国の漢詩でも同じような表現があります。やはり十五夜の名月は食欲をそそるものですね。「名月」について勉強になりました。ずっと勘違いしていました。「清風」をたくさん届けていただきありがとうございます。気持ちよかったです。「風花」でもいいからと神様にもう一度願います(^-^)。  本当にありがとうございました。大変参考になりました。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.8

前回の回答中で、「死語」などといったのは、過激すぎる発言でした。「ホトトギス」の流れを引く俳句の一派、日本画家の中には「花鳥風月」をテーマに立派な作品を作っていらっしゃる人々がありますから、「死語」という発言を取り消してお詫びいたします。  しかし、質問者が言われるような、一般人の話の中にはまず出てこないでしょう。

awayuki_ch
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。了解いたしました。  心より厚くお礼申し上げます。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.7

 No.3です。補足質問への回答。  このような言葉は、ほとんど死語で、たまに評論家などが批判的な意味を込めて使用することはありますが、一般人は殆ど使いません。ただ、文学史を習う時には、教科書にも出てきます。

awayuki_ch
質問者

お礼

 再びご親切に回答していただきまして誠にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

#1です。ご返事ありがとうございました。 ・『虞美人』、教えていただいたURLで拝見しました。 美しい漢詩ですね。 漢字の並びを見ているだけで、何か独特の感傷を覚えます。 解説を読んで正確な意味を理解するのに少し手間取りましたが、趣のある内容と感じました。 私の好きな作家の一人である夏目漱石に「虞美人草」という小説があります。 「虞美人草」は「ひなげし」という花の別名ですが、awayuki_chさんがこの詩を紹介してくれたので中国との関連を少し調べてみました。 項羽の愛した「虞妃」という美人がいたのですね。 この虞妃が項羽を追って自害した後に咲いたのが「ひなげし」だという由来をネットで見つけました。 私は「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こころ」などの方が作品としては好きなのですが、「虞美人草」は非常に丁寧に作られた小説という印象があります。 気品はあるけれども、やや高慢で一途な女性が登場しますが、「虞妃」のイメージと勝手に重ねてみたりしました。 ・タゴールがノーベル文学賞を取ったインドの詩人だということは知っていましたが、作品に触れるのは初めてです。 中国語訳の「使生如夏花之絢爛,死如秋葉之静美。」も良い意味と響きを持っていますね。 日本では「夏の花」という表現になりますが、「夏花」と言えばやはり一番最初にイメージするのは「ひまわり」です。 ご存知かもしれませんが「向日葵」と書き、花自体も太陽を連想させるような形をしていますよね。 ・「春暁」は漢詩に疎い私でも知っていました。 「春眠不覚暁」という出だしに、「国は違っても眠いのは同じなんだ」と変なところで感心したことを覚えています。(^^;) ・「風月」が本来は恋愛ごとを指していたというのは面白いですね。 日本ではあまり関連性が無いかもしれません。 ・「風花雪月」に対する中国の方のイメージはお蔭様で良くわかりました。 日本でも軟弱な姿勢を厭う同様の感覚はありますが、「花鳥風月」が比喩的表現として登場することは殆んどありません。 ・awayuki_chさんは雪がとても好きなんですね。 私は日本でも比較的雪の多い北海道という地方に住んでいるので、遠くの山に積もった雪景色などを美しいと思って見る事はありますが、身近な存在として美しいと感じる機会は少ないようです。 子供の頃は、雪合戦や城(かまくら)作りを楽しんだものですが、今では毎年、「雪かき」で体力を消耗します。 http://www.town.yuzawa.niigata.jp/overview/kamakura.html 運動不足の解消になると思って諦めていますが、awayuki_chさんに少し分けて上げれたらいいですね。(^-^) ただ、天から降ってくる雪はいつ見ても心が洗われるような感覚を覚えます。 黒っぽい服を着ている時に、そこに着いた雪を(溶けないうちに)良く観察すると六角形の結晶が肉眼でもはっきり見えますよ。 「雪は天から送られた手紙である」と評した中谷宇吉郎という物理学者がいました。 あの対称性はとても神秘的です。 機会があったら一度試してみてください。

参考URL:
http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/phys/crys/ice/lect7.html
awayuki_ch
質問者

お礼

 再びありがとうございます。日本では「花鳥風月」はやはり比喩的表現として登場することはほとんどないのですね。大変参考になりました。  恥ずかしいですが、日本の国民作家の夏目漱石の作品はあまり読んだことがありません。hakobuluさんの愛読の作品をぜひ心がけます。最近芥川龍之介に少し興味を持って読んでいます。虞美人草はどんな植物なのか、ネットで写真を見ました。「紅顔薄命」(美人には薄命が多い)の「紅」の影響を受けたのか、思ったとおり赤です。項羽と虞妃の話もご存知ですね。熱い涙を流された尊敬する悲情英雄の一人です。『虞美人草』もぜひ読んでみたいと思います。ちなみに、前回貼った「虞美人」は漢詩ではなく、詞です。難しい話になるのですが、詞には普通題名がありません。「虞美人」はただの詞牌名です。詞牌名は詞の内容と関係なく、詞の構造(字数、句数、押韻など)を決めます。前回の詞は虞美人と関係がない詞で、文末の人間の愁思を東に向かって滔々と流れている春の川の水の流れにたとえる表現は名文として知られています。この詞を書いた人は亡国の君主です。彼は亡国後、囚われものとなり、故国や昔の生活を思いながら、その詞を書いたのです。新しい国の君主がこの詞を読んだら怖くて、すぐ殺す命令を下しました。黄泉の国への詞にもなりましたね。中国の文化に興味を持っていただきありがとうございます。  日本では、「夏花」と言えばやはり一番最初にイメージするのは「ひまわり」なのですね。勉強になりました。タゴールの詩はあれ以来、たくさん拝読しました。特に、『飛鳥集』と『新月集』が好きです。想像力はすごい詩人だと思います。『飛鳥集』の言葉はロマンチックで哲理的です。『新月集』はすごく童心、母愛が感じられました。 ・Sorrow is hushed into peace in my heart like the evening among the silent trees. ・I am like the road in the night listening to the footfalls of its memories in silence. ・The night's silence, like a deep lamp, is burning with the light of its milky way. などなど、好きな文はいっぱいあります。

awayuki_ch
質問者

補足

 次はお礼の部分に属します。お礼の部分の字数オーバーなので、お気になさらないでください。  いま『飛鳥集』をもう一度捲ってみたら、「The bird-song is the echo of the morning light back from the earth.」(鳥の歌は暁が大地に達してから反響した音である)という文を思い出しました。なかなか「花鳥風月」の「鳥」の存在感が理解できたような気がします。  「春暁」の「春眠不覚暁」はやはり国境を越えて、人を眠くさせる魔法がありますね(^-^)。  雪が名産物のところに住んでおられるのですね。城作りは面白そうです! 作るのも面白いし、あの洞窟にも入ってみたいです。「雪かき」は大変ですか。お手伝いしたいのですが、遠方の水はまぢかの火事を救うことができないですね(^-^)。雪という字は「セツ」という読み方もありますね。雪がいっぱい積もった地面に踏んだ瞬間の音はたぶん「セツ」に近いかと私はいつも思っています。「雪は天から送られた手紙である」はとても素敵な言葉です! 参考サイトは拝見しました。雪の花には「六花」という言い方もするのですね。万華鏡を見るのが好きで、本物の雪の結晶は万華鏡よりずっと美しいです! 雪の匂いがたっぷりの文章を届けていただき本当にありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

花鳥風月は、室町時代の能の大成者、世阿弥の造語です。 たぶん、詩歌の世界、つまり漢詩の様式美である、風化雪月に対して、舞台芸能である「能」のあるべき姿として花鳥風月を定義したものと思われます。(芸術論で読んだ記憶があります) ということで、世阿弥の視点は、「自然の美しい風景」ではなく、「自然に擬人化された、織り込まれた」舞台上の登場者の心象風景をいかにして表現するかにあります。 なんで、雪が無くなって鳥になったのか?というのは、私には回答できません。 詩歌において、花鳥風月を芸術論で使うのは、日本における芸術論の嚆矢がが世阿弥の風姿花伝であるからです。 おまけ 課長風月と言って、会社の中間管理職程度の美意識と揶揄することもあります。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。能と関係があるのですね。なかなか奥深いです。課長風月は笑えました(^-^)。  本当にありがとうございました。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.3

 日本語の場合も、「花鳥風月」の外に「雪月花」という語も使われ、「雪」を無視しているわけではありません。詩歌や絵画の題材になるものの代表として言われてきました。「ホトトギス」という俳句のグループの代表であった、高浜虚子は「花鳥諷(風)詠」といって、こういう風景を写生するのが俳句だと主張したりしました。  こうした言葉も、わたしの推測によれば唐宋時代の詩文とともに日本に入ってきたと思われます。「古今和歌集・仮名序」にも「春のあしたに花のちるを見、秋のゆふぐれにこのはのおつるをきき、あるは、としごとに、かがみのかげに見ゆる雪と浪とをなげき、草のつゆ、水のあわを見てわが身をおどろき、」など何箇所にも書いてある内容も、その影響と考えられます。  中国では「風花雪月」に過去の詩を批判する意味を持たせて用いることがあると、質問者はおっしゃっていますが、実は高浜虚子の師の正岡子規は、古今集以後の歌集が「花鳥諷詠」に偏っていると批判して、短歌や俳句の写生論を展開したのですが、その後にももっと徹底的に「花鳥諷詠」を批判した作者が多く現れています。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご丁寧切に教えていただきありがとうございます。  「花鳥風月」の外に「雪月花」という表現もあるのですね。中国語は「花鳥虫草」という言葉がありました。でも、「風花雪月」ほど美しい言葉ではありません。普通の表現です。「花鳥風月」と「雪月花」は両方とても美しい感じの言葉ですね。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

「雪月花」もあるのですね。「雪」を無視しているわけではなく、安心できました。お伺いしたいのですが、「花鳥風月」と「雪月花」と、この二つの言葉自身は、単純に四季における美しい風景をさすという使い方でしょうか。恋愛、文章を批判する言葉として使えるのでしょうか。たとえば、次の三文にぜんぶ「花鳥風月」あるいは「雪月花」を入れることができるのでしょうか。 1.A作家は「風花雪月」しか書かないので、読む価値がない。 2、高校生の息子が最近同じクラスの子と付き合い始めた。それに気づいて、息子に『いま「風花雪月」というどころではない。ちゃんと勉強しなさい!』と。 3.ラブ小説を読んでいる娘に『また「風花雪月」のものを読んでるか。ちゃんと勉強しなさい!』と。 No.1さん、No.2さんの補足欄もご参考になっていただければ幸いです。

noname#210617
noname#210617
回答No.2

こんにちは。 どちらの言葉も4つのものを合わせたものではなく、2つの言葉を組み合わせたものではないでしょうか。 No.1さんがおっしゃっているように、「花鳥風月」は「花鳥」と「風月」が組み合わされた言葉です。 「花鳥」と「風月」はそれぞれ違う情景を表しています。 おそらく、「風花雪月」も「風花」と「雪月」に分けられるのではないでしょうか。 しかし、日本で生まれ育った私が「風花」と「雪月」と言う言葉で思い浮かべる情景は、「風に舞う桜の花びら」であり、「降る雪の向こうに朧に見える月の明かり」です。 一方は、春めいた暖かさを感じさせる風であるのに、もう一方は、静寂と寒さを感じさせます。 それにもかかわらず、この二つの情景はどこか似ているところもあります。 「月明かりの下で風に舞う雪は、風に舞う花びらのようにも見える」ということかも知れません。 「雪月」という言葉からは、また、豪雪地帯で雪に閉じ込められる厳しい冬の季節を思い浮かべる人が多いでしょう。 日本でも、雪見酒など、雪を愛でる言葉はありますが、どちらかというとやっかいなものであるという認識のほうが勝るのではないかと思います。 日本では、育ちの良い子女を揶揄するときに、「花よ、蝶よと」と言いますね。 きれいなものに囲まれて、保護されて育ってきたようだけれど、現実の世間の厳しさを知らないのだ、というような、「甘やかされてきた」、「世間知らず」という意味です。 「花鳥風月」も、「良い面、美しい部分だけを見ている」という意味で、「世の中は花鳥風月だけでは通らない(汚い面もある)」というような言い方はするのではないでしょうか。 私もよい勉強になりました。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。雪はどちらかというとやっかいな感覚ですね。雪がめったに降らないところで生活しているので、雪に憧れます。雪が降ると、みんな珍しく窓に目を向けます。「あっ、雪だ♪」と喜んで叫んでしまいます。去年は確か二回粉雪が降りましたが、地面に達したら、すぐ溶けてしまいました。数時間も降っていなかったし、とても残念でした。今年も降ってほしいなと神様に願っておりますが、なかなか叶えてくれません(^-^)。  「雪月」、「雪見酒」、「花よ、蝶よと」、「世の中は花鳥風月だけでは通らない(汚い面もある)」のお話は大変参考になりました。いろいろ考えさせていただきました。本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>どちらの言葉も4つのものを合わせたものではなく、2つの言葉を組み合わせたものではないでしょうか。 確かにネットで検索してみたら、「雪月風花」という表示も出てきて驚きました。一つの新しい発見です。根拠はありませんが、現在の「風花雪月」はなんとなく「風が雪の花を携え、月が雪に照り映える」のような感じがします。ですから、「雪月風花」と「風花雪月」は両方あるのです。 >「月明かりの下で風に舞う雪は、風に舞う花びらのようにも見える」ということかも知れません。 そうですね。まさにこんな感じです。ここの花はたぶん植物の花と思わず、おっしゃるどおり、雪の花だと思いました。「風花雪月」という単語を見て、なぜか、季節は冬だけ浮かび上がりました。静かな銀世界で、白い粉雪が舞い上がっています。まさしく雪に咲く花のように。誰もいないその広い空間で恋人二人が月の光を浴びて二人っきりの国にいるように、追いかけたりしています。手のひらを広げると、雪が優しく届きます。「風花雪月」からとてもロマンチックな感じを受けます。ですから、現在余計よくない意味が発生したのではないかと、いま考えております。こんな寒い天気に雪遊びをするなんてローマンチックすぎて、現実から遊離しますね。この二人の両親も現場にいるなら、きっと「そんなとこで何をしてるんだ。さっさと部屋に入りなさい」と怒られるでしょう。 お伺いしたいのですが、「花鳥風月」からどんな修飾語は想像できるのでしょうか。勝手に推測してみましたが、「うららか」と「侘しい」であっていますか。 >「花鳥風月」も、「良い面、美しい部分だけを見ている」という意味で、「世の中は花鳥風月だけでは通らない(汚い面もある)」というような言い方はするのではないでしょうか。 面白いです。中国語の「風花雪月」はこんな使い方はしません。いまほとんど恋と文章を批判します。 No.1さんの補足欄も参考していただければ幸いです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

不謹慎かもしれませんが、クイズのようで面白いご質問だと思います。 全くの推測でしかお答えできませんが、 なぜ日本では「鳥」で中国では「雪」なのか、という点について考えてみました。 ◆ まず日本の場合は、「花鳥」で春を表わし、「風月」で秋を表わしているように思います。 つまり、最も暑い夏と最も寒い冬は除外されているのではないか、という気がします。 ご存知のように、日本では古くから恋の表現として短歌が良く使われていました。 こういった歌を詠む心理になるのは、恐らく、「冬を抜けて水温む春」と「猛々しい夏が過ぎ、枯葉散る侘しい秋」が最も多いのではないかと勝手に想像しています。 これが夏の「陽」や、冬の「雪」が仲間はずれにされた理由かもしれません。 中国の場合は良くわかりませんが、重厚で壮麗な漢詩などに接したわずかな経験からすると、 人の感情もさることながら、純粋に自然そのものを愛でるという習慣が早くから根付いていたのではないか、という気がします。 以上は当てずっぽうの推測ですから鵜呑みにされませんよう、あくまで一感想としてご参考程度に留めてください。 ◆ 「花鳥風月」が「貶義詞」として使われることは、日本ではありません。 ◆ 添削箇所はありませんが、文意に応じて、句点の後で少し改行を取り入れるとさらに見やすい文面になるでしょう。

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、いつもお世話になります。「花鳥・風月」のように分かられ参考になりました。最も暑い夏と最も寒い冬は除外されているのですね。「風花雪月」の中で、一番美しいのは舞い上がっている雪だと思うので、雪は除外され、ちょっと落ち込んでいます。ロマンチック度は少し割引したような気がします。雪が降らないところで生活しているくせに(^-^)。  要するに、日本語の「花鳥風月」は恋と文章を批判する使い方をしないのですね。ちょうど友人から「花鳥風月」という名前のCDを借りてきました。表紙の「花鳥風月」というタイトルに惹かれました。日本語の場合は昔のままの極単純の使い方なのですね。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

 「風花雪月」は自然の一番典型的な美しい風景を列挙しただけだと思って、春夏秋冬に対応すると考えてみたことがありません。考えてみたら面白いです。たぶん、「春風」、「秋月」、「冬雪」のように思います。「花」は春と夏に、どちらに属しても良いような気がします。 春花秋月何時了,往事知多少。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/liyu1.htm 日本の民謡「荒城の月」に似ている心境の有名な『虞美人』という詞です。 使生如夏花之絢爛,死如秋葉之静美。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1553706.html 「夏花」について、私が以前聞いた質問を思い出しました。「使生如夏花之絢爛,死如秋葉之静美」という中国語はよく本で読みます。美しいなといつも思っています。個人的には、「夏花」という言い方は「春花」より好きです。作者は中国人だとひたすら思いましたが、調べてみたら、タゴールの名文だと分かりました。もとの文は中国人のではないので、参考になれないかもしれませんね。  日本語の「花鳥風月」は「花鳥」で春を表わし、「風月」で秋を表わしているのですね。  「花鳥」について孟浩然の「春暁」という有名な漢詩を思い出しました。確か小学生の時に先生に習ったのです。その中で「花鳥」を上手に春色を表現しました。 http://www.saitama-u.ac.jp/kanshi/moukoune/syungyo.html  「風月」で日本語の場合は秋を表わしているのですね。なかなか「風月」で秋を表わす漢詩は思い出せませんが、辞書を調べてみたら新しい発見がありました。中国語の「風月」は「1.風と月。広く景色をさす」。例文はまさにhakobuluさんがおっしゃった秋に関する例文です。「初秋の涼しい夕、風月の景色がとても美しい。」という意味の文です。もっと驚いたことは、中国語の「風月」のもう一つの意味は「<旧>恋愛ごとをさす」です。おそらく、この意味は日本語の「風月」にはないでしょう。質問文に書き忘れてしまいましたが、「風花雪月」にもこのような意味があります。  確かに昔は「自然の美しい景色」を表す「風花雪月」なのですが、なぜか、現代の中国ではほとんど「貶義詞」として使われています。ローマンチック過ぎて、現実から遊離します。特に、恋愛、文章を批判する場合は多いように思います。英語訳はromantic themesだそうです。少年時代の恋は中国の両親はほとんど反対します。『いま「風花雪月」というどころではない。ちゃんと勉強しなさい!』と怒られます。また、「美辞麗句をならべただけで中身がない文章」には「風花雪月」と批判します。

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