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文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか

これだけクソミソにけなされているにも関わらず、文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか? 議論のための意見ではなく、分析/解説を求めます。

みんなの回答

  • googoo1956
  • ベストアンサー率47% (623/1316)
回答No.13

>これだけクソミソにけなされているにも関わらず、文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか? ○ お尋ねの状況を考えるためには、まず2つのことを考える必要があるでしょう。一つ目は、文科省が想定する英語教育の目的が何であるかということ、二つ目は、クソミソの批判が当を得ているかどうかということです。 ○ 英語教育の目的は、おそらく会話能力ではなく教養としての英語なのでしょう。教科名は「英会話」ではなく「英語」です。高校では、一時「オーラル・コミュニケーション(以下O.C.)」という科目が必修になりましたが、数年前から選択になり、そして新しい指導要領では「英語総合」という科目に吸収されることになっており、「O.C.」は実質的に消えてしまう方向にあります。 ○ しかし、「O.C.」か、または英会話に特化したテキストを英会話の達人がみっちり教えたとしても、日本人が英語をしゃべれるようになるのでしょうか。たかだか週に6時間程度の授業です。1年間(35週)で210時間、3年間で630時間、中学校(週3時間)を含めても945時間にしか過ぎません。実際にアメリカなどに住んでいると仮定すれば、起きている時間(16時間)で割った訳60日間が滞在期間になります。6年間の細切れの60日間のアメリカ滞在でどれほどの英語が話せるようになるのでしょう。 ○ また、英語の必要性の問題もあります。普段の生活の中で英会話を必要としている人がどれほどいるのでしょう。また、その必要性のために自分で努力をしている人がどれほどいるのでしょう。「6年間も学んで英語がしゃべれない。」と批判する人の何%が、ファッション感覚でモノマネ英語でもしゃべれたらかっこいいなどという軽い感覚ではなく、本当の意味での英語への探究心を持っているのでしょうか。 ○ 学校で行われる英語指導は、もちろん完璧ではありません。しかし、学校英語への批判がすべて的を射たものであるとは限らないように思います。限られた時間で行う学校の英語教育に過度な期待をすること自体に無理があるのではないでしょうか。それとも学校で教わる英語の基礎を土台にして、卒業後の必要性に応じて、英語専門の学部に進んだり、英会話学校に通ったり、留学したりする現在のシステムも案外捨てたものではないのかもしれません。 ○ そのような人が、たとえ全体の数%であったとしても・・・、本当に必要な人はそのための努力をすることでしょう。そのような必要性のない人たちにとっては、「英語」という科目は、あくまでの外国の文化や考え方を知るための手段であって良いのではないかと思います。 ○ 文科省の実際の考え方は分かりません。しかし、上記のような考え方もあって良いのではないかと思っています。以上、あまりまとまりませんが参考になれば・・・。

Skype1980
質問者

お礼

なるほど。 ・学校英語教育の目的は、会話能力ではなく教養 ・なぜなら、そもそも英語能力を必要とする人は人口の数%だから。 ・教養という観点からすると、現在の英語教育はそれほど間違っていない? ・だとしたら、そもそも転換する必要がないのでは? ということですね。筋が非常に通っています。ありがとうございます。

  • showado
  • ベストアンサー率22% (27/118)
回答No.12

英語を書けてもしゃべれないことの反省から、改革を言われることが多いです。日本語同様、「聞く」「話す」「読む」「書く」の順に身につけるのが妥当ではあります。 議論は「教える側」に集中しますが、生徒側の事情をもっとよく見る必要があると思います。 文法や、教員の体制・資質もありましょうが、もっと根源的な見方をしてみます。 小学校でも英語を教えるようで、「国語が先だ」の意見ももっともです。 もっと大事なのは、日本語でも外国人に臆せず話しかけられるような小学生にすることだと思います。 どんなに学校でしゃべれても、英会話のスタートは「面と向かう度胸」です。くったくなく誰にでも話しかけられる小学生をつくらないとはじまらないと思います。そういうことは考慮されていないように思います。

Skype1980
質問者

お礼

なるほど、これまで教える側・教えるシステムをつくる側の意見はありましたが、教わる側の意見は初めてでした。 小学生のときの習慣が重要なんですね。

  • joshsan
  • ベストアンサー率39% (116/293)
回答No.11

なぜ、文部科学省は日本の英語教育を根本的に転換できないのか、あるいは、しないのか。 分析です。 1.キャリアと呼ばれる国家公務員は、国民のためではなく、自らの所属する組織のためにのみ仕事をするようにできている。 2.文部科学省の組織は、生涯学習政策局、初等中等教育局、高等教育局、などの局に分かれている。1の理由により、それぞれの局では自分の守備範囲しか頭にないので、「日本の英語教育」というような根本理念を責任を持って策定する部門がない。 3.だったら、それぞれの局が知恵を結集して策定すりゃいいだろうと思うが、皆様ご存知のとおり、利害が対立してまとまらない。いわゆる縦割り行政の弊害。 結論:日本の官僚組織は、そういう「国家の理念」を策定するのが、非常にへたくそだから。 あの人たち、一人一人は皆すごく優秀なのに、組織になるとまるで役に立たなくなるのはいったいなぜなんでしょうか。

Skype1980
質問者

お礼

ありがとうございます。 結論:日本の官僚組織は、そういう「国家の理念」を策定するのが、非常にへたくそだから。 なるほど、一言でまとめてくださって、ありがとうございます。

回答No.10

アメリカに住んで40年目の終わりに近づきました。 このカテで書き始めて8年目に入りました。  この件については何百ページも書ける自信はありますが、私には文部科学省なり教育委員会の内情に関してゼロの近い知識しか持っていませんので、現実的には私個人の主張となります。 >文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか? この件についてだけにしぼって箇条書きにするとこのようなことが言えるのではないでしょうか。 ・英語教育には実践性を必要とすると感じ、更に、そのために転換させる行動を起こすだけの政治力を持った人がいない ・どうしたって受験英語と言うおかしな英語が存在する、言い換えれば受験がある限り、更に言い換えれば、メートル法のように、国の方針として受験をなくす、だけの勇気を餅政策を作れる人間がいない ・有名大学卒業生で政治の首脳になっていて英語を使いこなせる人間がいない ・英語教師の質を上げる(英語を知っていると言うだけではなく使えるように教えられる)方針が5年計画・10年計画の中で体制化されていない ・出来ない教師のリストラを考えられない ・この件に関しての世論が弱すぎる ・試験のための文法知識をいまだに重要視している(使えるための文法ではなく) ・中学の英語教師の重要性を認識していない ・しゃべれない教師が存在する矛盾への無視 ・教育改革の必要性を感じていない ・国の国際化政策に英語教育改革が含まれていない ・もしかすると、非公的英語教育施設および出版からの税金を失いたくない ・官僚に保身主義を捨てる勇気を持った「出来るやつ」がいない ・この問題が解決してもその時には既に自分の政治人生が終わっていることを自覚している ・改革においての「犠牲者」と被害妄想にかかる人が多すぎる ・政治家としての人生リスクを負うことになる可能性を懸念する人が多すぎる など、転換計画を大規模に練り、その改革を実行するには大きな壁があるように見えすぎるわけです。 英語禁止令が終わってゼロから始まってからたったの20年で今の英語中国があるのです。 政府が指揮を取らなければこの規模の改革は起こるわけがありません。 このカテでさえ、英語表現がおかしいと感じないままに一般的な表現ですと断言する事が平然と行われているのです。 今の英語教育の延長なのです。  学校英語で英語が使えるようになれる筈なのです。 なれるだけの教材はあるのです。 しかし、使えるようになるために教えていないのであれば使えるようになるには非常に効率の悪い教育方法をしている、と言うことになるのです。 This is a pen. I am a boyなど、他の回答者の方もおっしゃっているように、使えない表現を教えてそれが基本だと言っている間は無理と言うものがあると言うことへの認識があまりにも少なすぎるわけです。 一生使うことのない単語を覚えたから英語力があるとおもわれ優越感を感じさせ、いまだにネイティブが使っている表現は文法的ではないと断言し、用語を使って言い換えただけの説明方法で満足しておかしくないと思わせている教育方法では用語を覚えるための英語教育になってしまっているわけです。 英語の短文を日本語訳を持ってこないままで間違いを探せ、能動態を受動態に変えろ、などの問題の無意味なことを押し付けていてどうやって使えるように教える事が出来ると言うのでしょう。 高校生の英語であれば、This is a penが使えない理由を示せ、くらいの問題を持ってきたって良いわけです。 しかしそれが分かる先生が教えていないのであれば高校生じゃ無理だ、と言って言い訳とするのであれば、英語維新は起こるわけはないです。 こういう風に見てくるとこの件だけで少なくともレポート用紙200枚はかけるのが分かりますね。 もう既に大学卒論テーマになるわけです。 しかし、英語教育学科を卒業する人の中でなんに人がこれについて卒論を書いたと言うのでしょう。 今の英語教育に関しての疑問をもてないのはもう既にその時点で始まってしまっているわけです。 個人主張をさせてもらいました。 不十分なところはたくさんありすぎるくらいあると思いますが、ここで私が卒論や英語教育改革企画書を書く場所ではないので終えておきますね。 現状を批判するだけの回答となりましたが、この7年で書いた物を一つの回答としてまとめることが出来れば批判しているだけではないことがお分かりだと思います。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。

Skype1980
質問者

お礼

ありがとうございます。一言で言うと、政治家、官僚、教師、教師予備軍の大学生、すべての人たちが良くないから、ということになるのでしょうか?

  • go_urn
  • ベストアンサー率57% (938/1643)
回答No.9

こんにちは!  「英語ができる」というのが多様な意味を持っていますので、全部をひっくるめた議論はなかなか実りある議論になりませんね。  9割以上の人間が行く中等教育で、5割の人間が何らかの形で実用に役立たせることのできる英語力を身に付けられたら、バケモノの国ですね。日本語がよくできる外国人にしても、底を探ればお寒い状況だと思います。  あんまりとんがった意識で考えないで、ゆったりした目を持つのもいいんじゃないでしょうか。  文法教育はまったく意味がないとか、他人の地道にっやっていることを貶めないで、いろいろあっていいじゃないか、という気持ちが一番大事と思います。この掲示板も、各自得意とするところで contribution を行えば、何らかの役に立つものだと思って参加している者です。  愉しく学べないと学習も嫌になりますね。で、愉しさの存するところは、教師と生徒、友人同士の人間関係であって、文部科学省の示達にあるわけではないでしょう。それはいつも重苦しいものです。  学校だけで英語ができるように思うのは大きな錯覚で、公的なシステムが何であれ、賢明な生徒は、その中から吸収できるものを吸収して、あとは自力で道を拓いていくでしょう。何をやるにも、語彙と文法の最低限の基礎が必要であることは自明だと思いますね。  私は能天気組ですので、そんなふうに楽観しています。私が嫌なのは、非寛容な心だけです。  以上、勝手な気持ちですが、言いたいことでしたので、書いておきます。

Skype1980
質問者

お礼

ありがとうございます。あまり学校教育に求めすぎるな、ということでしょうか。

  • HARUTIKUN
  • ベストアンサー率44% (26/59)
回答No.8

学校教育の最終目的は、「大学受験」です。だから、大学受験に必要な知識を中高6年間で、身につけさせることを目標にしているのだと思います。ただ、よく「実用的な英語を教える」といった場合、どのようにやればよいのでしょうか?実際に今までの英語教師では、ほとんどこのような「実用英語」を教える実力があるとは思えません。その素地が、まったくできていないのです。教師の研修や、留学幇助などは、経費がかかりすぎる。でも、ほとんどすべての英語教師を取り替えるのも現実に難しい。また、「実用英語」をするのに、週3日では、不可能です。また、「会話重視」といっても、会話表現を丸暗記するだけで、「試験によい点をとるため」となるので、本当の実力は付きにくい。  ただ、近頃の大学受験は、「長文読解」がメインになっています。だから、ある程度のレベルの大学を入学した方は、かなり英字新聞を読めるようになっています。だから、「話す」面ではだめでも、「読む」面では、かなりのものです。  また、最後ですが、こういう議論は常に「英語」のみに言われています。なぜでしょうか?、高校卒業して微積分のできる人は、何パーセントですか?国語では、高校卒業した方は、漢検2級をどれくらいの人が合格できるのでしょうか?こういう問題は英語だけに限るものではありません。日本教育全般に言えることです。高校生になっても「沖縄」のありかや、「地球が回っている」ということを知らない子供も例外的ではなく、予想以上に結構いますよ。

Skype1980
質問者

お礼

ありがとうございます。 次の2点ということですね。 ・今の英語教師に教える実力がない。 ・「話す」面ではだめでも、「読む」面では、かなりのものです。

noname#125540
noname#125540
回答No.7

教育に限らないのですが、お役所関係は、たとえ良い方法があってもなかなか本気で取り入れようとか変更しようとは思わないようです。 組織や体質上、取り入れられないのかもしれません。 例として、社会保険事務局の問い合わせ窓口が混雑するので「シフト勤務にして時間延長したらどうか」と言う人がいてもそうはしないとか。 関係ない話ですが献血ルーム。 最近は都会で土日もやっていたり時間延長するようになっているかもしれませんが、たとえば17時40分まででは、残業なしで仕事を終えるとしても、あれこれ片付けて献血ルームにたどり着く頃には閉まってますな。 20時ぐらいまで開けておくと会社員で献血する人が増えそうですが、2交代で早番遅番勤務なんて考えてないんでしょうね。 血液が足りないとよく言うけれど、とても本気で集めているとは思えない。 という具合に、お役所関係は「こうすればいいじゃないか」が上手く通らないようです。 組織が動きにくい・動かしにくい、 既得権益が絡む、 などもありそうに思います。

Skype1980
質問者

お礼

お役所仕事だから、組織や体質上、難しいということですね。ありがとうございます。

  • edgeal
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.6

小学校3年から英語を必修にするという記事が新聞に大きく取り上げられていました。他の外国人に比べて日本人に英語をうまく使いこなせたり、話せたりしないのは文法的な順番が大きく関係していると思います。中国語や韓国語などは記号化されていて英語とよく文法的な順番もよく似ているため、マスターしやすいのだと思います。これから、本腰を入れてやるような気がします。ただ、日本語は英語、漢字、ひらがな 、カタカナわ組み合わせてしようするため、英語的な端的な記号的分使用とは一線を画するのでちょっとその違いを十分認識して、教えたり、学んだりする必要があるのではないかと思いまする

Skype1980
質問者

お礼

ありがとうございます。 日本語の語順が英語と違うので、日本人は他の外国人よりも英語学習が大変だ、ということでしょうか? 少なくとも、韓国語の語順は日本語と良く似ているとは思うのですが・・・

回答No.5

   英語と楽譜 ~ 習熟率10%未満の現実 ~    たとえば関西地方では、国語・英語まで、なぜか大阪弁で教えます。  標準語ではなく(方言そのものは容認するとしても)表記文字として 特定できないアクセントやイントネーションを強要するのは疑問です。    これでは、日常的な会話はともかく、論理的な日本語は育ちません。  むしろ、数学・理科・音楽に適しているのは、あきらかに英語です。 (数学の証明など、難解な日本文法のために、独特の解読力を要します)    わざわざ日本語で教えるので、英語の特性が活かされないのです。  全国的にも、英字新聞や楽譜を読める人たちは、ほとんどが義務教育 以外のところで学んだのではないでしょうか。    日本語のように高度な言語に習熟したエリートが、判で押したように 「まず母国語をマスターしてから外国語を」と云うのは論外です。  ずばり云えば、英語のできる人々が、既得権を乱用しているのです。  

Skype1980
質問者

お礼

ありがとうございます。数学・理科・音楽などから、英語を使って授業をしよう、ということでしょうか・・・?

回答No.4

結構日本の英語教育優秀ですよ。アカデミック面では。成績下位者はどうだかわかりませんが、進学校の英語の授業はネイティブびっくりらしいです。高校で扱うイディオムもやたら文語的らしいし。 スピーキングの方はあんみつ姫のカステラ先生をクラスに一人くらいの割合で派遣したら身につくようになるかもしれません。美人なら吉。 ライティングは、文通やネイティブによる課題添削など、もっと身近に「英語通じた!」体験を感じることが出来れば生徒はどんどん文法や辞書を使うのではないかな? まあ、異文化理解の授業を削って、学校の正課の授業でがきんちょの頃から「えーい、びぃい」とか「へーぃ、わっつ あーっ」やらせるのは無意味だと思うんですよね・・・。発音綺麗になったり親しみはわくだろうけど。お稽古事として英語を体系的に予習するとかならいいんですが・・・。

Skype1980
質問者

お礼

うーん、ごめんなさい、一言で言うとどういうことなんでしょうか。。。

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