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文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか
これだけクソミソにけなされているにも関わらず、文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか? 議論のための意見ではなく、分析/解説を求めます。
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- taked4700
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No.16です。丁寧に返事を書いていただき嬉しく思います。 phonicsとは、アルファベットの読み方から単語の発音を類推できるようにしたものです。 漢字の読みは、暗記をしなくても、または、暗記が出来ていない状態でも、読み仮名をひらがなで示すことで、その漢字を読んでもらえます。もっとも、ひらがな自体は暗記ですが。 日本語の読み仮名とは違って、phonicsでは、英単語の読み方を示すためにアルファベットそのものを使います。また、発音が分かればスペルもほぼ出来るようになります。 以前自分が定時制に勤めていた時に作った、簡単なphonicsについての説明をコピーします。 (1).つづりと発音の関係: つづりを覚えるのは、次のような法則を知っておくととても楽になります。これは、以前、定時制に勤めていた時に作ったものです。 1.文字は2種類ある。一つは母音を表す母音字でA, I, U, E, Oの5文字しかない。もう一つは子音字でアルファベットから(母音字)を除いた残り全部を言う。 2.母音とは、口を自然に開いて、唇とか舌とかのぞを使わずに、自然に出せる音のことを言う。「ア、イ、ウ、エ、オ」のような短い母音と「エィ、アィ、ユゥ、イー、オゥ」のような長い母音の2種類がある。つまり、基本的に、母音字は、それぞれ、これらの短い音と長い音の二通りの発音を、持っている。ここが、ローマ字と英語の文字の読み方の違う点です。 なお、u は、短い読み方は「ウ」よりも「ア」のほうが多い。cut:「カット」, bus「バス」など。それから、aとuでは、口の開きの大きさが異なる。aのほうが口が大きく開き、「エア」のような音で、Japan:「ジャパーン」の panのような音。uは、日本語の「ア」とほぼ同じ。 3.子音とは、口の色々な機関、例えば、舌、唇、歯、喉などを使わないと発音できない音のこと。基本的に、子音字が表す子音は、そのアルファベット読みから母音を取り去った残りの子音になる。例えば、f、l、m、n、s、xのアルファベット読みはどれも、「エ」という母音が共通していて、それぞれの文字のアルファベット読みから「エ」を取り去り、残った子音がそれぞれの子音字の表す子音となる。だから、基本的に、子音字は一通りの読み方しかない。 なお、2と3が、ローマ字が「か」ka のように、二文字になる理由。 4.母音字が二通り、子音字が一通りの発音の仕方があるので、英単語の読み方で困るのは、母音字を短く読むのか長く読むのかの判断である。 5.dog, cat, pet の様に、子音字+母音字+子音字 の並びの時は、母音字を短く発音する。これは、二つの子音字に挟まれて、母音字が圧縮されているとイメージすればいい。母音字1個に対し子音字2個で、1対2で、母音字が負けて圧縮されていると思えばいい。 6.cake, five, codeのように、子音字+母音字+子音字+eの時は、母音字を長く発音する。これは、eが母音字であるため、子音字2個、母音字2個の同数なので、数の上で勝ち負けなしとなり、母音字は圧縮されない。これは、e が自分は発音しなくていいからもうひとつの母音字を長く発音してくれと言っているようなもの。 なお、これには、have,come,liveなどの例外があります。ただ、例外は日常的に非常によく使うものに限られます。そうでないと、例外的なものを覚えていられないからだと感じます。 7.desk, test, pass の様に、子音字+母音字+子音字+子音字のパターンの時は、母音字を短く発音する。これは、子音字が3個に対し、母音字がたったの1個であるので、母音字が子音字に圧縮されて短くなるとイメージする。 これも例外がある程度あります。kind,find などです。 8.boat, read, coat の様な子音字+母音字+母音字+子音字のパターンの時は、母音字の一方だけを長く読む。もう一方のほうは読まない。これは、次のように考える。つまり、母音字と子音字の数が同じなので、互いに勢力が等しい。よって、母音字は圧縮されないということ。これにも例外が有る程度あり、out の「アゥ」とか、August の「オウ」などです。outの応用は数多くあり、about,shout などです。 9.アルファベットの読みに無い音は、近い口の形を持つ文字を二つ組み合わせて表現する。thank のth, out のou など。子音は子音字を、母音は母音字を組み合わせる。 日本語でHokkaidoと言う時と、hokaidoと言う時ではhoの部分を強く言えるかどうかの違いがある。日本語は高低アクセントだが、英語は強弱アクセントになるので、Hokkaidoのように、子音字二つでためを作り、その前の母音を強く読ませる形が多い。これについては、スポーツ観戦で「日本」を応援する時の言葉でも説明できます。nihonとはほとんど言わずに、 nipponといいますよね。これは、nipponのほうが強く言えるからです。「イ」の音を強く発音するには、nipponと言うしかないわけです。 名前動後。つまり、名詞のアクセントは前、動詞のアクセントは後ろ。これは、動詞の過去形などが語尾変化により作られるので、語尾の方を強くはっきり言う必要が生まれ、それと区別するために名詞は前を強く言うようになったため。一番簡単な例が、同じ語が名詞と動詞でアクセントの位置が変わるrecordの例です。ただし、似た単語でreportは名詞動詞ともに後ろにアクセントです。 長い単語は、短い単位に分けて、考える。enforcementは、en-force-mentとなる。 以上でコピー終わり。 日本の多くの生徒は、ローマ字と英語のスペルの違いに戸惑ってしまい、likeをlaikと書いてしまったりするわけで、ローマ字との橋渡し教材としても意味のあるものなのですが、あまり取り上げられないのが、今の日本・韓国の現状です。 なお、phonicsは、英語を母国語、公用語として使っている国であればほぼどこでもある程度は取り上げている教材であるはずなのです。 ですから、フィリピン、アフリカの半分ぐらいの国などでは、ある程度使われているはずです。外国語として学んでいる中国、ベトナム、フランス、イタリア、ロシアなどの国でどうなっているかは知りません。
- haruhyouby
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#4です。あの、嘗て帰国子女率が当時日本で1,2位を争うほど多かった大学(治安は悪かったですが)に所属していたものです。自分は日本の学校卒の凡人ですが。抜本的に改革する必要がないのは、日本における英語教育がアカデミックだからです。学校英語(センター程度8割以上)さえきちんとやれば、数学が苦手でない限り外国人学生としてむこうのアイビーリーグや上位州立には入れる成績ですよ、SATや学力的には。日本の英語教育は語族的近接言語区域を除けば世界一ですよ。 質問者さんが思っていらっしゃるとおり抜本的に改革したいほど粗悪な講義をなさっている学校もあるでしょうから、一概には言えませんが。国際比較上も海外のエリートと日本の大衆を単純比較し、はっぱをかけていたりするようです。すみません。私の要約力では一言ではまとめられませんでした。
- go_urn
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No. 9です。 >ありがとうございます。あまり学校教育に求めすぎるな、ということでしょうか。 もちろん学校教育は、大きな意味を持つと思いますよ。私くらい学校教育に恩義を感じている人間も少ないでしょう。でも、どんなに有望そうな教育方針を定めたとしても、形式だけでは英語ができるようになるはずもありません。結局は人間と人間です。型に嵌まった会話など、アクビが出るだけです。 教育経験のない人、短い人は、こうすれば絶対いいなんて、いろんな威勢のいいことを言いますが、現実のアクビしている生きた人間に適用してみれば、うまく行かないことがほとんどです。私はほぼ40年教えてきましたので、そう言うと、いかにも実感がこもるでしょう。私も最初は自信に満ち、やはり威勢がよかったんですよ☆ でも最近つくづく思うのは、大体が嘘っぱちだな、ということです。 僕はもうそういうものはあまり信じないことにしています。自分が本当に汗水垂らして工夫してきたものだけが生徒にやっと少し伝わるということだけ信じられます。生徒はよく教師を見抜いていますよ。恐いくらいです。 ということで、文部科学省がけっして見ないところにこそ、教師の心すべきことがあるんじゃないか、なんて、半分ボケ始めた頭で考えているところです☆ 基礎の大事さを教えています。この掲示板でクソミソに言われているSVОCなど、非常に重要だと思って、丁寧に丁寧に教えています。そして、香具師に騙されるんじゃネエぞ、いいか、コミュニケーションでもな、文法と語彙の基本があれば、あとは自分で学んでいけるからナ、みたいなことを、紳士的に(?)今日も話してきたばかりです☆生徒さんたち、よく聞いてくれましたよ。 そうした生徒たちが宝です。自分で学んでいく基礎力をつけてほしいです。それさえできれば、教育は成功だと思っています。
- nalu_hoku
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過去の歴史をみても、英語を使うことのできない日本人が海外で高く評価されていることがあります。彼らは質の高い伝達内容と教養を身に付けていたからだと思います。 英語は単なる伝達手段にすぎず、日本人が英語教育をしっかり受けたところで、物事を考える言語は変わらず日本語であり、伝達内容がしっかりしていなければ全く意味のないような気がいたします。 なので英語は身に付けたいひとが死ぬ気で身に付ければ良い伝達手段ではないのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 つまり、 ・英語は必要な人だけがやればよい科目 ・だから、文部科学省は抜本的に変えようとは思わない。 必要な人だけがやればよいのだとしたら、なぜ、日本人のほとんどが中高で英語を勉強しなければならないのでしょうか? そもそも、そこのところから変える必要があるのではないでしょうか?
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
Gです。 私も公的教育機関であれば、すべて平等に、と言う事は前提にするべきだと思いますし、すべての人に英語と言うものの必要性があるとは思いません。 しゃべると言ってもぺらぺらにしゃべるようにさせる必要なんてまったくないのです。 しかし教養として持たせるべきものだと思います。 しかしここで問題になっているのは、教養と言う名前で「文法知識」を教養と決め付けているところなのです。 準動詞と言う用語を知る事が教養だと言っているように思えてなりません。 英語を使えるように準備させる、土台作りに留めておいて良いのです。 そして、今の時代では理系だからと言って英語の土台作りをしてあげない、文系だからと言っておかしな英語を教える、と言うことがなぜ起こって良いとするのでしょうか。 土台作りをちゃんと教えておけば、英語に興味がある人、後々英語力向上を必要となる人たちであれば、向上させていけるのです。 英会話を教えると言うことではないのです。 基本が出来ていれば英会話はそれほど難しいはずはないのです。 600時間しかないと言うことが分かっていれば、後は何が土台作りに必要な事なのかをこの600時間でやれば良いだけのこと。 それをやらないで、しかも、おかしな不平等なことをして、更に小学校でも、教えられる先生がいないと言うのに、中学に入るときには既に差が出てきてしまうようなことをやったり、使えるようになるための教育ではない、と言うのであれば、なんでALTなどを雇うのでしょう? 政府が考えているだろうと思う事と実際にやっている事とがマッチしていないと言う事も考えても良いと思います。 小学校で英語を教えるなんていう政策は、英語と言う言語を教えると言うことに関して表面だけの知識に基づいているおかしな政策に過ぎなく、もっと根本的な、例えば、中学での教育を合理化させ効率のよい教育改革をするとか、しっかりした教育方法を成立しなくてならないのです。 転換できないのはこんなところにも大きな理由があるわけです。
お礼
ありがとうございます。 ・学校英語教育は将来のための土台作りが目的(下の18番さんと一緒ですね) ・だが、その土台作りという目的と、実際にとっている政策が、うまく合致していない ということですね。 ということは、政策実行者が、 ・学校英語教育の目的を理解・共有していない または ・理解・共有しているが、その目的を果たそうとは思っていない または ・その目的を果たそうとしているが、できていないか ということなのでしょうか?
- googoo1956
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○ さすがに、文科省も批判は気にならないわけではなく現在では小学校からの英語教育を始めています。しかし、実はこれも何を狙いとしているのか、どのような結果を招くのかはよく分かりません。 ○ 小学校の指導者は、週に何回やってくるのか分からないNativeと英語を専門で勉強したわけではない(と思われる)小学校の先生方で行うものです。この場合の日本人教師は、どちらかというと英語が得意ではないタイプの方も多い(失礼!)のではないでしょうか。かえって専門家ではない方が生徒とともに学ぶ状況になって好ましいという考えもあるかもしれませんが、やはりそれは、特に音声面などにおいて考えれば英語教育の本来の姿ではないでしょう。 ○ また小学校で行った内容は、中学校での学習の前提にはならないという歯止め(?)も存在します。中学校の教材は、英語を始めて学習することを前提に作られています。その意味は、知識ではなく、音声面の効果や英語への自然なかかわり方を目的をしているのでしょうが、それにしては、前述のように指導者の体制が満足できるものとは言えないように思われます。 ○ 結局、文科省の対応も小中高、そして大学を見据えた全体的なものではなく、批判をかわすためのものでしかないのではないかと思えます。 ○ よく指摘されるように、大学受験の試験の内容を変えれば自然に中高の指導内容も変わらざるを得なくなるでしょう。しかし、大学が求めているものが、中途半端な会話能力ではなくて各分野の外国の文献を読み解く読解力を磨くための英語の基礎学力である限り、大学受験におけるDrasticな変革が行われることはないでしょう。そして、その考え方は、基本的に文科省の考え方と一致しているのではないでしょうか。 ○ そもそも学校で特に中学・高校で教わる教科がすべて実際の生活で即役立つ内容ではないという本質的な問題もあります。「あれほど時間をかけた数学や化学や日本史などが今の生活や仕事において役立っているのか」と思う人もきっと多いことでしょう。かといって、それらの存在意義を完全に否定する人は少ないでしょう。 ○ 学校は、極論すれば、自分が向いているもの、そして向いていないものを発見する場所です。自分に向いているものが見つかった幸運な人がそれをさらに磨く場所が大学でしょう。 ○ 会話力を身につけたい人、専門的な英語の文書を読まねばならない人、The Newk Times程度の英文が理解出れば良い人、必要性は様々です。それを解決するのは個人の問題です。 ○ 大学においても、Nativeと会話をする機会がない人に、学校教育という場で高度な会話力を習得させようとしてもおそらく徒労に終わることでしょう。中学レベルであれば、会話の授業も成り立つでしょうが、高校レベルでは、会話とは言え内容もそれなりに高度になり、生徒に強いモチベーションがなければ授業を成立させることは難しくなることが予想されます。 ○ 実際の会話で即役立つ完成された内容は案外、深みに乏しく発展性に欠けるものになりがちです。高校までの学習で身につけるべきものは、将来の必要性に応じて大きく発展させることのできる英語の土台を身につける場であっても良いのではないかと思います。 ○ 実際に役立つかどうかわからないことでも中学・高校で幅広くしっかり学ぶことが、特定の分野において将来大きく成長し、結果的にその根っこを深くて揺るぎないものにしてくれる可能性を秘めているのではないでしょうか。そして、その可能性を生徒たちに与える役目を持っているのが、学校教育だろうと思います。 ○ 文科省の考え方については想像することしかできませんが、おそらく英語という科目は英会話という実学とは違って、教養科目であるという認識なのではないでしょうか。英会話を身につける必要性のある人は、専門性のある学校への進学、またはダブル・スクールで学ぶという選択肢があるというスタンスなのでしょう。
お礼
ありがとうございます。 ・ひとくちに英語能力といっても、色々ある ・その全てを中高でやるのは不可能 ・だから、中高では、色々な英語能力の土台となる部分を鍛えるべき ・この「土台を鍛える」=教養であり、英語は教養科目である ということでしょうか? では、英語能力の土台を鍛えるという視点では、現状の英語教育で問題ないのでしょうか? 抜本的な改革は必要ないのでしょうか?
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
No.16です。タイプミスが二箇所あります。 >>> <<<の部分が訂正後のものです。 1.小学校で系統だってやるところは>>>少数<<< 2.アメリカ・イギリスという世界の>>>覇権国<<<
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
現状分析: 日本も韓国も、そしてアメリカ本国でさえ、英語(国語)教育の初期の段階で、文字と発音の関係をきちんと取り上げることをしていない。しかし、phonics として、かなりきちんとした体系的なものがすでに出来ていて、1980年代までは、アメリカ本国でかなり広く使われていた。つまり、大部分の小学校で、使われていて、また、移民に対する英語教育にも取り入れられていた。セサミストリートという英語教育番組でも、初期のものはほぼphonics だけを取り上げていた。 しかし、大体1990年代に入ると、次第に、phonicsをアメリカ本国でも取り上げなくなり、今では、小学校で系統だってやるところは小数になっているし、移民に対する教育でも、ビデオに台詞がスーパーインポーズされる教材が大きく取り上げられ、phonicsを系統だって取り上げる教材はほとんど使われなくなった。日本や韓国は、一部の大学を除いて、phonicsを系統だってやる学校はほとんどなく、細切れの知識を、ばらばらに取り上げるだけ。 つまり、外国語を学ぶ時に本来一番の基礎になるはずの、文字と発音の関係をまともに取り上げないため、この部分が大きなハードルになって、まともに自分で勉強ができないようになっている。そのため、一部の経済的に恵まれた家庭の子供のみが、家庭教師や塾、留学と言う形で、このハードルを乗り越えることが出来るようになっていて、(現在の英語教育は)社会階層の固定化に大いに貢献している。 例えて言えば、水泳の練習で、プールの深さが2m以上あり、溺れる覚悟のあるものでないと実際の練習ができないと言う状況だ。一部のもののみ、浮き輪などの使用が認められる。 解説: バベルの塔の寓話の通り、人々が互いに理解するためには言葉がわからなければいけない。言葉がわからないようにすることは、分断統治のもっとも典型的な手段だ。 文法や語彙にしても、現在のものよりずっと簡単に理解できるように説明や構成が出来るのに、それをしようとしないのは、試験制度、学校制度で、市民を分断し、差別する道具として英語と言う教科を使うため。その一番の表れが、韓国や日本で行われつつある小学校での英語教育だ。つまり、日本の英語教育が一向に改善されない、つまり、表面的には色々な努力がされているように見えても、実効的な改革がされないのは、日本政府の責任と言うよりも、アメリカ・イギリスという世界の派遣国の意思であり、意図的に現在の状況が続けられていると言うこと。
お礼
ありがとうございます。 ・phonicsが英語教育では大事なのに、日米韓の三カ国では軽視されている ・そのため、日本の英語教育が悪いものとなっている ・日本の英語教育が抜本的に変わらないのは、アメリカとイギリスの陰謀 つまり、Phonicsをとりいれないのが、アメリカとイギリスの陰謀のため、ということでしょうか。 ところで、無知ですみませんが、Phonicsって何ですか?
- 2007Taro
- ベストアンサー率47% (24/51)
文部科学省に限りませんが、日本の役所は抜本的になにかを変えることがなかなか出来ません。いわゆる「前例主義」なのです。 それは役所に限らず日本の政治もそうです。国民がいかに困っていても、政党間の中だけでゴタゴタやるばかりで、現実を抜本的に変える事ができないのです。 英語力向上のために、大学入試から英語の試験を除くことを提案したいと思います。そうすると、高校まではもっとゆったり英語に接する事が出来る。いわゆる受験的な、こまごまとしたウンザリするような知識を記憶する事から解放されます。その段階の英語力でも、外国に行って日常のやり取りはどうにか出来るのです。 そして、大学からは、英語を必要とする人は集中的に、少なくとも2時間は英語に接する事を課すようにする。毎日です。一日も欠かしてはいけない。外国語は集中的に毎日たっぷりと浸るように学ばなければ身につかないと思うからです。これで、大学で遊びほうける学生が少しは減ることでしょう。
お礼
ありがとうございます。 あるべき学校英語教育は、 中高では、大学入試の心配の要らない、ゆったりした英語教育で、 大学では、必要とする人の毎日2時間の学習 ということですね。 でも、役所が前例主義だから、そのように変えていくことができない、ということですね。
- hinode11
- ベストアンサー率55% (2062/3741)
文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない姿勢を支持します。 英語を「読む」技術、「書く」技術、「話す」技術は、教養ではありません。どこまでも技術に過ぎません。英語をどんなに上手に操っても、その人の内面の教養が高いわけではありません。英語をペラペラ話す日本人が、日本の歴史や伝統や文化について深く理解しているとは思いません。 英語の小説を読みたい人、職業がら英語の論文を読まなければならない人、英語の手紙を書きたい人、職業がら英語の記事を書かなければならない人、アメリカの友人と話をしたい人、職業がらイギリスのビジネスマンと交渉をしなければならない人が英語技術を身に付ければ良いのです。 英語は、技術として身に付けたい者が、塾や専門学校などで学べば良いのであって、文部科学省が扱う教育の範疇に入りません。
お礼
ありがとうございます。なかなか刺激的な意見ですね。 ・リーディング、ライティング、スピーキングは技術。 ・技術は、文部科学省の教育として扱われるべきでない ・既存の英語教育では、上記技術が身につかない ・だが、それでもOK では、なぜ、既存の英語教育を「抜本的に転換しない姿勢を支持する」のでしょうか? 教養が身につくからでしょうか? もしそうだとしたら、どのような教養が身につくのでしょうか。 異文化理解などなら、もう少し別なもっと効率よい方法があるような気もしますが・・・ おっしゃる「技術」のためでないとしたら、週4,5時間も勉強するのは非効率ではないのですか?
お礼
ありがとうございます。 「自分で学んでいく基礎力」 いい言葉ですね。 皆さんの回答を一言で要約すると、中高の役割ってのは、そういうことなのかなと思いはじめてきました。 では、現状の中高の英語教育は、「自分で学んでいく基礎力」が身につくのでしょうか? この点では、抜本的に変える必要はないのですか? そもそも、英語・英会話において、「自分で学んでいく基礎力」っていったい何ですか? SVOCなどの文法と基本語彙ですか?