「自分の思い通りにならない」ことを、厳しいとしているのでは?
>つまり、「厳しい」という言い方の中には、正しいことを言及しているという含みがあると思うのですが。
確かにそれは含むと思います。
ただし、自分が正しいと思っていることが、必ずしも他の人にとっても、正しいとはならないこともある。
例えば、ビデオでベータとVHS方式とあって戦争になった。
質でいけばベータの方がいいので、良質の商品を出すことは、自分の仕事のやりがいになり、しかも世の中の人々にもよいことをしたことになる。
が、松下幸之助さんは、「消費者にとって良いこととは、価格が安いことだ」なわけです。
ベータ方式は、VHSに比べ画像だったか忘れましたが、とにかく質はいいが、それを実現するためにコストがかかる。
VHSは質はベータに比べた劣るが、価格はベータに比べて安く済む。
そういうわけで、松下さんは社会への貢献度でいけば、安価にしたほうが、多くの人がビデオを買えるからと、VHSに軍配を挙げえたわけです。
ベータがVHSより安く製造できれば、それがベストですが、限界があり、赤字を出してまで、社会貢献しようとしても、結局身が持たない。
赤字で倒産してしまっては商売人じゃない。
商売人の松下さんの哲学が伺えます。
融通にも限界があり、身を滅ぼしてしまうまで融通をつけてしまっては、馬鹿としかいいようがない。
かといって、融通を全くつけないと、プラトンのようになってしまう。
融通をつけないと人から嫌われるが、つけすぎると身が滅ぶ。
sony側は、商売の厳しさ、世の中の厳しさを痛感したわけです。
お礼
ベータの例は非常にいいですね。典型的に「優れたものだから普及するとは限らない」というパラドックスだと思います。そのようなねじれがどうもあふれいているようで、どうも釈然としないですね。商売の厳しさというのはその「気の利かなさ」みたいなにおいがします。 極端になりますが、江戸の官僚田沼意次が失脚したのは、性善説に基づく自由化政策がうまくいかなかった、人民はそれほど予想通りに動かず、もっと汚い動きをしたということらしいです。