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ツヅミとツツミ
鼓はツヅミと発音し、堤はツツミと発音すると思いますが、堤がツヅミと発音(連濁)しないのは何か理由があるのでしょうか。
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こんにちは ( ^^ 連濁とは、二語が結合して熟語を作る場合に後の語の先頭の清音が濁る変化のことです。 <例> 堤(つつみ)→ 日本堤(にほんづつみ : 台東区の地名) 米(こめ)→生米(なまごめ) 鼓、堤はそれぞれ一語なので、その中で連濁は起きません。語源までは知りませんが、要するに元から「つづみ」、「つつみ」だったのでしょう。 なお、「舌鼓」は「したづつみ」と一見連濁まがいの読み方がされることがありますが、正しくは「したつづみ」です。「したづづみ」にはなりません(腹鼓も同じです)。
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- MockTurtle
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> 舌鼓が連濁しないのはなぜなのでしょう。シタヅヅミでは発音しにく > いからでしょうか。 連濁というものは規則性があったりなかったりで、厄介な代物です。椋鳥は「むくどり」、閑古鳥は「かんこどり」ですが、焼鳥は「やきどり」とは言いません。正直これは、考え過ぎると気が触れますね (笑) ただ、鼓(つづみ)のように第二音節以降に濁音を含む言葉では連濁は起きないという法則性があります(ライマンの法則)。 <例> 手鏡(○ てかがみ / × てががみ) 笊蕎麦(○ ざるそば / × ざるぞば) <例外> 若白髪(わかじらが)、縄梯子(なわばしご)など > シタツまで発音するところで連濁が起こってシタヅになり、シタヅヅ > ミでは発音しにくいのでシタヅツミと言ってしまうのかと考えている > ところです。 あるいは、そうかも知れませんね。ただ私自身は「したつづみ」より「したづつみ」の方が言い易いと感じたことはありません。ですから、「~包み(づつみ)」などの言葉を先に覚えた(あるいはよく使う)人が、その影響でうっかり言ってしまうのではないかなとも思います。 なお、その辺は下記資料に詳しく書かれているので、参考にしてください。 ライマンの法則の例外について(PDFファイルです) http://cicero.u-bunkyo.ac.jp/lib/kiyo/fsell2004/249-266.pdf 【以下余談】 言葉というものは、最初に聴いた時の印象が後々まで尾を引きます。例えば親がある言葉を間違って覚えていて、子供がそれを聴いて育った場合、後に間違いだと知っても中々癖が直せない場合があります。 私自身の経験では「辻褄が合わない」がそうでした。母がいつも「つりつまが‥」と言っていたので‥ (笑) 小学校高学年になってから、クラスメートに爆笑されて初めて “真実” を知ったのですが、直すのに骨が折れましたよ ( ^^;
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回答ありがとうございます。 興味深い参考文献を紹介していただきありがとうございます。外国人がこういう研究をしているとは面白いですね。
- jo-zen
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「鼓」も「堤」も「包み」も本来すべて「つつみ」であったと思います。皮ではさむから「鼓」、小高い岸で川をはさむから「堤」、手や布・紙などでおおう(はさむ)から「包み」という言葉が派生しました。 「鼓」を使うものでも「鼓川(つつみかわ)」、「鼓神社(つつみじんじゃ)」「巌鼓明神(いわつつみみょうじん)」を始めとして、現在でも地名等に残っています。 http://www.kousyu.net/fuefuki-tutumigawa.html http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/sekizou1/02.html http://www.tohgoku.or.jp/~aysk/omiya.htm もともと、濁音になるかどうかは、そのもの自体の語感や、複合語になった場合の語呂などにも左右されますし、あくまで私見ですが、音を神に聞かせることから「通神(つうずみ)」が短縮したと考えると、「鼓」が「つづみ」と表音されるようになったと考えられます。 以上のように、もとは全て「つつみ」であって、「鼓」だけが「つづみ」になったと考えられます。
お礼
回答ありがとうございます。 「ツヅミ」の「ヅ」が連濁である可能性も有るわけですね。 鼓を「ツツミ」と発音していた頃に舌鼓という言葉ができていれば「シタヅツミ」になっていたかもしれませんね。
- kimosabe
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連濁は、語が複合するとき、後続の語の最初の音節が清音から濁音に変化する現象です。 連濁が起こる場合の法則については諸説あるようですが、 (1)熟合の度合の強いものに起こりやすい、 (2)擬声語擬態語では連濁が起こらない、 (3)後続する後の第二音節が濁音の場合は連濁が起こりにくい、 (4)前に置かれた語の末尾が「ん」の場合は連濁が起こりやすい、 などがその代表的なものです。「したづづみ」になりにくいのは、上記(3)に当たるものと考えられます。 室町末期から江戸初期に日本でキリスト教の布教活動を行ったポルトガル人宣教師の一人ロドリゲスが著した「日本大文典」には、連濁について、「うむの下濁る」(「う」は長音、「む」は撥音「ん」)、「上清めば下濁る」といった当時のことわざ的なものあげて説明しています。 なお「山川(やまかわ)」と「山川(やまがわ)」のように連濁が起こっているか起こっていないかで意味が異なるケースもあります。 全般的に見て連濁という現象について完璧な法則を立てるのは難しいようです。
お礼
回答ありがとうございます。 > (3)後続する後の第二音節が濁音の場合は連濁が起こりにくい、 なるほど。濁音が二つ続くと発音しにくいからでしょうね。
「包み」(ツツミ)をツヅミあるいはツズミと読み書きしないのと同じ理由でしょ。「小包」はコヅツミとはなりますが、このことは質問外のことですね。
お礼
回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。よく分かりました。 > 「舌鼓」は「したづつみ」と一見連濁まがいの読み方がされることがありますが、正しくは「したつづみ」です。「したづづみ」にはなりません(腹鼓も同じです)。 偶然コメントをいただきましたが、実はこちらに興味がありまして、舌鼓が連濁しないのはなぜなのでしょう。シタヅヅミでは発音しにくいからでしょうか。 私自身昔からシタヅツミと発音するクセがあって、なぜなのかと考えていたのですが、シタツまで発音するところで連濁が起こってシタヅになり、シタヅヅミでは発音しにくいのでシタヅツミと言ってしまうのかと考えているところです。