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学生運動における暴力の位置づけは

「実力行使もやむをえない」「何があっても暴力がよくない」といったコトバの対立は当時の新聞にもみかけられるのですが その位置づけがいまいちわからないので、質問させていただきます。 1.実際に、どのような状況・目的でどの程度の暴力なら容認されていたのでしょうか。 2.手加減のしあい、というか、制約というかについて 機動隊は常に「双方に死者を出さない事」を気にしていたと思うのですが 例えば安田講堂の攻防において、学生側にも「警察に死者を出さない事」は意識されていたのでしょうか? また、学生側は「警察は死者を出さないよう気をつけていること」をどう考えていたのでしょうか その点を利用して、自らの命を盾にとる戦術がとられることはなかったのでしょうか? さらにもっと時代は下りますが 内ゲバ報復による事件について、片方が報復において「包丁を凶器として使った事が「衝撃を与えた」という記述をみかけましたが 角材によるリンチで殺人をすでに何件もおこしていた人たちがいまさら、 凶器が包丁にかわったことで驚くというのも不思議です。 自分の父親世代くらいの話を「歴史」と呼ぶのもなんだかなぁ、とは思いますが 適切なカテゴリはわからなかったため、こうさせて頂きました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

世代的には、質問者と質問者の親御さんの間くらい、安田講堂紛争の頃は小学校高学年です。 情報として暴力は知っていた点と、実際に人が死んだという経験の乖離と葛藤になるかと。 ロシア革命や毛沢東思想を学習済みだったので、学生運動においては、革命のためには暴力はOKという考えがベースとしてありました。端的に示すのが 唯銃主義 というやつです。百の議論より銃が無ければ革命は起こせないというもの。 けど、実際には、連合赤軍事件の前には殺害を前提とする暴力はなかったように記憶しています。 連合赤軍事件の山岳ベースで、閉空間で総括が暴力化、そして事故死から積極的な殺人とエスカレートした。 安田講堂 三島由紀夫の文章か発言で「彼らは死ぬことを覚悟していない。だから革命は起こせない」というものがありました。1969年 ※ 自分は1970年に割腹してしますね。 自分を盾にするということは、死を覚悟することが前提になりますので、その戦術はとれなかったのでしょう。

noname#82077
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#58790
noname#58790
回答No.3

粛清と自己批判についてですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9B%E6%B8%85 ここで行われていたのは「法治国家を守るため」の粛清でなく、体制を維持する粛清です。 体制が維持出来ない(権力を失う)のであれば手段を選ぶ事が無かったと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%AD%A6%E5%85%B1%E9%97%98%E4%BC%9A%E8%AD%B0 この場合、学生運動と共産運動での粛清と自己批判は良く認識すべきでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6 また、占拠時の行動に於いては、武器となる力(煙、水、鈍器その他)は使いましたが殺傷を容易に想像出来る刃物(凶器)のたぐいは少なかったようです。 薬剤(ニトログリセリン)などの使用も控えていたようです。 中毒性の科学反応ガスは知りません。 各リーダーは持ち場の死守の義務があり、それを遂行する手段をとりました。 >ところで、この文章はすべて私に対する回答なのでしょうか? 正しい認識の元、正しい解答が得られます。 彼らは最終的に学生運動(自己)をも批判する事になります。

noname#58790
noname#58790
回答No.2

法律は絶対です。 どの程度の暴力なら容認されていたのでしょうか? どんな暴力であれ、法律は暴力を絶対に容認しません。 思想は自由です。 しかし、その行動まで憲法は保障しません。 相手に思想を強制したり、暴力で思想を押し通す行為は 「思想の自由」「個人の権利」を否定する物であり、民主主義を否定するものです。 思想は自由です。 「暴行」「障害」「器物損壊」 「公務執行妨害」「不法侵入(私有化)」 人に迷惑をかける。 こう言う人間は裁いて行きます。 公務員でも逮捕の権利はありますが、法律を犯す権利権利はありません。法律を守り、国民に見本を示さねばなりません。 (義務、権利) 犯罪者なので殺してよいのだ。 TVの見すぎです。 警察官でも裁判所では平等に裁きます。 問題は目的です。 占拠が目的であるのか?/警察官の生命が目的であるのか? 暴力が目的であるのか?/直接生命で償わせる行為であったのか? 死ぬ事は容易に想像出来た。 個人の生命を直接狙った物。 友人と2名で木刀をもって友人1人を殴ってみれば分かります。 友人が、延べ1時間に渡って頭部の一点を集中して狙い続けた。 これは予想できますか? 友人が致死するのを予想出来ますか? 凶器が同じ木刀なら2名が同じ罪ですか? 凶器が双方刃物である場合は木刀と同じですか?

noname#82077
質問者

補足

言葉足らずで申し訳ありません。 暴力を容認、というのは 「学生運動を行う組織内部において」という意味です。 ところで、この文章はすべて私に対する回答なのでしょうか?

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