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小説のイメージが変化してしまい困っています
- ここ2、3日前から困ったことが起きました。普段と変わらず本を読んでいると、文章から得られるイメージが硬質で霞んだ霧のようなものにならず、悩みの種となっています。
- 公衆電話の描写が出てきた場合、実際の公園の中の公衆電話をイメージに取り込んでしまい、小説の世界がリアルに近い物哀しいものに変わってしまいます。
- 以前の深淵なイメージから即物的なチープなイメージに変わってしまったことが悩みの種です。これが強迫観念のようになっています。
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的確な回答ではないかもしれませんが、私の思うところを書かせていただきます。 小説を読んでどんなイメージを浮かべるかは、読者側に依存する事でしょうか? いえ、私は筆者側の力量であるように思います。 例えば人間が演じるテレビドラマや映画などは、私は感情移入ができないので殆ど見ません。 どうしても「女優の○○○子がやってる」としか見えないんです。 でもそう見られるのは作品として、役者としてその女優が失敗してるわけで、中には真に役になりきって演じている俳優もいます。 また、漫画というのは私は一番感情移入ができると思ってます。 画面も台詞もすべてオリジナルなわけですから、何の先入観もなくその世界に入れるのです。 漫画作品がアニメ化した時に声優の声が、自分の中でイメージしていた声と違う、と違和感を感じた経験は誰にでもあると思います。 小説については、これは丸ごと読者が描くイメージに委ねられます。 そして読者がどうイメージするかを計算して文章を構築するのが、作家の仕事です。 数年前ある女流作家が、実在の人物をモデルに小説を書いたのですが、容姿、経歴などの設定が実在のモデルとほぼ同じで、これでは個人が特定されてしまうと訴訟を起こされました。 作家は「この作品のメッセージを伝えるにはこの設定以外にない。だから必然的にそうした」と弁明しました。 私はこれを見て、それがこの作家の力量の限界であろうと思いました。 ドキュメンタリーではないのだから、小説はいかに読者にメッセージを伝えるためにフィクションを作るか。そこが作家の筆力だと思います。 「笑う月」を私は読んだことはないですが、質問者さまが小説の文章をリアルイメージに変換してしまうのが、作家の意図したことであるとするなら、それは文学作品としては成功しているのだと思います。 逆に作家は深淵なイメージの「異郷の果樹園」を描いたつもりが、読者は「青森のりんご園」を思い描いてしまうとしたら、それは作家の描写が下手なのでしょう。 もちろん、読者の受け取り方も千差万別ですから、質問者さまの問題は質問者さまだけに起きていることかもしれない、つまり「読者側の問題」であるかもしれません。 でもそれは強迫観念などではなく、質問者さまは今そのような小説の鑑賞の仕方を自然にしているだけです。 「霞んだ霧のようなイメージ」で読まなくてはいけない、と思う方が強迫観念だと思いますよ。
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- blazin
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その時の貴方の心情や境遇、行動によっても頭で描かれるイメージって 微妙に違うと思うんですよ。貴方が今文章を読んでいて見えてきたイメージはある意味今の貴方のイメージで、ずっと同じでは無いんですよ。 一旦貴方がその無意識的で自発的なイメージの部分に力を入れてしまったが故に、頭で無理やりにイメージの変換を行ってしまっているのかもしれませんしね。力を抜いて読むことですよ。そしてイメージを悲しいと思うことも無いです。それはそれ。何度同じ本を読んでも微妙に印象が違ったりイメージがぴったりしないからこそ、読書って個人作業であり、楽しみでもあるんですからね☆
お礼
お返事が遅れてしまってすみませんでした。 こんな曖昧な質問から、答えてほしいことのほぼ総てを回答していただいたように思います。