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私達に伝わってきているもの
- 大阪府橋下知事が涙した会合の記事について考察
- 歴史的な人物や出来事には実際とのギャップがある可能性
- 歴史の編纂や記述と小説や自分紡ぎの違いについて考える
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1について →至近なところでは、小泉政権の施策と現在の評価の乖離を考えてみればどうですか?これ以上のコメントはあえて控えさせていただきますが。 民主党の件もそうですね。例をあげればきりがありません。 2について →宿命的というか、構造的に無理があると思います。予定調和、決まった結末が定められその結末へ向けて収束するよう動いていく事などありえないからです。もし、絶対的な為政者がいて、何かを決めて実行していったとしてもどこかで方向が変わったり、予期せぬ障害が発生したり、また考えていた結果とはまったくちがった効果がでたり、いろいろです。歴史は、過去の総括的なことは検証できますし、記録が残っている限りそれを伝えていくことはできますが、それ以上のことは成しえません。 3について →歴史の編纂、つづり、ないしは記述というのは、なるべく客観的に多くの意見を取り入れておこなわれるべきものです。少数のお抱え歴史学者のみで成されれば、為政者に都合のよい曲解になってしまいます。但し、何が正解で何が間違っているのかということは、厳密には誰もわかりませんし、その時の真実は永遠の真実でないことも多いです。 小説や自分紡ぎの場合は、あくまで私観となります。中には真実をつく場合もありますし、まったく的外れな場合もあると思います。
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- 0123555
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>1・人々の人気のあったもの、もてはやされたもの、判断されたものも、実際とはずいぶん実相とはことなるもの ・当時人気はあったが実際はとんでもなかった事として、私は直感的に「粉飾会計」による「エンロン」「ワールドコム」の破綻と、日本に於ける「ライブドア」の問題がまず頭に浮かびました。 これらの問題は経済問題に止まらず歴史的にも重要と考えます。 >2・ちゃんと判断や評価ができない、してもらえないということ ・時代背景もありますが、終戦から1ヶ月も経ていながら一種の思想弾圧で拘留されていた獄中で死亡した「三木清」。ナチスによる迫害からユダヤ人が亡命可能なビザを発給したが、その行為が外務省の意に反した事により解雇をされた「杉原千畝」。個人や事件等々を挙げれば例は多数あると考えられます。 >3・歴史の編纂 ・学問と捉えるならば「史料(文字等)」によって歴史の証明もしくは歴史を明らかにするという事と、一種の「社会的な有益性」を伴うという事が歴史と私は考えます。よって、小説や個人史は証明の要求も明確な必要もない場合は歴史と異なると思います。ですが、研究や状況によっては歴史の部分的な役割として有効と思います。 また、編纂は携わる人物の主観や権力の影響が全く無いとは言えないので、場合によっては偏った歴史表現になる可能性があるので、すべてを無条件で鵜呑みに出来ないのが現実と考えます。ご参考まで。
お礼
有難う御座いました、今後もどうかご指導、お導きのほどを。 史料などもその取捨選択と繫ぎ、そしてそれで何をいうか(紡ぎ)。 この作業の入る歴史学は、非常に神話や小説に近いものとならざるを得ないのではないかと、悲観しております。勿論、此身私は皆さんの書いたものを楽しんで読み、感心しているだけの門外の者ですが。 三木清も獄死させたのですね。混乱期とはいえ責任を見届けない不届きな先輩がいたわけですね。あの尾崎秀実は処刑ですか。近衛内閣のいろんなこともご存じでしたろうに。人類も個人もまことに悔やむことが多いですね。 杉原千畝氏はそうですね。確かに在世中はご不幸な処遇でした。 何か職場でお世話になった先輩にダブらせることのできるお人柄を画いております。あの当時の方は個性的でしっかりしたご判断をなさいますね。それにひきかえ、(時代はいつもそう嘆きますが)いまどきの事業経営者、どうも軽いですね。政治かも、あの知事閣下も。 堀なんとか、エンロンとワールドコムですか。 昔は風上、いえ相手にしてくれる方々はいなかったと存じますが。 いや有難う御座いました。なお、尾崎氏の工作行動は賛成しておりません」。
>そのような事例をお教えください http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E5%BF%A0%E9%82%A6 はっきり言えば「無能」です。 必要なのは、 「ここを」「こうすれば」「何億円」「削減できる」 と言う「策」です。 税金は、全て無駄なく使われています。こう言う愚か者がいました。 「浪費」なら1兆円でも2兆円でもできます。 無駄遣いを「国民」に「全て」「尻拭いをさせる」 これは江戸時代の政でもやりませんでした。 江戸時代の3大改革ぐらい「最低限」勉強してほしい。 勉強していれば泣く事も無かったはず。 史上最大の作戦の問題は「中身」です。 「作戦要綱」が最も大切です。 「全てを知る」 相手を良く知る。組織と構成と支出を良く知る。 「策を練る」 不要な支出を探し出す。安い方法を見つける。 人を殺さない。物を殺す。 「出来る」 誰もが出来ると判断する。 この人なら任せられると判断する。 はっきり言ってしまえば、政治家の「出世欲」「俺は歴史に名を残す」 後世まで「改革の手本」と言わる人材だ。 子供の遊びに付き合ってられないと言うのが実情でしょう。
お礼
有難う御座いました。 卓見と存じます。
補足
此身私は、戦時中小学校から耐える、我慢ということ、人に何か頼るなんて許容される四方のではなかった。ひたすら自分で解決する。 30過ぎたのか、司法試験も通ったらしい大の男が泣く、人前で涙を出す? ずいぶん甘い世界で生きてこられたものだと感じました。 この削減や節約って、結局、事業の短縮か、人事の総入れ替えをして全部最初に戻さないと無理なのですよ。 経営にはいかない大学事務で40年、何度もそれをしてきたが、事務費なんてそう削減できるものではないですね。 有難う御座いました。 うぅ~んと考えております。
お礼
早速有難う御座います。 何かこういう状況をみてくると、一生懸命やっている方にはたいへん申し訳ないのですが、歴史や残っていくものは 1. 政治などでは何か、衆愚政治は斥けられないのかなとか 2. 人気や評判って、いつでも大きな力だけれども、大事なものが落ちていっているのかな。私達はおちていったものにどうしたら、出会えるのかな とかを長く考えてきているのですが。
補足
1. 小泉政権や民主党のこともそうかも知れませんが、寧ろいまの私達の考えや歴史をつくってきているものではどうでしょうか? 2. 自分自身としては、人の観念や意識って、所詮紡ぎ作業に終始していると惟うのです。 だから歴史学って、自然科学のように又は、経済学のようには事実性が非常に恣意的に近いといっては、ご叱責とご反発を戴くことになりましょうか。つまり御用学者とか、政権の正史編纂ばかりではなく。 そうともいえるものではない、という研究上の制約というものがあるものでしょうか?