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死んだら必ず何かに生まれ変われる???
ある人が死んだとします。そうしたらその人は何を感じる(?)のでしょうか?もし、天国や地獄等というものがあったらまた新しく生まれ変わることが出来ます。でも、もしそういうものが無かった場合、何も感じないことになります。私たち生物は、何かを感じながら生きています。 考え、行動します。だから、私には「何も感じない」ということは無いんじゃないかと思うのです(魂があるという考え方を元に)。こういうことを踏まえると、「死んだら必ず何かに生まれ変わることが出る。」ということになります。この理論、あっていますか?前からずっと考えていまして・・・。仏教じゃあ極楽浄土がなんたらかんたらとありますがよく分からないもんで・・・。全く素人の質問で恐縮ですがよろしくお願いします! (最後に問題を分かりやすくした図を載せます。文章じゃ分かりにくいと思うので・・) 肉体 感じるもの 生きている時 有 有 死んだとき 無し 無し ↓ つまり感じるものが無いので生まれ変わるまでの時間をゼロと感じる ↓ 生まれ変わった 有 有 つまり生まれ変わるものが無くともそれまでの時間を本人はゼロと感じる為必ず生まれ変わることになる?(つまり本人は死んだ後直ぐに生まれ変わるという風に感じる)
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この設問自体に、あなたの凡庸ならざる才気を感じるのでお答えさせていただきます。 >死んだ・・・そうしたらその人は何を感じる(?)のでしょうか? 自分の肉体と意識が分離したという感じ ただし、それは麻酔が効くような、眠りに落ちるようなふわふわとしたものかも しれません。覚醒したままの死は結構恐ろしいですよね。 それが死霊とか怨霊とかいうものかもしれません。 >こういうことを踏まえると、「死んだら必ず何かに生まれ変わることが出る。」 >ということになります。この理論、あっていますか? あってます。 だって、今60億人の人間が地上に生きていますが、原料の魂は実は過去生の もっと少ない人間の魂が再生したものと考えないと数があいません。 >生まれ変わるものが無くともそれまでの時間を本人はゼロと感じる為 >必ず生まれ変わることになる?(つまり本人は死んだ後直ぐに生まれ変わるという風に感じる) 正しいです。熟睡する睡眠と同じです。 ベッドで眠りにつきます。記憶はそこで途切れ、いきなり朝です。 明け方、いろいろな夢を見たりもします。夢を見ない人は、夜の次はいきなり朝です。 胎児のまどろみ、幼年期の曖昧な記憶は、まさに寝覚めのまどろみに喩えられます。 輪廻転生は、おそらく時間という次元を超えて同時に起こる。 というか、時間軸を超えていくつかの過去生の集合体として、個人の魂や 自我というのは定義されているのだと思います。 人生が旅のようなものといったのは松尾芭蕉ですが、月日は百代の過客にして われわれの自我「主観」は実は、多くの過去生の織り成す多面体なのだという 考え方もできます。 次元が3次元であって、意識を時間軸のなかで発現しているからリニアな時間観 しかもてませんが、実は意識というのは、過去、未来をすべて包み込んで過去の 事実をも変容させ、未来の予定さえ変更しうるそういうものだという気がします。 哲学というより、宇宙観、世界観として、私はそのように思います。 何かお役に立てましたでしょうか?
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- bigban117
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No16> そう、万物が無でなく有であったことは我々の主観が証明している。よって、万物は常に無の状態ではなくかならず有の状態もある。 それはすべての事象にどのくらいかは分からないが確率を付与することになる。蘇りが10の800000000000000000乗分の1であったとしても∞をかければいずれはその事象は起こる。(我々の宇宙を含む万物が無限であれば) no11より
- reijin136
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科学的(?)に言えば、つまり肉体と記憶が再構成される確率が否定できないということかな?
- rosso19892005
- ベストアンサー率25% (5/20)
回答が締め切られていなくて良かった、とこんなにも思ったことは ありません。 様々な本を読むより先に 池田晶子さんの「14歳からの哲学」を読んでみて下さい。 著者の方は昨年逝去されたのですが、 この「14歳からの哲学」は学校の指定図書や、試験の問題としても出ている有名な著書です。 私も同じくらいの時に質問者様と同じようなことを考えたことがあったのですが、 この人の本を手にした時 今までの世界が全てひっくり返ったような、自分の価値観がまるっきり変わってしまうような衝撃を受けました。 今、あなたぐらいの年でこれほど大事な本など存在しないぞ!笑 と言いたくなるほど、素晴らしい本です。 良かったら読んでみて下さい。
- rosso19892005
- ベストアンサー率25% (5/20)
回答が締め切られていなくて良かった、とこんなにも思ったことは ありません。 様々な本を読むより先に 池田晶子さんの「14歳からの哲学」を読んでみて下さい。 著者は昨年逝去されたのですが、 この「14歳からの哲学」は今も学校の指定図書や、試験の問題としても出ている有名な著書です。 私も同じくらいの時にそのようなことを考えたことがあったのですが、 この人の本を手にした時 今までの世界が全てひっくり返ったような、自分の価値観がまるっきり変わってしまうような衝撃を受けました。 今、あなたぐらいの年でこれほど大事な本など存在しないぞ!笑 と言いたくなるほど、素晴らしい本です。 良かったら読んでみて下さいね。
その前に何で人間は生まれ変わるなど言う未練がましい考えを捨てないのでしょうかねえ。人生は一度きりで良いじゃありませんか。まして現代の恵まれた環境の人々はそんなに欲張らなくても良いかと思います。 人類の幸福度のバランスから言って昔の日本人は平均寿命が35歳、現代は80歳。こんなに長生きしてもなお生まれ変わり云々は欲が深すぎます。 前世、来世、生まれ変わりこんな事誰一人確認出来ていませんよね。人間は心が弱いものですからそのような事を信じたいのも無理は有りませんが現実の話では無いと言う事です。 生まれ変わりの原理なんて真面目に考えれば全く理解できません。 生まれ変わりとは死んだ人の人格、経験、記憶などが後世の人に再現される訳でしょうけれど一体どうやって? 死んだ人は感覚も肉体も無くなる訳で全く存在しないと言う意味ですよね。全く存在しない事、物、者なんて無限に考えられませんか? 現実世界に無限が入ってくる事は大きな矛盾ですからやはりこれは無理があります。
- bigban117
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私の意見をのべさせていただきます。 哲学というより、統計的、確率的な視点で見ると、我々の宇宙を始め、その他の宇宙は恐らくは無限にあり、膨張しては消え消えては出てと様々な次元で永延と続いていると思います。 これは言い方を換えると無限の回数で各物理現象の試行を繰り返しているものと思われます。 ですので、もし我々が死んでも我々の体や世界を作っている素粒子の組み合わせや、私たちの宇宙の重力定数など物理法則が合致する宇宙は必ず確率上無限に存在するはずなので、死んだ瞬間に我々の宇宙の時空の時間軸の束縛から解放された瞬間次の自分を構成する素粒子の組み合わせが確率上成立するまで待つことになります。 しかし、死んでいる間は時間軸から開放されているので、死んだ瞬間瞬きをするよりも早く次の人生が始まると思います。つまり、次の時空での時間軸の束縛に会うということですね。 素粒子の塊である我々が自分が素粒子でできていると自覚できる=素粒子は自身を認識できるようになった この世(我々の宇宙を含めた)は無ではなく有であるということがすくなくとも証明された。 この世のサイクルが無限である以上永遠と生まれ変わりは続くと思います。
- ri-zyu
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ああだこうだ理屈をつければ生まれ代わりうんぬんと言えるでしょうが。事実を事実として見ましょう。 >死んだら必ず何かに生まれ変われる??? 生まれ変わった人に聞いてください。
- abukuzeni
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結論から言えば理論はあっていない、というより理論にはなっていないと思いますよ。自分の想像を仮定とした前提で結論も自分の考え(宗教における考え)ですので。理論というより自身の宗教観といったほうが正しいでしょうね。宗教観は人ぞれぞれですから、全ての人が同じ答え(あっている、あっていない)にはなりません。 ちなみにうる覚えですが 輪廻転生とは本来仏教においては地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅堂・人間道・天道の六道を廻りまわることらしいです。(必ず人間として生まれ変わるという意味ではないようです。)そしてそれらの世界にはいろいろな執着があるため、その輪廻から脱却することが目的のようです。 また仏教とは又違った輪廻転生の考えが、ヒンズー教にもあるそうです。それらの文献を読めばより自分の納得のいく考えを見つけ出すことができると思いますよ。
NO.3です。 >死んだときに感じるものがあるのなら、何を感じるのでしょうか? これですが今生きている状態をまず何かを感じていると思いますか? どう思われるでしょうか? まず感じているという現象の定義があやふやなので感じていないとは定義づけれないのです。 そう考えれば感じていないと定義づけられないと考えると魂は肉体から分離した後は魂の変化が起こるということになります。魂は変化を起こるとは魂は存在していると仮定できます。存在している魂は存在の何かを感じるはずです。例えばコップがあったとしてコップは何も感じていないと定義付けられるか?と言えば答えはNOです。感じていないと思うのは人間が感じていないと思い込んでいるからに他なりません。そう考えるとコップは感じているか感じていないか分からないがコップが存在しているといえるでしょ?
お礼
成る程、確かにそうですね!ありがとうございました。
> まだ中二 私も中二の頃、同じような関心を持っていました。 (そんな私も、もう43歳・・・あっという間ですね。) 少々ご質問の主旨から逸れてしまいますが > 天国や地獄等というものがあったら > また新しく生まれ変わることが出来ます。 もし生まれ変わるとしたら むしろ天国や地獄は必要ない筈だと思いませんか? 生まれ変わるということは、死んでもあの世に行くことなく つねに現世に生まれ出続けることになりませんか? 身体から身体へと、魂が移動し続けるようなことじゃないかしら。 さて、問題は > つまり本人は死んだ後直ぐに生まれ変わるという風に感じる 魂のみで、何かを感じ、考え、行動できるか? すなわち魂のみで生きている状態と同じ感覚を持てるかどうか?ですね。 魂っていうのは 携帯電話で言えばバッテリーみたいなものかも知れません。 動力源ね。 それが本体に繋がり、プログラムを稼動させることで 初めて電話として機能する。 もしかしたら、人間もそれに近いんじゃないかなと思います。 動力源は何かを感じるかしら? 私は感じないんじゃないなぁ、と思うだけで 絶対的な自信や根拠はないんですけどね。 まあ、そもそも私は魂を信じていないんですけど。 魂、っていうのは 死んでも残るとされるモノですけど 養老孟司さんはこんなことを言っています。 「現代人は皆、人は必ず死ぬということをわかっていると思い込ん でいるけれども、どこまで本気で考えた末にわかっていると感じて いるのかは甚だ怪しいように思えます。 人は自分のことを死なないと勘違いするようになりました。(中 略)「俺は俺」「私は私」で不変の意識であるはずだ。不変だとす れば、どうしてそれが消えなくてはいけないのか。なんで死ななき ゃならねえんだという疑問です。(中略)だから「魂」という概念 を作り出した。そして自分が消えても意識は残るはずだ、というこ とを「魂が残る」というように考えて、納得していたのでしょう。」 仏教は「自分が消えても意識は残るはずだ」といった執着(煩悩)こそが苦しみの元凶だと考え そういう執着を捨てた清らかな状態を極楽浄土と呼ぶのだそうですよ。
お礼
とても分かりやすい解説ありがとうございます。考え方を変えてみます。
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お礼
とても役に立ちました。分かりやすい解説ありがとうございました。