- ベストアンサー
1973年の国電暴動
youtubeで色々見てたら1973年の国電暴動と言うのがあり、見てみたらまるで日本じゃないような映像でした。高崎線など、色々ホームで乗客が暴れて電車が走れない状態でした。何故そうなったかの経緯や説明は難しい専門用語が沢山出てきて良く分かりませんでした。とにかく線路を一般市民がぞろぞろ歩いているのは異様でした。国鉄職員のストライキかなんかで電車が動かなかったんでしょうか?分かる方が居られれば分かり易く説明して頂けないでしょうか?よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
原因はストライキではなく、国労、動労による順法闘争です。当時、国鉄の労働者にはスト権が無く、ストは違法でした。 順法闘争というのは、厳密に運行規則を守って運行することです(だから順法という)。実際には、国鉄は輸送力増強などで運行規則をスポイルして過密運行などをしていましたから、順法闘争をしたことによって輸送力が確保できなくなり、ダイヤが大幅に乱れました。 ダイヤが大幅に乱れても、規則に従っているのですから、国鉄としては処分するわけにも行かず、お手上げだったのです。 ストライキならば最初から電車はこないのがわかっているのであきらめもつくのですが、順法闘争の場合、無ダイヤ状態になっていつ電車がくるかはっきりせず、また、来る電車が超満員で乗れないなど、余計にストレスがたまったのです。また、その際、国鉄側も十分な説明をせず、次の電車がいつになるかなどの情報を乗客に満足に伝えられませんでした。 で、フラストレーションのたまった通勤客が高崎線の上尾などで駅を襲撃したりしたわけです。 上尾は高崎線からすると大宮直前の駅で、おそらくはいつ来るかわからない電車で、来てもすでに超満員で乗れないなどの相乗効果で大きな事件に発展してしまったのでしょう。 それでも、まだ、当時は、国民は国鉄の労働者の行動に対し、ある程度の理解と支持をしていました。しかし、国鉄の労働者はその後、スト権ストという、一週間にわたってストライキ権を要求する違法ストライキをし、逆にこれによって国民の理解や支持を失い、国鉄の労働運動は休息に沈静化していくことになり、JR発足とともにほぼ終焉を迎えます。
その他の回答 (1)
- Bayonets
- ベストアンサー率36% (405/1121)
>国鉄職員のストライキかなんかで電車が動かなかったんでしょうか? ストライキなら乗客はあきらめもつきますが、組合は自分たちの政争の道具に『順法闘争』なる卑劣なサボタージュを敢行し、電車が動くか、動かないか全く乗ってみないと判らない状況を作り上げたのです。 それに対して溜まりに溜まった乗客の怒りが爆発した…のが真相です。 マスコミや当時の社会党(今は社民党、民主党)も労働者の正当な権利のみ訴えて解決に手を貸しませんでした。 また、今も一部残っていますが、過激派が組合を牛耳り…国鉄を食い物にしていました。 これに呼応したのが日教組や自治労、全逓などの組織です。 この一般大衆の怒りがなければ、日本の左傾化は今よりもっと酷いことになっていたでしょう。 国鉄解体→JRへの国民の支持もこういう極左組合の酷さに一般国民が目が醒めたからと言えるでしょう。
お礼
そうだったんですか。国鉄一つにしても、いくら国営でも色々な組織が絡み合っていたんですね。謎が解けました。有り難うございました!
お礼
よく分かりました!当時の日本は活力や行動力等、色々パワーを感じます。今の日本人には無いものです。凄まじい時代だったと感心します。有り難うございました。