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日本の産業力が第一次大戦で全く勝負にならない理由

日露戦争まではなんとか列強と互角に渡り合うことができたが、第一次大戦の経過を見て、その列強(独仏英米露)の産業力にとても太刀打ちできる国ではないということが判明してしまったと聞きます。たとえば、師団数でいっても、当時の独仏が200師団くらい捻出できたのに、日本は20くらい(もちろん平時体制ではあるが、戦時といってもどれ位なものか?)工業力にいたっては圧倒的に勝負になりません。なぜ、日本には、第一次大戦からの巨大な列強の産業力を遂行する力をつけることができなかったのでしょうか?

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回答No.4

要因はいくつかあります    1・構造不況  日本は明治20年代から構造不況に陥っており、富める者は富んでいましたが国民の大半がその日暮らしでした。庶民の楽しみはエッチだけという救い難い状態だったのです。    2・日露戦争  ただでさえ不況なのに日露戦争で莫大なお金(国庫10年分)のお金を使ってしまい、不況対策はおろかインフラ整備も出来ない状態でした。    3・WW1バブルと崩壊 第一次世界大戦の好景気で借金は消えたのですが、終戦と同時にバブルが弾けてしまい、またまた不況になります。これに関東大震災が重なります。  簡単に言えばお金がなかったのです。

garcon2000
質問者

お礼

構造不況によって、人口増加→兵力増強が可能になったということもあったのでしょうね。なんともしまらない話ですが、もしかすると19,20世紀あたりの世界的人口増加(特に日本で並外れたものあ)は、実は構造不況による楽しみの消失にあるのかもしれません。 あとは、日露では賠償取れませんでしたからね。 参考になりました。ありがとうございます。

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その他の回答 (3)

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.3

一国の産業力というのは、必要な科学と資本の蓄積が必要です。 日露戦争では戦費は外国よりの外債でようやくまかない、技術的には、日本海軍の艦艇は殆どイギリスで建造されたもので英国の技術力がなければ日本海海戦の勝利もありませんでした。 また陸戦でもロシア側の単線のシベリア鉄道の輸送力不足に助けられ、砲弾の補給にも事欠き、外国に発注する始末でした。 これらの点を反省し、以後富国強兵策に狂奔し、技術力発達に勤めた結果かなりの成果を得ましたが、何分国内の資源が不足で植民地からの収入も頼りにならず、資本力の蓄積ができませんでした。 戦争は師団数で決まるものではなく、近代戦では国家の総合的戦争継続力が重要な意味をもつものです。

garcon2000
質問者

お礼

明治のこの国の状況は、技術生産力はとても自足できる状況でなかったのはよくわかります。その手の博物館行くと、外国製品ばっかりですからね。交通関係などインフラは。ロシアとも、ガチで(ヨーロッパ戦線で)とても戦える状況ではなかったでしょう。シベリア鉄道の動向に戦々恐々でした。 やっぱり立ち遅れた国は、維新後100年くらいたたないとろくなことにならないのかもしれません。

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  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

産業力では、元々の日露戦争でも勝負になりません。 弾薬補給をイギリスからの購入に頼っていたのが実情です。 そして購入の費用は、アメリカで公募する外債、すなわち借金でした。 日露戦争の死傷者20万人、これでもう動員の限界に達していましたので、数日間で10万人以上の損害が出る戦闘が珍しくない第一次大戦には、主戦場へ派兵しなくて正解だったでしょう。

garcon2000
質問者

お礼

ことごとく外国の技術力と財源で戦争していたようなものですからね。兵隊だけは自前で、何も技術力がない。これが10年たった第一次大戦でも似たり寄ったりの状況だったですね。

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回答No.1

こんにちは。 >日露戦争まではなんとか列強と互角に渡り合うことができたが  私にはこの部分がひっかかります。日露戦争に勝利したのはギリギリスレスレの際どいものであったと思うからです。勿論バルチック艦隊の撃破という偉業もやってのけましたが、陸軍は大勝利とはほど遠く、戦力で勝ったというよりは、外交とロシアの国内事情が大きな要因ではなかったでしょうか。  というのも戦後の日露交渉で日本は勝利国とは思えないほど貧弱な外交に終止したました。一般の国民は悲憤慷慨したらしいですが、小村寿太郎外相の現実路線は今では高く評価されています。  ですので、戦役までは何とか互角にではなくて、元々その工業力においてはかなりのビハインドが列強にはあったと言わざるを得ません。  もうひとつの要因は列強の植民地経営からもたらされる「お金」でしょうか? 単純にお金が日本にはなかったのだと思います。  だから日本も「負けてはおれん」と大陸に進出したという側面もあるはずです。  

garcon2000
質問者

お礼

そうですね。あれは勝利ではありません。海軍に限って言えばまぁ辛勝というか、向こうのぼろに助けられただけですね。陸軍は無様なものです(脚気の横行など)あとは、やはり植民地をほとんど領有しない貧乏国ということが、結局は最後まで抜けれませんでしたね。列強には最後までなれなかったということだと思います。

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