ズバリ、明確な定義はありません。
強いて言えば発言者の物差しが範囲です。
物差しとは生まれ育った村の習慣だったり、TVの仲の誰かの意見だったり、特定のインターネット掲示板の多数発言であったり、様々です。
子供が何か買って欲しいときに「みんな持っているんだから」と言いますよね。「みんなって誰よ」とお母さんに訊き返されると実は「みんな」なんかじゃなくて身の周りの何人かだけだという事に気づいたりしたことありませんか?
あの「みんな」を大人が言うときには「世間」とか「常識」とかになるわけです。さすがに小学生よりは視野や範囲はいくらか広まっているかもしれませんが、本質は同じことです。
明らかに世間からずれていたりすることや、一般ど真ん中な事柄まで世の中には様々な事象があるわけです。
そしてその曖昧な部分、グレーゾーンが実に広いのです。
多くの人は自分の都合に合わせて「世間では」とか「常識的に」とか言います。
つまり発言者の主観が定義の拠り所なのです。
そういう言葉なのです。
というか、多くの言葉はどうしてもそのように曖昧な部分があったり使われ方をしたりするのです。
科学的な定義がはっきりしている術語でさえも生齧りの多くの人が使い始めればいつの間にか曖昧な部分を含む言葉として定着してしまいます。