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戦争責任について
カテゴリー違いかもしれませんが、迷った末にここで質問させていただこうかと思います。 A国とB国が戦争したときに、A国が勝利したとします。 B国は戦争責任をとらされ、指導者以下責任をとり、 死刑などの形で責任を負うことが普通にあると思います。 しかし、よく子供同士の喧嘩では弱い者いじめをしたA君のほうが先生に怒られるという形で責任を負い、 A君がB君に謝って解決することがあります。 戦争には双方の言い分があり、子供の喧嘩のような単純なものではないかと思いますが、 勝利した国の論理としてはどのような言い分でB国に責任を求めるのでしょうか? 私にはこじつけのような言い分しかないのでは?と思っていますが・・・・・ 私は歴史について、まったくの素人ですが、戦争責任という言葉に違和感を覚え、 今回こういった質問をさせていただきました。 どうかよろしくお願いします。
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国内法と国際法の最大の違いは、前者には究極の執行権力である国家が存在するのに対して、後者には最終的な執行権力が存在しないことです。したがって「国際法とは法ではなく道徳に過ぎない」という意見の学者もいるのですが、普通は「国際法とは強制執行能力が不完全な法である」というのが、ヨーロッパ大陸や日本での主流の考え方です。 グロチウスというヨーロッパ大陸の法学者が「戦争と平和の法」という本を書き、戦争時においても外交官の身分は保証されなければならないという原理をうちたてたのは、400年ほど前のことです。このグロチウスの議論、ヨーロッパ大陸諸国と日本くらいしか、まともに受容している国は思いつきません。イギリス法(アメリカ、オーストラリアなどを含む)の国はこんなことを気にしませんし、イスラム法にいたっては「目には目を、歯には歯を」といった古い復讐理論を継承している例すらあります。(復讐の連鎖を止めない限り、犯罪や戦争はなくならないという発想は、ヨーロッパ大陸法、日本法、かわったところでは仏教に見られるもので、それ以外の文化圏では、必ずしも明確に提起されているわけではありません) ブッシュはイラクに侵攻した際、同盟国に対して「今のイラク政府は正当なものとは認められないから、イラク大使を国外追放しろ」という前代未聞の要求を行っています。グロチウスの理論を受け入れている国から見たら、驚きものの無茶であり、ヨーロッパ人が激しく反発したのも当然のことです。日本政府はしばしばアメリカの言いなりであるなどと批判されますが、ブッシュの発言を無視し、イラク大使を国内にとどめておきました。日本がヨーロッパ大陸法の系譜に入る国であることを示す、良い事例です。他方、本当にイラク大使を喜々として国外追放してしまったアフォは、オーストラリアのハワードで、昨今、ハワードが選挙で破れたのは非常に喜ばしいことです。ハワードのバカさ加減を語り始めるときりがないのですが、良識派のオーストラリア人を国の恥だと言って嘆かせる人物だったとだけ指摘しておきます。 戦争責任を裁くにあたっては、国際法廷はほとんど機能しておらず、ユーゴスラビア内戦の処理くらいしか、案件が思いつきません。したがって必然的に、戦勝国が戦敗国を裁くというパターンが増えてしまいます。 第1次世界大戦が終わった時、戦勝国フランスはドイツが2度と再興できないように莫大な賠償金を課しました。ドイツは一時期、アメリカ資本等によって経済が復活しかけたのですが、経済はその後、急展開して極度に悪化、結果としてドイツ人の間に被害者意識をうえつけ、ヒトラーのような危険な人物を支持する人が増え、ナチスは選挙を通して合法的に政権を握ってしまうのです。 第2次大戦が終わった時は、第1次大戦の戦後処理の反省から、戦勝国は戦敗国に対する賠償を放棄するという原則で講和が実現されました。したがって日本は中国や韓国に賠償金を払う義務はないのですが、隣国に迷惑をかけた事実には違いはなく、中国へはODAという形で実質的な賠償金を払っています。従軍慰安婦に対しては、国家からの賠償はできないという原則を守るため、特別な基金を作ってそちらから実質的な慰謝料を払うという方式をとりました。多くの国の元従軍慰安婦がこれを受け入れたのですが、韓国の従軍慰安婦は国家による直接補償を求めており、これには別の手段での対応が必要でしょう。 なお、敗戦国が戦勝国に、講和条件を飲ませた例外的事例が存在します。ナポレオンがヨーロッパ中を引っかきまわした後、フランスは戦争に敗れ、ウィーンで講和会議が開かれるのですが、フランスから参加した豪腕外交官のタレイランは、敗戦国代表でありながら、自国の要求を戦勝国に飲ませてしまうのです。だてに「外交の天才」と呼ばれているわけではありません。タレイランはフランス語としては異例の綴りであるため、本当の発音はよく分からず、タレランになっていたりタレーランになっていたりするほか、ナポレオンにはタレユランと呼ばれていたことも知られています。
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- tanuki4u
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子供の喧嘩で言えば 勝った方が先生役になる。 と、理解すれば早いですね。 先生役=正義の決定者を決めるのが戦争です
お礼
戦争ならば何もかもが許される。 国際法と一応戦争にはルールがあるようですが、やはりそう感じてしまいます。 ご回答ありがとうございました。
- garu2
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名目上は国際裁判や国連決議により戦争の正当性を問われますが、実態としては先日のイラク戦争のように名目上は「大量破壊兵器保有」としきりに大義名分を掲げてイラクに攻め込んだアメリカですが、結局大量破壊兵器は無かったと言うオチ。罪無きイラク国民は誤爆や殺害され・・・今では平然とイラク戦争の正当性など忘れたかのように議題には出ずに大統領選をおっぱじめています。
お礼
イラクが大量破壊兵器保有?アメリカのほうが大量破壊兵器もってるのでは?と言いたくなります。 それで結局、大量破壊兵器がイラクに無かったのならば、とばっちりを受けて亡くなったイラク国民やその家族はアメリカを訴えることもできない。 これが現実かと考えると無力感でいっぱいになります。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
>>「国際法とは法ではなく道徳に過ぎない」という意見の学者もいるのですが、普通は「国際法とは強制執行能力が不完全な法である」というのが、ヨーロッパ大陸や日本での主流の考え方です。 国際法に強制執行能力を持たせるのにどうすればよいか考えてみましたが、30分ほどで挫折しました・・・・ 国という単位があり、それぞれの思惑がある以上難しそうですね・・・ さまざまな例を出しながら解答していただき、とても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。