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幸福な食卓を見て
最近になって映画「幸福な食卓」を見ました。 予告などを見て期待しすぎだったのでしょうか、 感じるものがあまり無くて・・・。 なぜだかわかりません。 みんなレビューでは家族の大切さ等々書かれているのですが・・・。 でも何故か引っかかっているので、アドバイス御願います。 ちなみに私はあまり良い家庭には育ってはいないと ずっと自分では思ってきました。 子供のころから自立を求められることも多く、甘えることも苦手です。
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- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
こんばんは。幸福な食卓、私も観ました。 >感じるものがあまりなくて…。 >でも何故か引っかかっているので 幸福な食卓に出てくる家庭をどうとらえるのかによるのではないでしょうか。「普通、こんな家族いないよね」と思って観ていたなら、あまり感じる所はないかなぁ~と、私も思います。(あまりにかけ離れてますしね) ただ、セリフから色々と考えさせられる作品ではありました。 それぞれが家族という役割を演じていた家庭だったようですね。だから、表面的には穏やかで幸せに思っていた。けれども、演じることはいつまでも出来るものじゃありません。演じることに疲れて、それぞれがそれぞれの役割を放棄した。 よく、ドラマの告白などで「あまり近くにいすぎて気づかなかった」なんてセリフがありますよね。(お母さんも似たようなことを言ってましたね)おそらく、自分の役割を演じることに精一杯で、実は誰も家族のことを見ていなかったことに、役割を放棄したことで(少しだけ家族と距離をとることが出来)気がついたのだと思います。(娘さん以外) お兄ちゃんの恋人が言っていましたよね。 「友達や恋人は、がんばればなんとでもなる。でも、家族なんてがんばらなくてもいいんだ」って。無理にいい娘でいる必要はなんてないんだよ。だから「辛い時には甘えてもいいんだよ」ってセリフが出てきたんだと思います。 それから。 「お前って、自分が思ってる以上に守られてるんだぜ」ってセリフもありましたよね。 愛情の示し方って、それぞれ違いますよね。「こんな風に愛されたい」そう思っても、その通りに愛されることばかりではないからこそ、このセリフを映画で語られたのだと思います。 作品の言いたいことの全部を理解できなくてもいいんだと思います。 ただ、自分にとっての家族を改めて考えるきっかけになったり、家族の存在を感じることが出来ればそれでいい。そういう気持ちで作られた作品なんだと思いますよ。 レビューに家族の大切さ等々と書かれていたのは、そういう理由だと思います。 最後の三行は、幸福の食卓を見て自分の家族を思い出したから出た言葉なのでしょうか? それならば、少なくとも何かを感じたんだと思いますよ。
- ryuichi119
- ベストアンサー率22% (20/90)
世界中の人々から絶賛されている名画でも、駄作と感じる人は多いと思いますよ。 感じるものが無かったとしたらあなたにとっては駄作。只それだけの話です。 他の人の評価は関係ありません。
- tea_cup_
- ベストアンサー率37% (19/51)
私はその映画を見ていないので、内容についてはなんとも言えないのですが・・・ 映画でもテレビドラマでも本でも、それによって感じるものは人それぞれではないでしょうか。 レビューを書いた人は、書こうとするくらいだからそれだけ感動した、それだけだと思います。 質問者様のように、あまり感じるものがなかった人だってたくさんいると思いますよ? そういう人はわざわざレビューを書こうとするほどの気持ちはないでしょう。 しかし、「○○を見て感動しなかった。なぜでしょう。アドバイス下さい」と言われても・・・ なかなか、望むような回答は得られないと思うのですが・・・。