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近年の子供の食べ物ぜいたくなのでは?
妻と7歳と4歳(いずれも息子)の4人家族の父親です。 子供の食べ物の与え方について以前から疑問を感じています。私と同じ家庭環境にあるご近所・友人関係などの家庭を見ていて、食事・おやつを子供に与える際など、子供に一番“おいしいもの”・“ぜいたくなもの”を与えるのが常識的な考えでいるケースが非常に多いように思います。 例えば ○食卓で「この○○がおいしいからたべなさい」と子供にその食卓に並んでいる一番いいものを与える。 ○お菓子で安いものを子供に与えたら「おいしくないからいらない」といわれその家庭ではそれなりの価格のお菓子しか買わなくなった。 ○食卓にジュースが当たり前のように並んでいる。(これは現代常識が崩れてきているからかもしれませんが...) など言い出せばきりがありません。 “栄養がある”と言う理由で子供に与えるならわかりますが“おいしくないから”・“きらいだから”という理由で贅沢なものを与えているのはどうかと思います。 我が家でも妻が時々そのような行動をとっている場合がありますので注意します。 あるとき2家族で焼肉を食べに行ったとき、我が家の私たち夫婦は上ハラミ一人前680円×2・子供は普通のハラミ1人前480円×2人前を頼みました。ところがそのとき一緒に来た家族に「子供にもう少しいいもの食べさせてあげたら?」「子供だけかわいそう」といわれました。 私は全くかわいそうに思いませんし、何故そのように思えるのか理解すら出来ません。それどころかそれが子供に対する“思いやり”・“教育”だと考えています。 私のような考え方はおかしいのでしょうか?古い考え方なのでしょうか? 皆様のご意見よろしくお願いします。
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No.26です。今、文章を見直し、訂正します。現代常識はジュースでしたね。失礼しました。これは理解出来ますね。家も、食事の時は麦茶かお茶か水です。理由は、太ってしまう 味が分からなくなるからです。ただ、食事以外ではジュースは解禁してします。だって、お菓子の時には麦茶かお茶か水よりもジュースの方があうでしょ?ただ、それだけの事です。勿論、飲みすぎはいけません。1日に1リットル以上飲むとか・・・。 私は、余計な事だと思いますが、貴方の生きてきた環境があまりにも極端だったような気がします。それは、親御さんの教育のみならず、貴方が見てきたいわゆる"常識"の部分が偏っていると言う事です。 建前で物を考えすぎている。もう少し、本音で生きませんか?(笑)
何故、貴方方夫婦は、普通のハラミを食べないのですか?並と比べ美味しくないからでしょ? お金が自由になれば、子供にも上ハラミを食べさせられるなと本音では思っているでしょ? お菓子だって、現代常識(笑)の前に、美味しいクッキーとまずいクッキーだったら誰だって、美味しいクッキーを食べさせてあげたいと思うでしょ? 「私のような考え方はおかしいのでしょうか?古い考え方なのでしょうか?」・・・う~~ん 単なる 貧乏かケチなのではないでしょうか? 自分達が上ハラミを食べている事を重要視するべきです。いくら子供だって、食事で差別をするのは良くない事ですよ。何故、大人が上で子供が並なのか・・・貴方はこれを、理論的に説明出来ますか?
- ryuu-jyun
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こんばんは。 それぞれの御家庭での教育方針がありますから、良い悪いは何とも言えませんが・・・ >「この○○がおいしいからたべなさい」 うちも言いますが、子供が苦手な物や食べた事の無い物の時に言います。 一口食べて飲み込めれば、「ほら、美味しいでしょ?全部食べてごらん」と促せるし。 >お菓子 「おいしくないからいらない」と言えば、今後そのお菓子は買わない。 同じ安いもので別のお菓子を買います。 金額を上げる必要はないと思います。 >食卓にジュース ご飯食にジュースはありえませんが、パン食ならありです。 >焼肉 我が家なら、皆同じメニューもしくは色々注文して皆で分け合います。 >お金を稼ぐ事の苦労 昔に比べて、今は親が働いている姿を子供が見て育つという環境ではないので、現実問題アルバイト等で実際にお金を稼がないと、本当の意味での苦労は分からないと思うんですが・・・ >自分がご飯が食べれる感謝の気持ち これを教えるのに、わざわざ差別化する必要はないのでは? (同じメニューで親が1品多いとかなら分かりますが) 何故「いただきます」「ごちそうさまでした」を言うのか。 誰に対して言うのかを教えた事はありますか? お米が食べれるのはお百姓さんが汗水流して作ってくれたから。 魚が食べれるのは... お肉が食べれるのは.... だから、「いただきます」「ごちそうさまでした」と言うんだと教えれば済む事だと思うんですが? ただ意味もなく「いただきます」「ごちそうさまでした」と言わせているのでしょうか? 上の子が7歳であるなら、差別化するよりも理解しやすく感謝の気持ちが芽生えると思うのは私だけでしょうか? 思いやり、教育と言うのばらば、そういう事を教えるのが親ではないでしょうか・・・
>私のような考え方はおかしいのでしょうか?古い考え方なのでしょうか? いいえ、おかしくなんてありませんよ。 私もそういった差別化でなく区別化が悪いと思いません。正しいとすら思います。 私も、質問者様も自分が育った環境をベースに物事を考えるのですから人それぞれな部分があると思います。 私自身はそのように親は別という考えで育ちました。母すら父と祖父母からとはおかずの中身が違いました。それが悪いことだとは思っていません、いまで言えば男尊女尊だと怒られそうですが我が家のしきたりなのですから。それにいくら専業主婦の立場が向上しようと実際問題は母の家事で家が成り立つわけでもありません。 私は母子家庭で別に作ったり別に注文するほど大量に食べるわけでもありません。むしろ別に注文することで損をします、だからしないだけです。 ケーキを3つ戴いたときは最後の1つは子供がどうしてもほしいといえば丸ごとあげます。私がお腹がすいていれば食べてしまいます。仕事中に子供が勝手に食べてしまう場合もあります。食後デザートとし半分個する場合もあります。 子供をいつも我慢させません、いつも子供を優先にもしません。本当にケースバイケースです。そのバランスが大事ということではないでしょうか。 ですが安い味しかしらないと美味しいものがわからない、作れないということはないと思います。そういう考えをするとなんでもそうなります。弱い人間になります。子供のときにこうしてくれなかったからこういう大人になったというのは甘えです。 戦後貧しい家庭で現在立派な料理人になっている人はどうなるのでしょうね。 なんでも育ち、教育、環境に原因を求めるべきじゃありません。 食卓にジュースが並ぶのは健康面からみても悪いのでほどほどです。 絶対ジュースはだめとは言いませんがその頻度でしょう。 基本はジュースではありません。野菜ジュース、青汁などは補助飲料です。 歯があるうちは噛み砕いて食べることが第一です。 硬いものを噛む、食べるという行為は人間の基本的な行為です。 人間は楽なほうへ流れますから最初から流れをゆるくすることもありません。野菜ジュースで同じ栄養がとれるという問題ではないのです。とにもかくにも基本が大事だと思います。缶詰で同じ栄養がとれるから、使いかってがいいからで生の露地もののトウモロコシを与えず缶詰を食べさせますか?冬ならともかく、旬の食材を与えることで何が旬なのか教えますよね。 親が一番偉いか、働くものが一番偉いか、それは当たり前ではないでしょうか? では子供が偉いのでしょうか?親に扶養してもらている子が親より偉いなどないです。 最近、病気でもなくはたらけない人が増えています。 働かざるもの食うべからず、この基本すらできていません。 働けないものに限ってああだこうだ言いますが働くって並大抵ではありません。 私は下肢障害者ですが働いています。母子家庭で障害者で何一つ国の援助は戴いておりません。私の父はよく言います、障害者であろうと健常者であろうと働け、生きろと。出来る限りを、やりつくせと。生きていく力をみせろ、そう言いました。 障害者になったばかりのころは父を冷たい人間だと思いました。とくに金銭的に困るような家ではありませんのにです、働かないうちは物を申す権利すらないようなことも言われました。ビールすら贅沢だとね。ですが今では父に感謝しています。父はやはり正しいと、父は私が父を憎むことをわかっていても徹するのです。私に生きる力をもたせるためにです。今は五体満足でも働けない人があまりに多くありませんか。 働くって偉いのですよ、大変なのですよ何を差し置いても偉いのです。学生のうちは親の言うことを聞くのが当然ではありませんか?学生が偉いなど誰が教えるのでしょう? 働けない人ほど、働くものを蔑みます。私の経験では働かない人ほどそういいます。働くことは偉いけどでもそれより精神面や自分らしくが大事と。食べていけない人ほどそう言います。個性が大事、生きる楽しみにが大事、ストレスはいけないと。それは違うのです、やることをやって言うならいいのですが大概は出来もしないひとほど言います、自分らしく生きるとか、無理をしない人生が大事といいますが無理をしない人生が本当に輝けるものか違う気が致します。 それぞれの家庭の姿があります。どれが一番良いなんていえないのではありませんか? 子供の性質、性格にもよりますし、その方法も無限に差がありますからね。 私は気の強い娘だったので父の教育で救われ大きな道を開くことができました、ですがこれは人の性格によっては潰れたかもしれません。 一概に何がいいのかは本当に言えないのだと。 育ってみてそれが良かったと思えばそれを継承しますし、自分が嫌だと思えばしません。ですが全体的にみて子供を甘やかす親が増えているのは確かです。厳しい親というものが減りました。今は自分の子に甘く外界に対し(先生やまわりの大人)厳しい親が増えています。もちろん満足に我慢できる人も少なくなったように感じます。 ですが時代は移り行きます、その時代に適合した育て方などが主流がなるのは仕方がない部分があると思います。 ですが現在の世のありかたに違和感を感じているのは質問者様だけではありません。
- okamon
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私から見ればとてもおかしい考え方です 細かい突込みを入れると 字数が大変なことになるので 簡潔に 1、3流の味しか知らない人間は3流のご飯しか作れなくなる 一般家庭は2流の素材、旬の素材で極上の家庭料理を味わうべき 将来、ご飯作れない人になりますよ ご飯のおいしいところを教えるのは料理の基本です 2.親と子どもの差別化は子どもを 一人間と見てない扱いとうけとられてもやむなし 親が自分の食べれないご飯を食べるのをみて尊敬する 子どもはごくまれ。普通はうらむ 親の尊厳は別の形で自然に生まれるもの 3、金を稼いでいる人間が一番偉いという教育をすると こどもは本当にそう思ってしまう恐れあり 病気の人はどうなるのか、学生に権利はないのか 子どもの権利とは何か、専業主婦の立場は一体なんなのか?老人はもう用無しなのか? そう思われてもしょうがない 4、おやつ=栄養価はないが精神安定、リラックス 日々の楽しみのための食事 まずいものを食べさせたら台無し 5、食卓にジュース 食事にあった飲み物というものがある 居酒屋ではビール レストランではワイン マクドナルドではジュース ケースバイケース また、ジュースといっても野菜ジュースというものもある 健康面を考えて青汁というのもある なにがなんでも麦茶というわけでもないだろう 以上、やっぱり長文になりました 失礼しました。
- mkk1116
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はじめまして、<私のような考え方はおかしいのでしょうか?古い考え方なのでしょうか?> いえ全然おかしくないです、育った環境もあると思いますが。 子供の体を作るのは親の義務です。私が小さいころ好き嫌いは 許されませんでした。 自分の子も同じです、好き嫌いせずバランスの良い物を食べさせています。たまに文句はありますが・・。 自分で稼いで生活できるようになったら好きにすればいいんです。 月に2回ほど外食しますが毎日汗だくで頑張っている主人が優先です。 私や子供2人は安い物で主人には好きな物を選んでもらいます。 ただ普段家ではださないジュースは外ではOKですね。 我慢できない子多いですね、欲しいものが手に入り贅沢があたりまえの 子供ってどうなんでしょう。 知人の子供は小学1年ですが親が贅沢させている為、お寿司にうるさく 銀座のあるお店以外の物は食べません。 私の考えも古いのでしょうかね・・
- morning_c
- ベストアンサー率24% (41/169)
あのー(^^;;;;・・・うちではもっと差があります。 お父さん、お母さんメニュー、子供メニューというものが存在します。 全品ではありませんが、差をつけています。 理由は色々ですね。 お父さん、お母さん働いているから!大人だから!とか金銭的なものもあるし色々。 普通かどうか知りませんけど、うちは子供を大卒にするために育てているんじゃない。 高校を出ようが大学をでようが、大学院をでようが働けなきゃ同じ。 一生自分で生きていくために、自立した大人になってもらいたいから今、育てているんです。その教育過程において、働くっていうことは大変なんだと、お前たち小学生とは違うのだと、親と同じものが食べたかったら大人になって食費を入れるようになってからだという1つの目標を目指すところを与えているわけです。 あとは育ちざかりなのでバカスカ食ねられたらたまらないのでね、現実的なところもあります。そりゃウチが腐るほどお金があっても節約するでしょうね。 >○食卓で「この○○がおいしいからたべなさい」と子供にその食卓に並んでいる一番いいものを与える。 うちは…まずないですね。 栄養があるから、身体にいいから食べなさいという話。 >○お菓子で安いものを子供に与えたら「おいしくないからいらない」といわれその家庭ではそれなりの価格のお菓子しか買わなくなった。 それもない。 うちはおやつ代が1日150円です。今は暑いしジュースやアイスを買っているようですけどその金額でなんとかしなさい、それ以上のものが欲しかったら貯めて買いなさい。 美味しくないからいらない、なら食わんでよろしい、です。 ○食卓にジュースが当たり前のように並んでいる。(これは現代常識が崩れてきているからかもしれませんが...) 食卓には出ません、麦茶か水です。 子供は押さえが利かない、ジュースを出せばジュースしかそれ以降飲みません。 ダメだと言い切らないと、泣けばなんとかなると思うだけです。 確かに団地や集合住宅だと泣く声に負けて出すかもしれませんけど、だめといったらダメ!という強さで押し切ります。 そういうご家庭が減りましたよ、子供の顔色を伺うような親がね。 我慢をさせることを、親ができてないひとが多いくらいです。 我慢はよくない、ストレスは子供に与えるべきじゃないとかね。 私の感性から言えばそっちのほうがあり得ません。 だから最近の子は精神的に弱いんですよ。 ある程度大人になればそれも制御できません。 子供のときくらい我慢させることが正しいと信じています。 子供の時しか我慢というものを覚えさせることができないからです。 私の教育方針です。 うちの差は食卓では野菜炒めの日に夫にプラスし煮魚を出すとか、夫の好きなニシンや金目を出すとかです。 子供には野菜炒めだけとか、あっても鮭どまりですね。 お刺身は子供は赤身、夫と私は中とろです。 夫は子供にあげるときもあればあげないときもあります。 母屋からビールもってこい!といい持ってくると中とろやるぞ!なんてやってます。 例えばくさや、など子供で嗜むものじゃないとしてあげませんがうちの子は大好きです。ぜいたく品もあげません。もちろんいつもあげないではなくたまにはあげますが、たまですね。 現状で満足をさせることが大事だと考えるからです。 10円のウマカ棒で満足してますよ。 確かに賛否両論でしょうが大人はずるいものです。 大人と子供は同じじゃない。 学生と労働している親の私たちとでは違う。 うちでは食事が違う=父親として一家を支えているのだという感謝を、子供のうちからお父さんという存在を少し厳しい段においています。 でも、今はやっぱり子供中心の世の中ですからね、私の父よりもよっぽどやさしいお父さんですよ。 焼肉なんかは子供がバカスカ食べるので、量と金額できめています。 安いのを2皿か、高いのを1皿かと。物事には予算がありますものね。 子供には安いものを、結構じゃありませんか!味覚は子供のころに形成?いえいえ私は大人になってちゃんと高いもの、ぜいたく品の味の良さを自分で知りました。 ちょっと感激ですよね。 親もべつにいやみと思わないで見ていますよ。 なんでも、かんでも最初からお盆にあげてご用意することが全てじゃありません。 ちなみにうちではコーヒーとうなぎパイは大人の味としてまだ禁制品です。 お友達みたいな親子でなく親は親!という家庭からの回答でした。
- tomotan710
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7歳と3歳の2児の母です。 質問者様の ”ご飯が食べれるのはお父さん・お母さんがお金稼いでくるから。” という考えはわかるのですが、 ”親”・”子”を差別化することによって子供に”自分がご飯が食べれる感謝の気持ち”・”お金を稼ぐことの苦労”を身近で教えてあげることができているのではないかと考えています。 は、ちょっと疑問です。 「お金を稼ぐことの苦労」は実際に自分がアルバイトをするなりしてお給料を貰う、とかそういうことではっきり自覚すると思います。7歳や4歳に言葉でいくら言ったところで理解できるものではないと思います。 下手すると「お父さんお母さんばっかりズルイ」みたいな思いを持たせるのでは・・・。 「お父さんお母さんが稼いできてくれる」ことの有難みは、「だから親は子供よりいいもの食べる」でなく「だから“みんなで”美味しいものを食べられる」という伝え方の方が、子供にはストレートだと思います。 親と子は同じではありませんから、何もかも同じに、とは思いませんが、 “親が稼いで子供は養ってもらっているのですから、子供にそんな権限は全くないと考えています” というようなことをストレートにお子さんにも言っていたら、思春期になって「オレは自分から選んでこんな親のところに生まれてきたんじゃない」と反発されそうですね。 (実際私の両親は何につけても結構厳しかったので、中学生の頃本気でこう思いました。親にはさすがに恐くて言えませんでしたが) 質問者様がご自分のご両親に対して「親の有難み」を感じるのはとても良いこととと思いますが、だからと言ってご自分のお子様方に「親の有難み」を押し付けるのはどうかと・・・。質問者様が子供の頃には感じなかったように、今何を言ってもお子様方に質問者様の思いを間違いなく伝えるのは難しいのではないかと思います。
私は父が食に関する仕事についていたためか、割と「おいしいもの」に囲まれて育った子供だと思います。毎日食卓にウニが並んでましたし、給料日前でも尾頭付きのエビが出てきました。お米は一番良いランクのものしか使ってなかったのだとか(ある日ランクを落としたら「このお米おいしくないね」と言いのけてしまったことがあり、親はたいそう驚いたそうです)。 私は子供に「おいしいもの」を与えるのは賛成です。まずいものを与えて、食べることが嫌いになったり、味覚が変になっては困ります。ただおいしいもの=贅沢なもの、とは限らないんですよね。また子供が好むもの=ジャンクフードとも限りません。 私は食事を作るとき、旬のものを意識して作るようにしてます。そのほうが安いからというのもありますが、やはり旬のものはおいしいからです。 また生鮮食品は極力新鮮なものを買ったり、素材を引き立てるような調理法を工夫したり。 もちろん出されたものを「まずいから」「嫌いだから」で残すことは良いとは思いませんが、本当はどんなものでもおいしくいただけるということは教えたいと思っています。 お菓子も一緒で、やはり本当においしいものは何か?を考えます。やはり安いクッキーはそれなりの味ですが(逆にそれがイイ!と言うこともありますが)、高級菓子店のクッキーはバターの香りがたっぷりで本当においしいです。 でも一番おいしいのは・・・自分たちの手で作った多少不恰好なクッキーだったりしませんか? 安いものがおいしくないならいらないというなら買わなければいいと思います。ただ毎日50円のお菓子を与えるのと、10日に1回500円のお菓子を与えるのとでは、子供の味覚は変わってくると思います。 うちはあまりお菓子は買いませんが(基本的に作るので)、よくある駄菓子は買わせません。安いけど、着色料とかものすごいし、それなら食べないで~!と思います。 ジュースはどうなんでしょうね。私の知ってる限り、そのような家庭はほとんどありませんが。食事のとき汁物をつけてるときはお茶は出しませんよ?(流し込み防止のため) 焼肉は…食べに行かないので良く分かりませんが。焼肉屋に行くなら家でやるか、今の時期ならバーベキューです。たった200円の差がどこまで違うのか分かりませんが、焼いたらどれが誰のか分からなくなるんじゃない…?と思うのは私だけなのでしょうか。 各家庭の方針などがあるでしょうから、一概にどうとは言えませんが、私は「極力子供には本当においしいものを食べさせたい」と思います。そして、どうしておいしいのか、どうしておいしくないと感じる人がいるのかを一緒に考えたいですね。うちでは食材選びよりも「家族で食事をする」とか「自分の手で作る」ということを凄く大事にしています。予算的にホンモノばかりを与えるのは無理ですが、おいしく食べる方法はいくらでもあると思うので。 何を与えるかではなく、どう与えるかが一番の問題なのだと思ってます。
- sarasachan
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私はおかしいとは思いません。 > 親が稼いで子供は養ってもらっているのですから~ 懐かしい言葉です。私、自分の両親によく言われました。 そして案の定、思春期の頃はこの言葉にすごく反発しました。 「親が子を養うのは義務」「生んでくれなんて頼んでない」 でも自分が親になってもらうと、親の気持ちが少しずつですが分かってきたように思います。 確かに「親が子を養うのは義務」ですし、子の方からしてみたら「生んでくれ」なんて頼んで いないんです。 でも世の中には「それを言っちゃおしまいよ」という言葉というか、思いがあると思うんですね。 私自身の感覚ですが、こういったことはやはり「それを言っちゃおしまい」という言葉に該当 するのではないかと思います。 「子を育てる親の義務」とかいう、あまりにも当たり前なことが前面に出すぎてしまうと、 感謝する心が芽生えにくくなりますし、 色々なことに対し感謝する機会が失われて いくように思います。 私も若い頃(学生の頃)は改めて親に感謝したことなんてなかったですけれど、学校を卒業 したとき、就職したとき、結婚したとき、子を産んだとき、節目節目で「親っていうのはすごいなぁ」と 今はすごく素直に感謝しています。 そのためには、たとえ一時的に子に憎まれたとしてもやはり親が親としてデンと構えていないと 出来ないような気がするんですね。 食べ物のことでいえば、それを作った人、獲った人に感謝するのはもちろんのこと、 それを口にするために働く親にも感謝しなくてはいけないと思います。 では専業主婦は感謝されないのか、ではなく今度はそれをおいしく食べられるように 調理して食卓に出してくれることに感謝する。 長くなりましたが、質問者さんのおっしゃる親と子の差別化というのは、教育上のこういった意味を 含んでのことと思いましたがいかがでしょうか。 とは言っても親が子に、おいしいものを食べさせたいと思うのも親心ですしね。 たまにならいいのではないか、と思っています。 また焼肉の件ですが、私だったら480円、680円、両方頼んでみんなで食べます。 そして「お父さん、ありがとう。ご馳走さま」といってビールくらいサービスしちゃうかも。 一つ、太い柱のような基本方針があれば、後はそこから外れない程度に臨機応変に対応できれば 良いと思いますが、いかがでしょうか。 最後に#14さんの新しい洋服のお話、とても素敵ですね。 私も今度から、娘に服を頂いたときは、まず私が袖を通そうと思いました。 こういうお話が聞けたのも、この質問のおかげです。 ありがとうござました。