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真実を知るか幸福かどちらを選びますか?

ある時、神様が現れて、これまでの人生にプラスして(1)この世の真実の全て、または(2)人生の幸福、この2つのどちらかをおまえにやると言ったとしたら、あなたはどちらを選びますか?その簡単な理由も教えてください。神様が苦手なかたもおられるかもしれませんが、気にしないでください。 (1)この世の真実の全てを選ぶと疑問に思っていること全ての正しい解答が得られます。 宇宙はどのようにして誕生したのか?宇宙の果てはどうなっているのか?人類の将来はどうなるのか?自分が死んだらどうなるのか?存在とはどうゆうことなのか?時間とは何なのか?ありとあらゆる疑問に思うことに全て正しい解答が得られます。ただし、知的好奇心を満たすことしかできません。これを世の中に発表したり、自分の金儲けに役立てたりすることはできません。 (2)人生の幸福を選ぶと、天寿を全うするまで一生ハッピーに過ごせます。何がハッピーかは人によって違うと思いますが、本人がハッピーに感じる人生を送れます。例えば、家族に愛されるとか、やりがいがある仕事に恵まれるとか、生活の心配をしなくていいとか。 これまでの人生にプラスしてということなので(2)を選ばないと不幸になるということでもありません。 もちろん、(1)(2)どっちもいらないという回答もありです。 皆さんはどちらを選びますか?(あるいは選びませんか?) さて、なぜこんな質問をしたかと言うと、かなり多くの人は(1)より(2)をめざすのじゃないかなと思ったからです。もし真実を知って得られた回答が非常に苦いものであったばあいに、それを捨てたいと思うのじゃないかと。質問というのは、本当を解答を知りたいと思ってするのだと思いますが、実は多くの人は本当の解答より自分がハッピーになる回答がほしいのではないかと思いました。

みんなの回答

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.13

私は学生運動の世代でもないのに(1)を選んで往生しました。 (2)を選べば結構うまくいく材料はあったのですが 元々そう器用な人間ではなかったので 両方は無理だろうと思っていました。 それで(!)を選んで(2)を捨てましたが 病気もして やっと自分が納得する思想にたどり着いても それを他人が納得してくれません。 最近やっと理解され始めたようです。 これは明らかにどっちを選ぶかは人それぞれの自由であって (1)を選んでも不遇な時代もあるでしょうし (2)を選んだから必ず上手くいくとは限りません。 私はたまたま学生時代に(1)を選びました。そういう時代でした。今は若者は(1)を選ぶ人は珍しいようです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、自分の志向性としての話ですね。 自力で1をめざしても限界ありますから到達できなくて難しいですね。 かといって2というのも、なんだかよくわからない話で。 私だったら、すぐ回答するなら1になりそうですけど、いろいろ考えてしまうと2と迷いそうです。

回答No.12

選択の余地を与えるなんて実に親切な神様だね。 普通神たる者、強制的に1を命令する。 それに逆らう祝福無き人生が2だ。 それは実際には不幸そのものだろうよ。 あと何年生きられるか。 そればっかり数える幸福だ。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 え、(2)のほうがとりえあず幸福なんだからいいと思うのですけど。 それから(1)でも私だったらうれしい。 そうでもないんですかねえ。

noname#207785
noname#207785
回答No.11

2ですね。 真実を知りたいのはそれを知ることでスッキリするから。 しあわせになりたいからです。 つまり、1は手段。2は目的になる。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。簡潔なお答えですが、なるほど、と思いました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.10

これは、欧州の哲学と、アメリカンプラグマティズムの対立 ですね。 ソクラテスが無実の罪で死刑にされるのを目にした プラトンが、人間は間違えることを知りました。 そして間違えないように、真実を発見しようとし、 これは西洋の哲学の発端になったわけです。 以降、西洋哲学は、究極の真実を目指して奮闘を続け ます。 これに対して、究極の真実が何の役に立つのか、 と疑問を呈したのが、アメリカンプラグマティズム です。 そんなモノの探求よりも、もっと大切なモノがある だろう。 悪いことをしてきた奴が、やらなくなった。 それは素晴らしいことではないのか。 役に立たない真実より、役に立つ虚構の方が必要だ ということです。 ワタシも、そうかな、と思った時期もありましたが、 韓国や中国の歴史、政治をみるにつけ、やはり 真実の探求は必要だろうと思うに至った次第です。 明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり。 というわけで、ワタシは(1)を選びます。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 韓国の人は「歴史の建て直し」と言いますから。日本人的には歴史は建て直しちゃいかんだろと思いますが・・・。 とりあえず幸福ならいいか、と思いやすいですが、真実も重要ですね。

回答No.9

#1の者です。 >よく考え真実に近そうな人というと哲学者を思い >浮かべることができますが、 「真実」というと、身の回りとは無縁な遠くのものに 感じられるが、「認識の深まり」と換言すれば、それは 普段感じている環境認識そのものをより濃厚なものに する事を意味する。 人は、同じ物を見ていれば同じものを感じていると思い がちだが、認識の深さや思い込みによって脳内に生じる イメージは異なるものとなる。 あえて「認識の深まりとは乖離した幸福の増進」と分け るならば、それは(非自覚に)他律的に生かされる事を 意味する。 そして人は、自覚されない達成で充足感を感じる事はなく、 認識の深まりとは無縁な「幸福の増進」は、人生を通算 した精神的充足量の真の最大化にはつながらない。

stmim
質問者

お礼

再び回答ありがとうございます。 なるほど、認識の深まりはあまり考えたことありませんでした。 そしてそれなしでの幸福はないと・・・。

回答No.8

>これまでの人生にプラスして(1)この世の真実の全て、または(2)人生の幸福、この2つのどちらかをおまえにやると言ったとしたら、あなたはどちらを選びますか? 回答:「この世の真実の全て」を選びます。 理由:「人生の幸福」はすでに持ってるので、、、。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 幸福はお持ちとはうらやましい。 なるほどそれでしたら、真実ですね。

回答No.7

stmimさん おはようございます。 私は、西洋哲学を学ぶに際し欠かせない、キリスト教の真理を肯定していますが、stmimさんは信じない神を崇拝するキリスト教見地からいうと (1)は神の領域です。聖書のシラ書に高慢は罪と書いてある。私も哲学者・科学者として真理を追求する好奇心は抑えられないですが、図書館で出会った、某大学の神学科の名誉教授に神学の疑問を習っていますが、その名誉教授にどのように神学を高慢、おごり高ぶりを抑え、神学を研究したかと尋ねたら「人間の限界知ること」という回答でした。stmimさんは神学よりも科学を信仰していると思いますが、原子力を発見し、手に入れた人類は戦争では「原子力爆弾」を作り、平和利用として「原子力発電」を作った、科学の発見には「光と闇」が付きまとう。しかし、平和利用と思われた原子力発電さえ、東日本大震災における結果をよく考えてください。私は質問(1)に対し人間の理性の暴走は危険という考えです。 (2)はアリストテレスも人間の最高善は幸福としたし、カントも最高善は徳と幸福とした。kurnalさんのチャレンジドの質問投稿に書きましたが、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが説く、「あたりまえのことがありがたいと気づけば幸せの度合いは高まる」であって、そのような態度でいると幸福というものは簡単に手を入れられるかもしれません。しかし、人間は誰でも人生生きていると、いつも幸福かというと、そうではなく、困難や苦悩からは逃れられない。カトリックの考えに煉獄という考えがあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%89%E7%8D%84 あの世は天国と煉獄と地獄からなるそうですが、死後の世界は死んでみないとわかりません。現在、生きている、この世こそ煉獄と説く人もいる。幸福は、出世して大金持ちになることではなく、青い鳥のように身近なところにあり、その小さな幸せに感謝すれば、誰にでも見つけだされと思います。 しかし、私の幸福は本を読むゆとりという時間があることで、質問(1)とだぶりstmimさんのように明確に区別することは出来ません。 私はこのような価値観ですが、kurnalさん、曰く「人権侵害しないでね」

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに技術にはプラスとマイナスがあると思います。 原発事故ではマイナスの面が出ました。 しかし、原発に限らず全ての技術に言えることだと思います。 例えば、自動車で毎年大勢の人が事故死していますが、現代では自動車なしの社会は考えられません。 その技術のプラスマイナスを考えてプラスが多ければその技術を採用するということなのだと思います。 幸福というのは難しくて、私の質問の中でも、ぼやかして書いています。 ご指摘のこと、なるほどと思います。 忘れがちですが感謝は大切ですね。

noname#212313
noname#212313
回答No.6

 悪魔が提示しそうですね。以下、多少説明します。 >(1)この世の真実の全て  知ることはできるが使っちゃいけないんですよね? すると、教えられなければ自力で知り、使えた筈の知識の機会、効用は奪われちゃってますよね。教えてもらったがために、一時的に嬉しいかもしれないけど、残る一生、新たなことは何もできない。知ったことに物凄く嫌なものが含まれていようがいまいが関係ありません。自力で知識を得ていっても、そういうものには必然的に出くわします。 >(2)人生の幸福  今の自分が幸福と思える、感じるものが手に入るのはいいんですが、そこから変化しなくなります。不満がなくなるわけですかね、一応。太った豚より痩せたソクラテスであれ、といったことが言われます。ソクラテスが痩せたままでいいわけじゃないんですよ。痩せこけたままでいろ、というわけではない。  太った豚は賢くならない。エサあてがわれて食ってるだけ以上に何かあるかどうか知る気は起こらない。一方、ソクラテスはチャンスさえあれば太るくらい食えたりする。さらに賢くなろうともする。賢くなればなるほど、もっと凄い幸福があることを理解し、運次第ですがたどり着けもする。痩せたソクラテスは伸びしろがあるんです。太った豚にはない。死ぬまであてがわれたものをただただ食うのみ。  どっちも選ぶ時だけ、なにかよさげに見えるだけです。どちらかを得たが最後、その状態で固定されてしまう。  幸福が何かとは、ある一個人だけに限定しても、表現どころか理解も難しいことですが、おそらくは「この状態になれば万全」といったものはありません。静止した状態みたいなものではないんですよ。落差なんです。前より良い、ということです。いったん悪くなって元に戻るだけでも幸福を感じることはあります。  よくある例を出してみます。背中がとても痒くなった。不快なことです。届きにくい背中に手を何とか伸ばして(これも関節が痛かったりして不快)、ようやくぽりぽりと掻けて(痒くない所なら不快な刺激)、痒みが治まった。とても気持ちいいもんです。痒くならなかったら、それでよかったのか。まあ、あんまりしばしば背中が痒くても困りますが、たまにならどうでしょうね。  知的好奇心が満たされるのも、一種の幸福です。「あ、分かった!」と思った瞬間、とても気持ち良く感じたりします。それが世の中では既知なことでも、自分が分かるかどうかは別問題です。自分の中で納得がいくかどうかは、世間の人が知っている、理解しているかどうかは無関係ですからね。知りたいことが過程抜きにいきなり頭の中に知識としてセットされて、それで面白いのかどうか。  さらに、この世の真実の全てにせよ、人生の幸福にせよ、自分に全てある状態になってしまうと、深刻な事態に至ります。死に至る病です。することなくて飽きるんですよ。自分の外部条件をどんなに整えてもらっても、自分の内部には響いて行かない。  もしそれを避けるとしたら、この世の真実の全てだと退屈するという真実は消去してもらう、人生の幸福なら飽きるという感情を取り除いてもらうしかありません。それで人間らしいかどうか、よく分かりませんね。  以上を踏まえて、ご質問にお答えします。どちらも不要です。誰かが誘惑されていたら止めます。そういう提案をしてきた超越者には、「生きていけないほど不幸な人を、一人でもいいから普通に生きていけるよう助けてやってくれ」と頼んでおきましょうか。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >知ることはできるが使っちゃいけないんですよね? 使えることにすると宝くじを当てるとか、特許をとって事業を起こすとか、お金儲けを考えるのは方向が違うと思いました。 >知りたいことが過程抜きにいきなり頭の中に知識としてセットされて、それで面白いのかどうか。 知る過程が楽しいのであって、知識自体はそれほど興味がないということですね。 知識にせよ、幸福にせよ、だんだん得ていく、改善されていくというのが楽しさの基本なのですね。 大変興味深いお考えと思いました。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.5

>お聞きしたかったのは、自分のめざす方向性として、本当のことを知りたいのか?幸福になりたいのか?ということでした。 したがって、自分で掴み取ると回答したのは両方ともほしいからです。本当のことを知らずして、本当の幸福など無いと思います。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。しかし、かえって本当のことを知ってしまったがために不幸になるということもあるような・・・・。知らぬが仏みたいな。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.4

真実も幸福も自分で掴み取るものだと思っています。もし神様が現われても、きっと偽物だと思うでしょう。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、そうゆう考えもありですね。 お聞きしたかったのは、自分のめざす方向性として、本当のことを知りたいのか?幸福になりたいのか?ということでした。 ある人が問いを立てた時に「苦く受け入れがたいが真実の答え」と「気持ちが楽になって受け入れやすいが間違った答え」が返ってきた合に、人間はどうしても前者を捨てて後者のほうを採用する傾向があるように思うのです。 本当はどうなんだ?と問いながら、自分に都合のよい答えを求める。 それが人間なんじゃないかと、そう思ったので質問をしました。 例え話で聞くのではなくて、ストレートに質問したほうがよかったかもしれないですね。