• 締切済み

「俺人殴った事ないんだけどさぁ。。。」

今日街中で温厚そうな顔をした人が、 「俺人殴った事ないんだけどさぁ…」 「人殴ると殺したくなるんだよね…」 「でも、馬鹿らしいじゃん。そんなんで人殺すなんて。」 と、友人と思われる人に語り、軽く流されていました。 僕はそれを聞いて怖かったです。 僕は今までの人生で一度も「人を殺したい」と言う感情を抱いた事がありません。 上記のような感情を抱く人は最近増えているのでしょうか…。 今日はじめてテレビで報道されている事が本当なんだなと。感じました。リアルで怖かったです。 回答よろしくお願いします…。

みんなの回答

  • bongo8
  • ベストアンサー率17% (9/51)
回答No.15

1,2,3,が同一人物でしたか。 だとしたら、簡単です。 問題の「人殴ると殺したくなるんだよね…」は、 質問だとしたら、彼の考えではないので、彼には 殺意がない。 また、 彼の意見だとしても、殴ってみたことないので、 「殴りはじめたら殺すまで」の図式は、架空の想像ですよね? じゃあ、どこにも殺意は存在しませんね。 安心なんじゃないですか? ひょっとして、推理してみましたが 「人殴ると殺したくなるんだよね…」は、 「人を殴ってるやつ(第3者同志で)を見かけると、加害者に対して腹が立ち、その加害者に制裁を加えたい。」 とゆう言葉なのかもしれない・・・。 (会話だから、それくらいの省略した表現する人もいるでしょう) だとすれば、その言葉の彼、男気がありますね。 正義感あふれる人なのかも。 逆に、この解釈でのみ、彼自身に殺意がありますね。 殺意はいけません。 平和を広めましょう。

  • bongo8
  • ベストアンサー率17% (9/51)
回答No.14

多分、その人は野性的に「勝ちたい」人なんじゃないでしょうか。 野生は必ず、勝たなくてはなりませんよね。 (その人を動物としてみたら、納得いくような・・・) 殴る話に戻りますと、例えば相手が、 勝てないかも知れないくらい強い相手とか、 無法者のやくざさんとか、 色々パターンはありますが、 やりあって、こちらが負けることが、半殺しや ほんとの死につながる危険な状況もあるでしょう。 実際に、そこまで危険じゃなくても、 「より安全」を求めるのが本能じゃないかと思います。 そこで、「殴る=ケンカが始まる」とゆう図式の場合、 勝てば勝つほど、優勢であればあるほど、こちらの 安全度は高まります。 その、安全を求めているのではないでしょうか。 だから、究極の「相手の動きを封じる=殺す」とゆう 発想にまで、発展しているのではないのでしょうか。 そうすれば、相手と自分の関係において、 負ける心配はなくなる。 (いついかなる時でも勝てる強い人は、加減が出来ますね。) 「殴る=ケンカ」じゃない場合もありますね。 例えば、バツとしてゲンコツくらわす、とか。 その場合に、「殺す」まで飛躍しちゃうのだったら、 ヤバイですね、その人。 ちなみに、いまさら質問ですが 1:「俺人殴った事ないんだけどさぁ…」 2:「人殴ると殺したくなるんだよね…」 3:「でも、馬鹿らしいじゃん。そんなんで人殺すなんて。」 上記、1,2,3,は、同一人物の言葉ですか? それとも、1と3が同じで、2がその相手ですか? PS. 小学生以来、殴り合いはしていません。 今後も、しないつもりです。 殺すなんてことは考えもしません。

otafukutiger
質問者

お礼

質問に答えると、123は同一人物です。 回答ありがとうございます。

noname#75675
noname#75675
回答No.13

ただの異常なかっこつけではないでしょうか? だけど、その異常さが殺しにつながってる気がします。そういう事を言うのが実際かっこいいと思っている人がいる。 どうして殴ったことがないのに殺したくなる、って言えるんでしょう? ちょっと会話的におかしい感じがします。孤独で寂しいのかもしれない。 中学の頃の社会の授業で「人を殺したいと思ったことはあるか?」という題でディベートをしました。どうして人を殺してはいけないのか。 その中でヒトラーを尊敬する、と宣言した男子がいました。 普段明るくて男子にも女子にも人気のあるS君も人を殺したいと思ったことがある、と言ったし、全然誰が憎い訳じゃないし、殺してまた生き返るのなら一度、誰でも良いから殺してみたい、という子もいました。 また、ひとつしかない命を奪うなんて絶対にしてはいけない、自分が死んだら 痛くて嫌だし、周りの人が死んでもものすごく辛いし、多くの悲しみやその後の負担を(殺したい)と身勝手な思いでつくってはいけない、という意見もありました。(というか、もちろんそっちの方が圧倒的多数意見です!) そこで最後に担任の先生はまとめました。 昔から人は戦争を行い、罪人を残虐に殺しては沢山の人が面白がって血が流れる所を見ていた。元々そういう残虐性というのは誰にでもあるんだ、と。 今の状況下では考えられなくとも理性が飛ぶほど追い詰められたら、人を殺すことは誰もが行う事が有り得ると。 殺したいと思っても、きちんと理性が働いて殺さないうちは正常な人間だと、言っていました。(ちなみに人を殺したいと言っていた男子数人とはひとりひとりと話し合ってました) けれど、そんなんじゃなく本当に殺したい、とか死にたいとか言う気持ちのハザマで生きている人が今の世の中多すぎるような気がします。

otafukutiger
質問者

お礼

本当にそんなに追い詰められている人がたくさんいるのでしょうか。 これは、わからないですよね。他人の心の中はのぞけませんものね。 でも、こわいですね。 今、遠藤周作の「海と毒薬」という小説を読んでいます。 これは戦時中、日本が行った人体実験の話で、米軍の青年を 生きたまま殺します。 この話を通して作者は日本人の、決定意思の問題を解こうと試みています。 人体実験が始まる直前にそれにかかわる人々の過去を、一人ずつ 明らかにしていくのですが、みな普通の人間なのです。 遠藤周作は日本人は世間に対する恐れはあるが、自らの心 の内の良心による罪の意識はあるのだろうかと、問うています。 これは、質問の内容とはちょっと違いますが、実に興味深いお話でした。 回答ありがとうございました。

  • Horus
  • ベストアンサー率14% (78/528)
回答No.12

 (^^;(こっ、こわい!)  人を顔で判断するのは良くありませんが(otafukutiger ってバランスが取れて、良いネームですね。bengaltiger だと恐いけど (^^; )、そう言う会話が平然となされたとすれば、恐ろしい事ですね。殴ると殺したくなるのを本能的に知っていることになりますからね。これは当然だと思いますよ。  義憤のために殴るのであれば、殴るだけで目的が果たされるわけですが、殴るために殴るのは、楽しみのために殴るわけですから、人間は耽溺するものですからね。チョコレートに耽溺する人は必ず食べ過ぎるようになります。  殴るために殴っていると、先まで試したくなるのは当然でしょう。逆に「あいつ死んでしまえば良い!」と思っていると、たいてい思いとどまることができるんだと思われます。理由があるからです。これくらいのことで人を殺してと考える余地があるからです。  人間の退屈しのぎには限度と言うものがないのでしょう。楽しみを求めれば限りと言うものを知らず、殺しても飽き足りることはないのかもしれません。(きっ、気をつけないと!(^^; (あまり、寂しいところを歩かないようにしよう。))

otafukutiger
質問者

お礼

本当に怖かったんです。 今でも覚えてます。 リアルなんですよね。こういうのは直に聞かないと伝わらないと思いますが…。 目が違ってたんですよね。 あまりこういう話はしない方がいいですね。 ここらへんで辞めておきます。 回答ありがとうございました。

  • tsubura
  • ベストアンサー率28% (52/182)
回答No.11

>上記のような感情を抱く人は最近増えているのでしょうか…。 端的に回答すれば、「増えています」としか答えられないんじゃないでしょうか。 心理学の中、特に社会心理学の中で、現在の生活は非モラル的な発想が生まれやすくなっているというようなことを読んだことがあります。 主な原因として ・人が多すぎると、人間はストレスを溜めやすくなる ・ストレスを堪ると、引きこもる ・引きこもると社会的支援・精神的障害を引き起こしやすくなる そして、インターネットの普及等で、当人は人と対面コミュニケーションをとっている気になってしまっている(あぶれモノ、はじきモノではないという認識)。 ここからは、私自身の憶測ですが、手紙やメールで相手に自分の気持ちを書く方がすっきり自分の意見を言えるってことがありますよね?匿名性の高い掲示板では荒○しや、口汚いののしり、乱暴な口調等など。それに、自己啓発法の中に、何も考えずに頭に思いついたことをつらつらと書いて行くと、最終的に自分の思考を知ることができるとか。 集団として構成されるということ(この場合、電車の中や人ごみなど単なる人の集まりではなく、野球チームや学校など自己認識のお互いにある集団)は自己を抑制し、制御する力がある以上、個である人は自身の感情コントロールが希薄になってくるのではないだろうかと、やや短絡的ではありますが、簡単に想像できます。 付け加えれば、元来人間も動物ですから、自身のテリトリー(自室だけではなく、他人が干渉してくると言う意味)に侵入する相手に対して攻撃的になる、ということは否めないと思われます。闘争本能なんてものもありますしね。それに、もうひとつ「なぜ人を殺してはいけないか」という理由を明確にできる人を私は知りません。理由に「思いやり」を持ち出す人も居ますが、それを今述べたような人たちに効果があるかというと、あまりにも脆弱な理由の気がします。彼等のような人が増えていく昨今、「殺す」という感情を否定する材料自体が少なくなっているのかもしれませんね。 稚拙な長文でしつれいしました。

otafukutiger
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • nekotama
  • ベストアンサー率24% (50/207)
回答No.10

猫玉です。 特別職国家公務員は自衛官のことです。 大量殺戮は冗談で、本当はヘリコプターで潜水艦を探してソードフィッシュ(おいしいよ!)を迅速にお届けする練習です。

otafukutiger
質問者

お礼

おお。 それはおいしそうな仕事ですね。 回答ありがとうございます。 有事の際にはがんばってください。

  • gohome777
  • ベストアンサー率26% (32/123)
回答No.9

こんにちわ。 私も#9の回答とほぼ同じ意見です。 以前付き合ってた彼が「オレ人を殺してしまうかも知れない」と まじめな顔で言っていたのを思い出しました。 その彼もダラシナイ彼だったのですが、人ってこんなに簡単に 人を殺そうと思うものなのかなと不思議でした。 居なくなればいいのにとはよーく思いますが(笑) 殺そうとか死ねとは思わないですよね。

回答No.8

語尾がどうのっていうのはよくわからないので、殺したいとかいう感情についてちょっぴり私の意見を述べたいと思います。 いっくら「この人やだ」とか「ムカツクな~もう!!」とか思っても、殺したいと思ったことはないです。(ただ、もし身近な人が殺されたとかいう事が起きた時にはそういう感情を抱くかもしれないけど・・・) 私は冗談でも(冗談なら)殺したいとか、死ねとか、そういった言葉はできるだけ聞きたくないです。友達が「あいつホントムカツクよー、死ね」と本人はもちろんいない所でしたけど、言ったときはかなり引きました。まぁ、そこまで怒らなくても・・・と。ちなみに女のコです。本人の前では普通に振舞ってますけどね。 口癖になってる人もいるかもしれないですね。「おまえ死ねよ~(笑)」って感じで。 自分の周りに「殺したい」って本気で思ってる人がいたら恐いですね。う~ん、なんでだろう?痛みとか、人の気持ちとかがわからない人なんですかねぇ。

otafukutiger
質問者

お礼

tamagotamakoさん回答ありがとうございます。 僕もあなたと同じように思います。 ただ、今思い出しました。 テレビのニュースなどで殺人事件などが流れたとき、被害者に感情移入して犯人を殺したい。と思ったことはあります。ただし、この感情は心の中に秘めているだけです。やるせないです。特に、同年代や小さい子供の場合…。 僕も身近に「殺したい」と本気で思っている人がいるとしたら怖いです。本当に今日昼間、質問のような会話を聞いたとき背筋が凍る思いがしました。 付け足しますが、この会話はとある都市のインターネットカフェで行われていたのでした。現実味がありませんか? 回答ありがとうございました。

  • nekotama
  • ベストアンサー率24% (50/207)
回答No.7

ちわ! 人生のうちで何度か(何十回?)人を殺したくなったことは在り、そのうち何回かは殴っております。(特別職国家公務員もそれで辞めました。『クビじゃないけどねー』)でも幸(不幸?)にも殺してはおりません。 <「人を殴ると殺したくなる」ということが一般的なこと どうでしょう?俺の場合は殺したくなる(それに近いような感情を持つ)からつい殴ってしまった。ちゅう感じなのでちょっと理解できません。 『殴ると面白くてもっと殴りたくなりついには息の根を止めたくなるッちゅうことでしょうかね?』 でもそん人は他人を殴ったことないんだから結構なことじゃないんですかな。人を殴ったことない人なんて果たして何パーセントいるんだか。ただ人を殴ったことない奴ってのもちと怖いかな?でもいくつかは知れんけど今まで殴んないで生きてきたんだからこれからも殴らない可能性は高いのでは?と思います。 結論 人間とは何を考えたかよりも何を行ったかでその価値が決まる。by猫玉 そんでもって人を殺したいって感情は実行しなければ一般的でありその存在は健全である。 まあもっとも恨みもない(面識もない)相手を大量殺戮する訓練をしてた人間だから、一般的なものからはかなり逸脱してるかもね。

otafukutiger
質問者

お礼

猫玉さんが、「恨みもない(面識もない)相手を大量殺戮する訓練をしてた人間」なのですか。ということは、猫玉さんは自衛隊か海外の軍隊などで仕事をしていたのですか。特別職国家公務員というのは、軍関係の仕事を意味しますか?? 質問してしまってごめんなさい。 nekotamaさんに人は殺意を時たま抱いたりするのでしょうかね。そういう人もいるのかもしれませんね。 僕はたまにとてもいやなことに遭遇しても、殺意は芽生えません。 回答ありがとうございました。

  • Singollo
  • ベストアンサー率28% (834/2935)
回答No.6

> 語尾は延ばしていませんでした 詠嘆の『ね』は『ねぇ』と延ばされることがありますが、延ばしていないということだとどちらの可能性もあり、やはり発音だけからどちらであったかを判断するのは難しいと思います 従って、前後のつながりから矛盾を生じない、確認の問いかけの『ね』である可能性の方が高いと思います > 「人を殴ると殺したくなる」ということ > が一般的なことなのか 先述のように、自分の感情の高ぶりを適切に表現できる語彙が不足して、一からげに『殺したくなる』と表現するケースの方が多いだろうと思います 前回の訂正 『格助詞』→『終助詞』

otafukutiger
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに、語彙力の低下は短絡的な思考を導きますね。