イエスキリストが来られた時、旧約聖書はユダヤ人の文字であるヘブライ語で書かれてありました。イエスキリストが、この旧約聖書の権威を認めたのであり「マタイ福音4:47、5:17~18;ルカ福音24:44」、それが自分自身について書かれていると説明なさいました「ルカ24:27」。 旧約聖書のマラキ書からイエスキリストが来られるまでの約400年間については、何も書かれてありません。ユダヤ人は罪によって神様の霊感を受ける事が出来なかったのです。これを暗黒時代とも言います。 救われた人で、罪を犯すことによって聖書を読んでも意味を分からずに涙を流した事がある人は、この意味を直ぐ分かるはずですが、救われて無い自然人には理解出来ないでしょう。 人々の間では、ギルシヤ語とラテン語で、この400年の歴史が外経として読まれていました。1611年、John Boissが King James Bibleを翻訳する時、旧約と新約の間にこれを入れましたが、その後からは削除して出版し続いています。 外経が正経として認められない理由は、ヘブライ語で書かれて無かった、ユダヤ人によって正経として認められた事が一回も無かった、その内容が聖書と矛盾する、嘘や自殺や暗殺や魔術的な呪文や死んだ者達に捧げる祈り等が含まれてある、John Boissも歴史として入れただけでそれに何の霊感性も認め無かった、等です。 ペトロ後1:21は「予言は一昔に人の意から出たのではなく、ただ神様の聖なる人々が聖霊の感動を受けて語ったのです」と言われています。その証拠として聖書は聖書が説明なさっていらっしゃいます「イザヤ34:16」。即ち、旧約は新約が、新約は旧約が、そして聖書は聖書が、必ずそれをを説明なさっていらっしゃるということです。 判決を下す時、法条文が提示されないと、その判決は無効になります。聖書について言う者が、聖書の根拠を提示せずに自分勝手にしゃべるのは、神様に導かれる者では無く、悪魔に導かれているのです「コリント後11:12~15」。 最後に、神様の御言葉はユダヤ人だけに任されました。すなわち、聖書が正経として認められるためには、それを書いた人がユダヤ人で無ければならないという神様の掟があるということです「ローマ書3:2」。ですから、全ての聖書はユダヤ人のみによって書かれてあるのです。
お礼
解答ありがとうございます。