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謝罪しないとどうして人は怒りが増すんでしょう?

人はなぜ謝罪しないと怒りがましてくるんでしょうか?どちらかというと心理的な質問になります。例えば今いろんな食品偽造やその他の偽造が続いています。非を認めないとバッシングが強くなっていきます。どうして偽造を認めて謝らないんだ!と人の声は強くなっていきます。しかし、もし仮に偽造が発覚したら、自分たちの非を認めて即刻謝罪して改善します申し訳ありませんでしたと言えばそこまで大ごとにはならないような気がします(謝らないより大ごとにはならないという事です)。 食品偽造じゃなくても日常の生活でも友達同士で気に食わない事を言われたとします。すぐに謝れば許してくれるものを謝られなければ不満がつのって、怒りに拍車がかかります。どうして人は謝罪してもらわないと怒りが爆発の方向に向かっていくのでしょうか?これって日本人の性質なんでしょうか?それともこのような心理は万国共通なんでしょうか?

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  • hoihoin
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回答No.2

参考資料などはありませんが・・・私が考えることについて。 「謝罪する」は何に対してのものかを考えます 相手からの裏切り,相手への失望, 自分が受けた損害など これらは,人の心がマイナスに揺さぶられた結果に対してのものである。 「このマイナスに揺さぶられた感情はどうすればいいんだ!」 という感情の鬱憤が怒りに変わる。 この感情の納まりをなんらかの代償で感情の発端となった人に求める。 それが「謝罪」という形なのではないでしょうか。 謝罪によって,謝る相手の感情は一時的にマイナスになります。 その謝る相手のマイナス度合いと自分の感情のマイナス度合いを釣り合わせることによって,感情の損得が互いに等しくなる。 したがって,謝る方は相手も同じように損をしたということで,その場は収まる。 ただ,謝罪の仕方,事の大きさによって謝罪しても怒りを買うということについては,相手と自分との損が釣り合わず,謝ってもマイナス感情が相殺されない場合であると考えられます。

その他の回答 (8)

  • ribisi
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回答No.9

>食品偽造じゃなくても日常の生活でも友達同士で気に食わない事を言われたとします。 このような事例での日常生活レベルでの回答ですが、謝罪するという行為は、相手との関係を継続させたい、という意思表示をすることにもなります。 逆にいえば、絶交してもいいような関係ならば、謝罪もなされないでしょうし、そのように相手から見下された、ということで、いっそう腹が立つのではないでしょうか。

  • numasi
  • ベストアンサー率31% (7/22)
回答No.8

謝罪しないと怒りが増すのは、万国共通だと思いますよ。 怒りと言うのは人間の最大の力です。政治家は選挙時によくこれを利用します。怒りをあおるだけあおって解決しないのは考え物ですが。 謝罪しないと怒りが増していくのは、謝罪しないことによって、今問題にしている以外のことまで気になってしまうからでしょう。些細な夫婦喧嘩でも謝らないために、1月も前のことを持ち出して怒ったりすることで、離婚するほどのののしりあいになるような例です。 また、謝罪する側と謝罪される側の問題の認識レベルの違いが「謝らない」、「謝り方が気にくわない」、「謝っているのに」などお互いの怒りを増長する方向に発展していくこともあるように思います。たいていは、謝ってほしい側のレベルに謝る側が達していないためですが。 ただ、最近はマスコミが騒ぎすぎるので、どうでもよいことをすぐ謝って、誰の得にもならない対応をしてしまうように思います。 http://www.meti.go.jp/product_safety/recall/file/071211-2.html ↑こんなの見ると、何で?と思ったりします。

参考URL:
http://www.meti.go.jp/product_safety/recall/file/071211-2.html
  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

野球の死球での態度を見ればわかるのでは? 日本では謝って次の打者には真ん中投げる。もしくは勝負に出てくる。 アメリカでは報復死球の応酬。 審判の権限が高い。強くなければ幾らでも報復連鎖が続く。 海外での法権力の強さがあってのしきたりでしょう。 選手の体つくりも日本は地道なのに、アメリカはドーピング。 物質面ではなく、精神面を先に求める気質なのかもしれませんね。 スポーツのルールが国柄を分かりやすいかも。 謝るくらいなら自分たちに都合の良いルールにするのが常識なのですから。 柔道がそうですね。 それが、今の殴る蹴るの柔道。肘うちとかあるし。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.6

>それともこのような心理は万国共通なんでしょうか? それは違いますよね。 実際戦争責任の追及などで、十分な謝罪がないと怒っていらっしゃる方も大勢いらっしゃいますし、そんなことは無いでしょう。 偽装を認めてしまう、ということは、すなわち自分の「非」を認めるということです。 商売は何事も「信頼」で成り立っている以上、その要であるものを「無くして」しまったらば、今までの苦労がすべて水泡に帰すのです。 それはイコール「会社の崩壊」を意味します。 だからそれが(会社にとって)「軽微」なものであるなら、例えそれが「罪」であろうが無かろうが、そんなものは「関係ない」というのが会社の「理屈」と言っても良いでしょう。 会社や企業は「存在しているがゆえに」会社であり、企業なのですから。 「法人」という言葉がありますね。 これは「人間と同じように」という意味合いを持っています。 会社法人はつまり「一己の人」なのです。 だから「自分が死んでしまわないためには戦う」というのも、会社のひとつの「理論」なのです。 そこのところはわかってもらえればな、と思います。 ただそれに「甘える」体質を持っている会社は、自ずと崩壊していくものですけれどね。

  • akira-45
  • ベストアンサー率15% (539/3495)
回答No.5

民間の謝罪はすばやいけど公務員・各省庁で謝罪することはありません。責任の所在がないから怒りが増すのです。うやむやは日本人が嫌う気質なのでしょう。

  • r99
  • ベストアンサー率28% (283/989)
回答No.4

日本人の中に『謝罪の美学』な感じがあると思います。 謝ることで自身のプライドを高めるみたいな部分ってあると思う。 謝られたほうも、潔い謝罪に追い討ちをかけるのは非道的な見方を される傾向があると思います。 昨今の謝罪会見などを見ると明らかに保身に走り、美学を感じさせない ものが多いので、より感情を逆撫でしているでしょう。 また、それらを見ている私達、マスコミなどは不満足な謝罪に対して 優位性な立場にたって見てしまう傾向もあると思います。ヤジと同類 でしょうね。 海外では謝る=償うになると思います。 償いは求めるほうは青天井なので、どこかで制限をもちたい。 だから謝ると同時に相手への牽制も含めて攻撃もします。 日本人には理解できない部分がありますが、自分の非を認めつつも その非によって産まれた損失を最大限に縮小したいって考えは あると思います。 そこら辺の駆け引きがとても下手なんでしょうね、日本人は。 だから謝る、謝らないの低次元で話が進まない、またはマスコミなのに 玩具にされてしまう一因ではと考えます。

  • ageha03
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.3

「謝罪しろ」というのは、「(あなたは間違っているという)私の意見を認めろ」という攻める側の心理的欲求(まはた要求)だと思います。 「自分の意見を認めろ」というのは心理的に「そんなことは絶対にいけないんだ」という強いこだわりがあればあるほど出てくるものです 例えば、「そんなのどっちでもいいじゃん」という人はなにもいわないでしょう? そのことに対するこだわりがないからです。「ふ~ん(関係ない)」で済みます バッシングする人つまり、 「そんなことは絶対にあってはならない」というこだわりがある人は 心の中で「自分が被害者だったら…ものすごく恐い」とか 「自分も同じ人種ではないか?いいやちがう!」という自己不信に対する恐怖 などなど人によって理由は色々ですが、そういった心の中にある違和感に触れた時になんだか放っとけなくなったり そういう恐怖や不安が強ければ強いほど口を出さずにいられなくなったり するんではないでしょうか そしてその自分の心の中の違和感に対して違う!と自分で言い切れる自信がないので 他人に反映して認めさせようとする心理…なのかな?と思います これは無意識にやっているので、自分ではそんな不安があって行動していることに気付いていないことが多いでしょう 非がある本人も自分が悪いのかも…という罪悪感があると態度がおどおどするのでもっと突っ込まれる要因になるし たとえば、全く悪くない!と自信があって堂々と謝罪をしないでいれば バッシングする方もいつかは、減って行くように思います 外国などでは交通事故など、Sorryと言えば100%自分が悪いと認めたことになり 批難の的になるので たとえ自分が悪くても日本みたいに簡単に謝らないという傾向があるようです

  • heinell
  • ベストアンサー率35% (420/1172)
回答No.1

支配欲の応用と考えればわかりやすいです。 バッシングする人の心情ってのは 「我は正義なり。悪は敗北を認め屈服せよ。以後我が命令には絶対服従せよ。」 こんな感じです。 映画にあるような、古代の侵略戦争での勝者と敗者のようなイメージですね。 とりあえず上記の台詞を吐く立場になりきってみると… 「はは~っ」と平伏し、どんな不条理な罰にも耐え、以後奴隷のように服従するなら怒りも収まる。 少しでもためらったり、敵意の死線をなげかけようとしたら「何をこの敗北した悪人の分際で!!」となります。 映画だったら剣でズバッ!ってトコでしょう。 それとほぼ同じです。 実際こういう不祥事報道ってのは、これこそが本当の狙いです。 単なるエンターテイメントの提供なんですね。 ただ映画の場合支配者側が敗者側の目の前に立ち、直接斬り付けます。 万が一にも敗者が窮鼠猫を噛むという危険性があります。 それじゃエンターテイメントにならない。 みんなが敗者の牙が絶対届かない場所から支配者気分を味わうようにするには? ということで、皆がTVの前でパソコンのモニタの前でバッシングする訳です。 何のことは無い。 相手が悪いことをしたって引け目につけこんだ「いじめ」以外の何者でもないんですね。