自身の考えを持つことと徒党を組むことの内的な差異
今まで質問して回答を読んだり、人の質問に寄せられる回答を読んだりしてきまして、ジャンルを問わず、大体受けた印象が印象があって、
○押しぎせの世間で言われているようなことを声高に居丈高に答える
○必ずしも一般論ではない自身の思考、体験を、自分の言葉で平静にあるいは謙虚な姿勢で答える
という印象を抱いています。
もちろん
○押しぎせの世間で言われているようなことを平静にあるいは謙虚な姿勢で答える
○必ずしも一般論でない自信の思考、体験を、声高に居丈高に答える。
というのもないではありません。しかし印象に残らないほど少数な様です。
こういうところにどういう理由があるのだろうと考えてみたいのです。つまり、ちゃんと頭を働かせて自身の思想を持つということに関連して洗練された人間性があって、それが態度にも表れるということがあるのか、あるいは、とりあえず多数派の常識論を、実感もなく騒いで居丈高になるという自身のなさ思考のなさは、粗野な性質と連動しているのか?
そういう憶測をしているのですが、こういうのは大体言えていることなのでしょうか?またなぜそのような傾向が生じるのでしょうか。
お礼
なるほど...でも日本人より中国人の方が明るいと思いますよ私は。