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チェコ併合について
イギリス、フランス、ドイツ、イタリアが参加したミュンヘン会議でズデーテン地方をドイツに割譲することを約束しましたが、肝心のチェコはこの会議に参加できませんでした。なぜ、イギリスやフランスが併合を決められたのですか。
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大国の傲慢のひとことにつきるでしょう。 チェコはあまりに無力で、軍事的に対抗できなかったので チェコがどう言おうが無視されたわけです。 チェコスロバキアが参加していたら反対するに決まってますから、 除外されたということです。 ミュンヘン会談は、要するに中央ヨーロッパの再分割協議で、 英・チェンバレンらはドイツに旧領回復を認めることで 戦争の回避を希望したわけですが、 西側の弱腰を見たヒトラーは逆に増長して ミュンヘン協定を無視して、ボヘミアの併合などを進めていきます。
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- Mumin-mama
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ANo.2です。下の地図が参考になると思います。
お礼
参考になりました。ありがとうございます。
- Mumin-mama
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1936年にベルリン・ローマ中枢(ヒットラーとムッソリーニが手を組んだ)以来、伊はオーストリア支持を撤回、そのことによりヒットラーはオーストリアを併合(1938年3月)します。 大ドイツ建設を目指しヒットラーは次にチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲を求めます。そこには以前から、ユダヤ系ドイツ人やドイツの祖先を持つ、チェコスロバキアではエリート(金融、商人、大学教授、著名作家等)とされるドイツ系が多く住んでいました。 (ズデーテンと国境を挟んで、ポーランドのシュレーズィエンにもズデーテンと同じようにドイツ系が多く住んでいるところでした。) 本来、英(チェンバレン)、仏(ダラディエ)はチェコスロバキアをドイツに割譲されることを反対し、守るべきでしたが、ヒットラーとムッソリーニが手を組んだことは、英仏にはたいへんな脅威でした。自分たちのところにとばっちりが来ない前に9月のミュンヘン会議でチェコスロバキアを除いたままズデーテンのドイツ編入を認めました。 それに対して、チェコスロバキアは猛反対しましたが、安保条約を結んでいた英仏に見捨てられてしまったのです。 英仏はこれをもって、ドイツの宥和政策としたのです。 しかし、最期の領土要求のはずであったズデーテン要求から半年もたたない内に、ヒットラーはチェコスロバキアを解体し、ベーメン、メーレンに保護領を設置しました。 参考:ベーメン(Boehmen)出身の作家にカフカがいます。Boehmen人はチェコスロバキア人ですが、ドイツ語を母国語のようにしていた民族でカフカは小説をドイツ語で書きました。
お礼
戦争を防ぐためにチェコを犠牲にしたのですか。それでも結局第二次世界大戦という大きな戦争になってしまったのですね。 ミュンヘン会議の意図が分かりました。ありがとうございました。
お礼
イギリスやフランスがそれほど影響力をもっていたということですね。ありがとうございました。