だいたいの作家は作品を制作する理由は単純に何かを創るのが
好きだからというところから出発していると思います。
また好きというより本来の自分が作品制作している自分で
そのほかの自分は借り物の人生を過ごしていると思う
極端な人もいます。
ではなぜ作品を人に見てもらうのかというところですが、
はじめた頃は人に見てもらうのが制作する理由だというのは
少数だと思うのですがある程度つくっているうちに
自分の作品は一体どのあたりの位置にいるのだろうかと
疑問に思うときが必ずやってくると思います。
それは作家として生活していこうと決めたひとでも、趣味で
続けているひとでも必ず一度は思う欲求だと思っています。
展示などという行動をとるかどうかは別としてです。
作品を制作するということは自分自身の分身を作るようなもの
です。私自身がいったいどのような受け止められ方をして
いるのかということを知りたいという欲求は誰しもが持つ
ごくありふれた欲求だと思います。ただ作家でない人は他人の
言葉や社会での地位や給与などで分かり易く評価されている
のとは違って、作家は自分の作品の評価や作品の値段などで
推し量る以外実感として持たないひとが少なからずいるのでは
ないかというのが私の推測です。一般人には少し分かりにくい
感覚かも知れませんが、根本は同じと思います。
作品制作をしたことがあまりない人には自己顕示欲として
映るかもしれませんがそういうことではなくただ自分自身
をあらわした作品が一般社会ではどのような受け止められ
方をするのだろうかというただそれだけの理由がほとんどで
作品によって生計を立てている人であっても次の作品を
制作する材料費や経費や生活費と少しのご褒美があれば良い
と思っている作家さんがほとんどであろうと思います。
技術を見せたいというのであれば、芸術家ではなく職人に
なればよいし、その世界で認められたいとだけ思う人は
作品制作だけに力を注ぎ込むような遠回りなことはしない
と思います。コミュニケーション能力をフルに使って
名前を売っていくほうがはるかに近道だからです。
ですが世の中には様々な人がいます。自分を一番良く見せる
術がたまたま作品を制作することで、作品を制作することに
さしたる関心を持たず自分の社会的地位を引き上げることに
情熱を持っている人も入るでしょう。
どちらも正しいし、どちらも作品を制作する理由としては
まっとうな理由ですね。
どんな作品を作ろうが自由ということは、どんな心境で
作品を制作しても自由であるということと同じことである
ということでしょうね。