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いじめのメカニズムとは?

昨今いじめのニュースが絶えません。 悲しい結果を多く聞きます。 色々な人や機関が取り組んで頑張っていますが難しい問題だと思います。 我が母校でもいじめで転校した生徒がいると聞きました。 いじめられる側が転校を余儀なくされ、 いじめる側が学校に残り、またいじめが起こったりと 当事者には納得のいかない事だと思います 人にメカニズムと言う言葉はあまり好きではありませんが そうも言ってられない気がしますので なりふり構わず書きました どうすればいじめを減らす事ができるか知りたいのです 頭でっかちになるのも嫌ですが、知らない事も嫌ですし いじめのメカニズムがわかれば、少しはなんとかなるのではないかと 考えたからです 例えばですが 虫歯のメカニズムはこうだそうですです 虫歯は、歯と、菌と、菌の食べ物で構成されいると言うものです どれかを無くせば虫歯は無くなります 歯をなくす>いきなり、あんまりですが 差し歯や、入れ歯にすれば確かに無くなります 菌を無くす>口を清潔に保ち菌を減らしたり 赤ちゃんに母親が口移しで食べ物を与え 虫歯菌を移してしまったりしない (生まれたばかりの赤ちゃんの口には虫歯菌はいません) 菌の食べ物を無くす>食後すぐ歯磨きを行って菌の食べ物を極力減らす だらだら食べをやめる(食べている時も菌は活動するので) もちろん、いじめは虫歯のように行かないと思いますが 何でもいい情報があれば知りたいのです よろしくお願いいたします

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  • eienn
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回答No.1

いじめを無くすには。 「教育」しかありません。 仁義。失われた心であります。 教育のシステム。これを変革せねばなりません。 無意味な詰め込み。役に立たない教養。上辺だけの連帯。価値の無い集団。 しかし、それには政府、国民、財政、なにもかもにエネルギーが足りません。 すなわち・・・ 現段階で、いじめを無くすことは不可能です。 2・2・6の法則、というのがあります。 集団において、負が2、正が2、両性が6に分かれるというものです。 負を排他しても、また新たに負の2が生まれる、という不可思議な法則です。 まぁ、これは蟻の世界での話ですから、人間に適用されるか分かりませんが、もしかしたら、生物全体に、見えざる法則が働いているやもしれませんね。 そして人の心の中にも、2・2・6、があるのかも知れません・・・フフフフフ・・・・

bokeroujin1
質問者

お礼

深い回答ありがとうございます。 色々考えさせられました。 フフフフフ 意味深ですね 2・2・6法則ははじめて聞きました なるほど! 2・8は知っていたのですが 確かに 以前の職場でみんなから嫌われる人がいたのですが その人が職場を去ったあと別の人が嫌われはじめました さらにその人が去ったあとまた別の人が さらにさらにその人が去ったあと 「もう会社には嫌われる人が居なくなった」 と言われてましたが こんどは、そこそこ有能な人が対象に! 226の法則でしょうか しかし理屈が解ってくれば改善策も生まれるのでは無いでしょうか 例えば 誰かが、いじめられ役をかって出るとか 雇うとか でも学校では難しいですね スペシャルありがとうございました

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  • due
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回答No.8

メカニズムって言うけど、いじめというのは人間本来の本能というものが悪い方向に働いてしまったというのがいじめです 人間は全員をいいようにしようとする ただ自然はそうはしません 自然淘汰の原則とでも言いましょうか。 環境に適応できないもの、つまり ・頭がズバ抜けていい ・みんなと違う行動をとる ものは自然に淘汰されていく。 この過程を人間は自然淘汰とは呼べなかった だからこそあえてそれ自体がいけないことであるかのように印象を操作するため「いじめ」という言葉をつけた これがいじめの本質です だからいじめはなくなりません なくそうとする方が無理です だって、人間じゃなくなれといっているんだから・

bokeroujin1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 もう哲学みたいですね。 ありがとうございました。

  • eienn
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回答No.7

多くを語るのは野暮ですが、語らせていただきましょう・・・ 2・2・6の法則改め、2・6・2の法則。 その法則は、「集団」における法則とされてきました。 しかし、もしそれが「心」にも適用されるならば・・・? 今、あなたが、「いじめを無くしたい」と思うのは、すなわち、「2割の良心」。 ふふふ、あなたの「心」の中には、あとの「2割の悪意」と「8割の両性因子」が残っているのです。ふふふ・・・ 私は、実際に人をいじめたことがあります。 そしていじめには介入しなかったものの、傍観したこともあります。 それを楽しんだこともあり、また、心を痛めたこともあります。 人の心とは、まさに2・6・2なのだと、思わされる今日この頃であります。ふふふふふ 私は、なんらかの、「変革」がなき限りは、人は、この法則から逃れられず、戦争、いじめを繰り返すものと思います。ふふふふふふ 私たちは、この法則を超えられるでしょうかね。ふふふふふふふ・・・・・

bokeroujin1
質問者

お礼

きゃー(>_<) 回答ありがとうございます。 そんな法則があったのですね。 世界から戦争がなくならないのは、そのせい? ありがとうございます。

回答No.6

No.2です。 >問題はどうすればみんな相手の個性を尊重する様になるかですね 個性を尊重するようにするのが理想的ですが,現実には難しいですね。 近頃は"父性"が欠け,"母性"主体で育てている家庭が凄く多いため,相手の個性を尊重するような人間にはなかなか育たないでしょう。学校教育では無理です。 # 父性・母性と,男性・女性とはまったく異なるものなので注意してください。 欧米では(かつての日本も),子供は動物と同じだと考えます。別に虐待しているのではなく,親のしつけによってまともな人間へと育っていくのです。

bokeroujin1
質問者

お礼

再び回答ありがとうございます。 どうすればいいんでしょうかね(>_<) 回答ありがとうございます。

回答No.5

いじめをなくす方法として私の考えを、2つの視点で述べたいと思います。 まず、生徒の視点で。 友人を持つための秘訣は、自分が相手にとって役に立つ人間であると示すことです。相手に利益があれば友人でいてくれます。逆に見れば、相手にとって利益でも不利益でもない状態であれば、まして不利益な存在であればいじめにあう可能性がでてきます。 ただし、ここで言う「利益」とは単純なものではなく、話が合うとか、なんとなく落ち着くとか、母性本能が喚起されるとか、そのときの相手がどう思うかによって様々です。周囲の様子をしっかり考え、相手の気持ちを考えた行動をすることができればいじめにあう確率は下がるでしょう。基本的に聞き上手になることを目指すのがいいかと思います。 次に、集団を束ねる立場の人間の視点で。 答えは簡単。集団の外に敵を作ることです。自分の集団の各構成員は、集団に帰属している意識を持つようになり、自分の不手際が全体の不利益になると理解できれば自分なりに頑張れるようになります。また、全体の評価が個々人の成績の平均値ともなれば、できの悪い構成員も自分なりに頑張ることで「前回よりも足を引っ張らなかった」と評価されますし、できの良い構成員が平均点をとってしまうと「思ったほど平均点を引き上げてくれなかった」という評価をされてしまいます。 このように、集団が一致団結しなければならない状況をつくると、集団内部には様々な利点が生まれます。いじめが起こる可能性はずっと減少します。 ただし、集団が得る利益はあくまで集団全体に均等に配分される必要があります。でないと、集団内部で利益を得る者と得られない者が衝突するでしょう。その点にご注意ください。 ただし、その集団の外にいる人間に対していじめを行う可能性はありますので、その点は解決されません。むしろ、集団内の結束が強ければ強いほど排他的な集団になりやすいので、外部に対して必要以上に攻撃的になることも考えられます。 学校に当てはめて見ると、 担任は隣のクラスを敵だと言って競わせ、 学年主任は卒業生の成績を見せた上で卒業生が敵だと言って競わせ、 校長は隣の学校を敵だといって競わせる。 こうやって攻撃性をかわしていくといいのかもしれません。(隣の高校の生徒と抗争?そこまでは責任もてません!)

bokeroujin1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、会社でも、悪役がいると、他の人がまとまりやすいですね。 社長であったり、上司であったり。 なるほど、ありがとうございます。(^^)

noname#55133
noname#55133
回答No.4

私なりの考えですが、生と死を見せつけられる状態にある環境で生活している所ほど、いじめが少ないように思えます。 アフリカのサバンナで草食動物の平和とは、肉食動物に追われ、群れの誰かが犠牲になり、食べられているときが一番の平和であると考えます。その状態が危険が去った状態だからです。 人間は文明というものを手に入れ、天敵になる動物から隔離されたことによって「安全」は手に入れましたが、心の中に見えない恐怖を抱えています。この正体の見えない恐怖から逃れるためには、誰か一人が犠牲になる必要があるのです。 一人の子がいじめられているとき、周りにいる子達の表情は、楽しんでいるというよりは、安堵の表情に近いのではないでしょうか。 もし貴方が真っ暗な部屋に入れられたとします。そこには他の人も数人いて、床に穴があいていることを知らされます。 動けますか? でも動き回らなくてはなりません。そんな時誰かの悲鳴が聞こえたらどうでしょう。もう自分が落ちる心配がないと安らかな気持ちになれるのではないでしょうか。 戦争や貧困にあえいでいる地域では、いじめなどないように感じます。 平和であることが、かえって人の心を不安にさせるとは皮肉なものです。

bokeroujin1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人が落ちる事によって、 自分が上がる気がするのですね。 なるほど(>_<) ありがとうございます。

  • trnc
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回答No.3

いじめは 「いじめられる側」と「いじめる側」 「いじめっ子の仲間」「傍観者」「無関心者」そして「教師」 という感じで、同心円上に考えるとわかりやすいものだと教わりました(円の中心はいじめられる子ですね)。 いじめられっ子は、助けを求めたくとも「いじめっ子」とその「仲間」が、その外部への助けを遮断してしまいます。教師は「いじめを発見して然り」という意見が圧倒的だと思いますが、同心円の外部(=教室を考えると分かり易いかも。教師はクラス全体の監視者になります)から全体を見渡している分全体を把握しやすい位置に存在しますが、一方で内部(傍観者や無関心者)からの情報伝達が無いと、発見が遅れてしまう危険もあります(教師なんだから普通クラスの異変に気が付かないか!?というのももちろんですが…) 最終的には教師の責任になる訳ですが、そうなる前に、同じクラスの仲間として児童・生徒らにも仲間を助ける意識を持たせることで、より迅速にいじめへの対応を行えるのもまた事実です。 小さい時から「いじめは人間として絶対に許されない卑怯で恥ずべき最低な行為」という教えを徹底すればもしや…とは思います。。そこを上手く児童・生徒の心に根付かせられれば良いのですが。

bokeroujin1
質問者

お礼

分かりやすい面白い解説ありがとうございます 教師の責任も大きいですね 教師の手が回らない、そちらに時間やエネルギーを使うと 通常の実務が出来なくなるとかの問題もあるのでしょうか 学校がいじめに対応できる余裕みたいなものも必要なのでしょうか 「卑怯」の言葉になるほどと思いました 時代劇(普通の)や西部劇(正当派)では 弱い者をいじめるとか、後ろから撃つとかは 卑怯な行為、恥ずべき行為として表現されていて 「卑怯者!」とか言われる事自体に 抑止力みたいな者があったように思います 今の人は、 「卑怯者!」とか言われても あまり効果がない、意識がない人が 多いような気がします。 (あくまでも個人の主観ですが) あと「責任」を感じない人も増えたと 言う人もいます。 (統計をとった訳ではないでしょうが) 児童生徒はまだこれからの教育でどんどん変わると思いますので 良い方向に向かえばと思います 回答ありがとうございました

回答No.2

どうすればいじめが無くなくかということであれば, 他人の個性を尊重する>相手の個性を尊重すれば気に入らないといっていじめることがなくなる というところでしょうか。

bokeroujin1
質問者

お礼

回答ありがとうございます なるほど! 問題はどうすればみんな相手の個性を尊重する様になるかですね

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