No.2でお答えした者です
岩手県の田舎の代用教員だった石川啄木とは比較出来ません
代用教員とは教員資格の無い人、たとえば嫁入り前の親掛かりの娘さんなどが頼まれて低学年を教える事で月給8円なら娘さんの小遣いにはなったでしょうがそれではとても一家5人を養って行けなかったでしょう
啄木の場合は足らない分は売り食いと借金でした
漱石のは官立学校の教師として給料の1割の製艦費(日露戦争に備えて軍艦を作る為)を差し引かれました
それ以外に父親に仕送りし学生時代の学生ローンを払い続け、又自分の学問の為に高価な原書をどんどん買い込んだので毎月ピーピーで夫人が質屋通いしたそうです
生活に困窮した親戚たちと夫人の親への補助や"出世"した漱石に昔の養父や養母がたかりに来る有様は小説「道草」に描かれています
又これも大事な事ですが当時の日本は身分社会で、大学の先生は必ず大学教授に相応しい立派な借家に住んでお手伝いさんたちを雇い奥さんや子供達にそれらしい服装をさせるなど外見は余裕のある暮らしを強いられたのです
漱石の生活にやっと余裕が出来たのは朝日新聞に入社してからと言われます、給料と小説からの収入が増えたからです、でも今度はお弟子さんたちへの援助も増えたので贅沢は出来なかったでしょう、当時は東大を出ていてもなかなか仕事が見つからなかった時代です
漱石が亡くなってから未亡人は漱石全集の売り上げの莫大な収入を受け取りましたがインチキ話に投資して財産をすっかり失くしてしまいました
でも未亡人は別にくよくよせず平気で、お金は無くとも夏目漱石の未亡人としての誇りを持って90歳代まで長命しました
お礼
ありがとうございます。 さっそく「道草」読んでみます。