No.5,7です。
何度もすいません。
自分で書いた文の箇所がなんかひっかかるなぁと思っていましたが、思い出しました。
レビ記の箇所ですが、
イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。>
間違いでした。
その句はユダヤ人の祈りの言葉として有名だそうですが、(Schema Yisrael Adonai Elohemu Adonai Echod),
エジプト語のtは転訛されエブライ語のdとなり、同じくeはoとなる。
そうすると、、
誤: <あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。>
↓
正: <聞けイスラエルの子らよ 我らが神アテンは唯一なる神なり>
だそうです。
イエスは「律法に『聞けイスラエルの子らよ 我らが神アテンは唯一なる神なり』」と書いてあるではないか。イスラエルの子らも聖なるもにに参入しなさいと神は命じたじゃないか。聖なる者になることがどうしていけないことなのだ」と言ったことになる。
翻訳過程で<神々>と直訳してしまうと意味が意味がわからなくなる。
例えばマタイ書も直訳されているので、本来に意味を伝えていない。
神々と約してしまった理由を考察すると、エル 単数・男性系。
意味は 主 (ご主人様)という意味。
バビロンの人たちは神の名を直接言うことを避けたので、神をあらわず代名詞として エル(わが主)と神のことを呼んでいた。
確かエル(イル)の複数形がエロヒムだったと思います。
バビロンでは神々がいたので彼らの総称をエロヒムと呼んでいたのかもしれません。
創世記では<エロヒム>が大地を作ったと書いてあります。
直訳されたものには「<神々>が大地を作った」となっています。
それで、「神は複数いるのか」ってなったわけです。
エロヒムは神の名前じゃあない。
代名詞。
神の名前は偉い人が7年に一度だけ選ばれた後継者に伝承していったので、普通の人というか上層階級の人も神の名を知ることはできなかったのだそうです。
当然 福音書作家も知りませんので、「アッバ エルエル」って書くしかなかったんです。
神の真の名を適切な場所、日時に唱えないと神は出現しないのだそうです。
神は不可知なのでこちらかの都合でみだりに呼びだすことはできないとされ、神が定めた時にのみ呼び出すことが許され、その方法はトップの人しか知らなかった。
それが大贖罪の日。
定められた人が一語一語マントラを唱えだすわけです。
多数者(12人)の見守る中で。
というわけで、神が決めた儀式をちゃんとやっておらず、神を呼び出して贖罪していないので、ユダヤ教はキリスト教がイエスによって贖罪をしたということを認めていないんですね。
やり方教わればよかったんでしょうけど。。。。知っている人がいたらやっていたでしょね。
お礼
ありがとうございます! あれ、ユダヤ教も一神教ですよね。神々の間っておかしくないですか?