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これは旧約聖書のどの書から?

...イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。」 これはヨハネ10章からです。これは旧約聖書のどこにそのような記述があるのですか?

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  • kigurumi
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回答No.7

No.5です。 もうちょっと考察してみました。 律法は、、『創世記』、『出エジプト記』、『レビ記』、『民数記』、『申命記』ですよね。 時代によって律法の範囲は異なるとなると、もう大混乱です。 預言以外の人が言ったことまで律法としてしまっては、もう預言の意味もなくなる。 士師記などは神の使いが女のところにやってきて、「子供を産んだことのないお前はやがてイスラエルの民を救うであろう」と言ったと予言しており、その通りに自己犠牲を払いイスラエルの子らを救出した救世主が登場しますが、これは法律じゃなく、、、、、なんでしょ。 神の使いによって言葉を授かったので預言でしょうか。 これは法律じゃない。 <創世記> 蛇が智恵の木の実を食べると「あなたがたは神々のようになるであろう」と言いました。 蛇を神としたら、言葉を授かったイヴも神の言葉をアダムに実行させたことになり、彼らは創造主となり、、、、確かに子供を創造したことになり、、、 うーん 神?。 ただ、今回のことには適用にならない。 <レビ記>(律法) 19章2節 「イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」 これは「なりなさい」とイスラエルの子らを導くようにレビ人は仕事をおおせつかったというくだり。 他は、、、探してみたけど律法の中にそれとマッチするのが私では見つけることはできませんでした。 イスラエルの子とは、イスラエル(元の名前ヤコブ)の子供たちを族長とするわけで12支族になったわけですが、彼らの子孫がイスラエルの子らですよね。 彼らが他の神を崇拝していたときも、自分達の神に従ったレビだけが12支族とは聖別され、彼らだけが祭祀職につくことになり、その中でアロンが抜きん出ていたので、アロン家がレビ人の指導者の大祭司の家系になった と。 後のほかの家系も大祭司になりますが。 ほんで、律法学者ができた経緯はわかりませんが、やはりレビ人で祭祀職とは違い、律法を研究する学者たちだったと思います。 <ラビ> と呼ばれていた人たちだと思います。 今でもそういう立場の人はラビと呼ばれていますし。 で、イエスはラビと呼ばれていたってことはレビ人で律法学者でもあったわけですよね。 何故12支族のヨセフの子のイエスがラビの地位につけたか。 マリアが怪しい。 彼女の従姉妹のエリザベートはアロン家の血筋。 誰だったか忘れましたが、(洗礼者ヨハネのパパだったかな?)もアロン家の嫁をもらったことで、祭祀になったといういきさつがあるので、アロン家の嫁をよらった家系は、宗教職につけるってわけです。 (母親がユダヤ人だとその子供はユダヤ人って現代のイスラエルの法律ではなっていますよね。) で、ヨセフはイエスの本当のパパじゃなく法律上の父で、本当のパパはアロン家の男であれば、アロン家男とアロン家の女であるマリアの産んだ子供はアロン家。 大祭司になる資格がある というわけです。 (ユダヤ教の祭祀職は21世紀の現代に至るまで世襲制。神の命令をなんと21世紀まで守っている珍しい民族。) で、イエスはイスラエルの子だ と自分の事を言ったのではなく、神の子らであると言ったとすれば、はい、上記のレビ記に曖昧ではありますが、イスラエルの子らも神の子らとなるようにお前達が導けとありますので、そのお前達は少なくとも神の御使いくらいの聖別された存在なわけです。 ちなみに彼らは油を塗られた者(メシア)。 イエスがラビと呼ばれたことに関して、聖書では誰からも文句言われていませんので、彼がその系統であると律法学者たちは知っていたってことですよね。 しかし、自分達は神の子(神の御使い)であるということを失念してしまっていた。 「お前達は神々である(神の御使いである)って言われたじゃないか。忘れたか!」 強烈なパンチです。笑 従って神の子でもないのに自称神の子といったから殺すことにしたってのは、正しい処刑の理由じゃない。 政権争い。 ヘロデ大王はイスラエルの子じゃない。 レンズ豆と引き換えに長子権を弟にあげてしまった人の子孫がヘロデ。 イスラエルの子じゃない人がイスラエルの大王になって、神殿の祭祀たちやその神殿にいたサンヘドリン(議員)たちに自分の娘を嫁がせることで、どんどん自分の血を混ぜていって、それに従わなかった祭司たちを処刑していた。 処刑を逃れるため、祭祀の一部は神殿を離れて、クムランに拠点を移した。 そこから出てきたのが、恐らく洗礼者ヨハネとイエス。 そうなると大王やエルサレムの祭司たちは自分達の地位が危うくなるので、まずヨハネを殺し、次にイエスを殺した。 そしてヘロデオンのパウロを工作員として潜入させその後を監視させた。 こういう権力争いのドロドロとした世界が、その当時あったってことじゃないかと。 イエスにしてみれば、ローマと仲のいいヘロデ家が政治も宗教も牛耳っていて、宗教的に退廃してしまったことに憤りを感じたでしょうし、律法を湾曲して解釈する律法学者に、律法の本来のあり方を示したくもなったでしょう。 実際イエスがいたのか、思想家がヒーローを登場させ自分の政治や宗教に対する批判を文章にして抗議したのかわかりませんが。 ヨハネ書は、、、、これはヘレニズム文化がかなり入り込んでおり、ユダヤの本流から離れた思想で、ギリシャ文化的な思想。 ヨハネ書からその当時のユダヤ(エルサレム)の思想を知ろうとしても無理だと思います。 祖先がディアスポラしており、生まれも育ちもギリシャでギリシャ文化で育ったユダヤ人からすれば、ヨハネの福音書は理解可能というか自分の育った文化ですから親近感が沸くでしょうけど、もうそうなるとユダヤ人じゃなく、生粋のギリシャ人。 聖なる人が自分達の身代わりの神に贖罪し復活するという物語になってしまいます。 確かに贖罪をする人はユダヤ教にいましたけど、大祭司で、神の真の名を知っている人しかできなかったんです。 定めれた日時に多数者(大勢の人という意味じゃなく、選べれし神の御使いとされた12人)の見守る中で神の神の名(マントラ)を唱えることで、神を出現させ(神の御前の立つってわけです)、贖罪を行っていた。 もし神が許してくれなければ、出現した神に大祭司は殺されていた。 律法に贖罪の仕方は載っていますし、大贖罪の仕方も載っているんじゃないかと。 福音書作家は12人じゃなかったので、その秘儀を知らなかったというか律法読んでいないというか、律法を否定したからそういう話になったんじゃないかと。 律法を否定 つまり 神を否定したってことです。 元来の神を否定し、自分達で神を新たに作ってそれを拝んでいるのがキリスト教というわけです。 イエスはキリスト教とは違うようです。 イエスはあくまで神の授けた律法を第一に考え、ヘロデオン(ギリシャ風になってしまった人々。)たちの律法の湾曲解釈を否定して、律法の存在価値を高めようとしたようにマタイでは思えます。 マタイの成立は恐らくエルサレム地域で、ヨハネはギリシャ方面じゃないかと。 イエスの物語を書いた本来の人の思想を理解をするのが目的なら、ヨハネ書は参考にしてはならないと思います。 その思想家の神を否定し、新しい神を作り出しそれを偶像崇拝したい場合は、ヨハネの福音書はとても貴重なものだと思います。 ただし、奇跡物語のオンパレードなので、意思を強く持てばハリーポッターになれるとがんばるようなものです。 オウム信者と同じです。

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  • kigurumi
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回答No.8

No.5,7です。 何度もすいません。 自分で書いた文の箇所がなんかひっかかるなぁと思っていましたが、思い出しました。 レビ記の箇所ですが、 イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。> 間違いでした。 その句はユダヤ人の祈りの言葉として有名だそうですが、(Schema Yisrael Adonai Elohemu Adonai Echod), エジプト語のtは転訛されエブライ語のdとなり、同じくeはoとなる。 そうすると、、  誤: <あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。>       ↓ 正: <聞けイスラエルの子らよ 我らが神アテンは唯一なる神なり> だそうです。 イエスは「律法に『聞けイスラエルの子らよ 我らが神アテンは唯一なる神なり』」と書いてあるではないか。イスラエルの子らも聖なるもにに参入しなさいと神は命じたじゃないか。聖なる者になることがどうしていけないことなのだ」と言ったことになる。 翻訳過程で<神々>と直訳してしまうと意味が意味がわからなくなる。 例えばマタイ書も直訳されているので、本来に意味を伝えていない。 神々と約してしまった理由を考察すると、エル 単数・男性系。 意味は 主 (ご主人様)という意味。 バビロンの人たちは神の名を直接言うことを避けたので、神をあらわず代名詞として エル(わが主)と神のことを呼んでいた。 確かエル(イル)の複数形がエロヒムだったと思います。 バビロンでは神々がいたので彼らの総称をエロヒムと呼んでいたのかもしれません。 創世記では<エロヒム>が大地を作ったと書いてあります。 直訳されたものには「<神々>が大地を作った」となっています。 それで、「神は複数いるのか」ってなったわけです。 エロヒムは神の名前じゃあない。 代名詞。 神の名前は偉い人が7年に一度だけ選ばれた後継者に伝承していったので、普通の人というか上層階級の人も神の名を知ることはできなかったのだそうです。 当然 福音書作家も知りませんので、「アッバ エルエル」って書くしかなかったんです。 神の真の名を適切な場所、日時に唱えないと神は出現しないのだそうです。 神は不可知なのでこちらかの都合でみだりに呼びだすことはできないとされ、神が定めた時にのみ呼び出すことが許され、その方法はトップの人しか知らなかった。 それが大贖罪の日。 定められた人が一語一語マントラを唱えだすわけです。 多数者(12人)の見守る中で。 というわけで、神が決めた儀式をちゃんとやっておらず、神を呼び出して贖罪していないので、ユダヤ教はキリスト教がイエスによって贖罪をしたということを認めていないんですね。 やり方教わればよかったんでしょうけど。。。。知っている人がいたらやっていたでしょね。

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  • at9_am
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回答No.6

ヨハネ 10:34 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、あなたがたは神である。』と書いてはありませんか。 詩編 82: 6 わたしは言った。「おまえたちは神々だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ。 それから、自信はありませんが、 > 神々の間っておかしくないですか? ここで出てくる神々の間は今でいえば裁判所のことだと理解しています。

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  • kigurumi
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回答No.5

「イスラエルの子ら」となっていたものが「神々の子ら」と写本によっては書かれていた時期もあり、どっちががいいのかというと、イスラエルの子らが適切だそうです。 なぜなら神々の子らとしてしまうと、多神教的で複数神がいてその中の神ってなってしまう危険をはらむから だそうです。 従って「私は言う、あなたがたはイスラエルの子ではないか」 じゃないかと。

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  • eldolado
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回答No.4

>あれ、ユダヤ教も一神教ですよね。神々の間っておかしくないですか? 詩篇というのはご存知のようにダビデ王の作だとされていますが、 この時期のユダヤ教はあまり厳格な一神教ではなかったと考えられています。 ダビデの息子ソロモンが異教崇拝を行ったことは確か旧約聖書でも 言及されていたんじゃなかったかと思います。 現在のような他の神を認めず、ヤハウェを唯一の神と崇拝する唯一神教となったのは 大体、北王国滅亡~バビロン捕囚以後と考えられてます。 何がいいたいかというと、この文章が書かれた時期にはあまり神(原文だとエロヒム?) という単語に対する扱いが神経質ではなかったので、このような表現になったのでは ないかと思います。

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  • maremare
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回答No.3

聖書の中で「神々」と複数形で表現されているのは、 ユダヤ教・キリスト教における唯一の神ではなく、 人間が勝手に作り出した「偶像礼拝」のことを指します。 現代の日本の新興宗教のようなもの、とたとえてもいいでしょう。 旧約聖書の創世記の時代から、試練によって鍛えられるよう あえて困難を与えたり教えを伝える神に人間がそむき、 神に従わなくても欲望の限りを尽くした生活を求めるために、 想像上の生き物や造形物、神の創造物であるはずの動物を 人間が勝手に「神」に仕立てていたという歴史がいくつも書かれています。 モーセが紅海を渡ったあと、シナイ山で神から「十戒」を授かっている間、 荒野での苦しい生活に耐え切れなくなった人々が 本来の神を信用できなくなり、金で子牛の鋳物を作って神とあがめ、 モーセと神を激怒させてイスラエルの地に入れなくなった、という 話はよく読まれますね。 本来「律法」は、神と人との救いの約束を前提とした神の言葉が 書かれているものであり、神の言葉を司る者は人々のために 尽くす者として旧約聖書では描かれていました。 ところが、新約聖書のイエス・キリストの時代、 ユダヤの律法学者は律法をタテに自分たちを権威づけ、 社会階層の低い者、病気の者(病んでいる者は全て先祖の行いが 悪いためにそうなったという迷信があった)などの社会的弱者を 徹底的に見下し、弱者を助けることで人々から支持を集めるイエスを 自分たちの権威を傷つける者として忌み嫌っていました。 ところが、律法学者がイエスに討論を挑むたびに律法の本来の意義を 逆に指摘され、権威主義を激しく非難されて反論できなかったという エピソードが、福音書にはいくつも載っています。 「神々」というのは、まさに自分たちが神であるかのように振舞う 律法学者のことを「偶像」として、イエスが激しく非難するために使った比喩ですね。 自分たちの矛盾をイエスから突かれ非難され続けたことで、 イエスへの恐怖心と憎悪が律法学者の間でますます強くなり、 それがローマ帝国の提督による十字架での処刑へとつながっていきます。

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noname#60992
noname#60992
回答No.2

これは、イエスキリストが自分を神の子であるといったことに対して、 当時のユダヤ人が唯一絶対の神への冒涜であると感じて石を投げようと した(裁こうとした)ことに対する、イエスの反論です。 詩篇で「神々」と言われているのは、神の民イスラエルのなかで 裁判官を務めていた人々と考えられています。 要するに、ダビデ (詩篇の作者)が人を神と言ったので、イエスが自分を神の子と呼ぶ ことは神への冒涜には値しないとう理屈を述べているそうです。

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noname#60992
noname#60992
回答No.1

詩編82:1「神は神聖な会議の中に立ち神々の間で裁きを行われる」 であったと思います。

WiaTr
質問者

お礼

ありがとうございます! あれ、ユダヤ教も一神教ですよね。神々の間っておかしくないですか?

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