- ベストアンサー
~をする、~する の「を」について
主に政治家の発言を聞いていて気になるのですが、「検討をする」 「議論をする」というような言葉遣いが目立ちます。これは「検討する」「議論する」でいいのではないでしょうか。あるはどちらでもいいのでしょうか。実際の発言に「を」が入っていてもニュースの字幕では「を」は省かれます。字数節約のためだけでしょうか。 一方、「学生する」「大家する」などには違和感を覚えます。 (1)「私は学生しています」すごく変 (2)「私は学生をしています」少し変あるいは普通? (3)「私は学生です」ごく普通 みなさんのご意見をお聞かせください。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本語には、動作性の漢語の名詞に「する」を付けて動詞化した語が多数あります。動詞も7割以上がこの形だという説もあるようです。 もともと和語の動詞は少ないので、語彙を拡大するのに便利に使われているのでしょう。 一方、動作性のない名詞に「する」を付けて動詞化した語があります。 本来ならあくまで名詞として「○○をする」「○○を行う」と表現するか、どうしても動詞化したい場合は「○○化する」などの形を取るべきところを、「○○する」の形で新しい動詞を作り出したものです。 戦時中に当時の文部大臣が『科学する心』と題した本を出したのが、「○○する」の最初とされています。 このことについて、著名な作家(誰だか失念)が、「近ごろそのような言い方が流行っているが、自分は嫌いだから使わない」と述べたという話を読んだ覚えがあります。 今では「科学する」「哲学する」などはすっかり定着したといえるでしょうが、この伝で無闇に「物名詞+する」を乱造することには、今でも反対する人が少なくないと思います。 そのような意識から、逆に動作性の名詞の「○○する」を不適当と考えて、無意識に「○○をする」の形に過剰修正してしまうケースもありえるのではないでしょうか。 最近では、安倍前首相が「○○をする」「○○をして」という表現を乱発することで知られていました。 たとえば、去る9月12日に行われた辞意表明の記者会見では、以下のように何度も登場してきます。1月4日の年頭記者会見では、もっと多くのサンプルが採集できます。(“ ”の記号は原文には存在せず) “決意をいたし”ました “継続をして”いかなければ “努力をし”なければ “努力をし”なければ “決断をした”ばかりで “見直しをして”いくという “挑戦をして”まいりました “実現をしない”という状況 “約束をした”ことができない “決意をした”わけで “期待をして”います 安倍総理の場合は「記者会見」にこの表現が多く、「談話」の内容にはほとんど見当たりません。
お礼
たいへんありがとうございます。回答者のご意見をふまえて私なりに結論づけしますと、 動作性のある漢語+する は現在では一般化している。「を」が入る のは間違いではないが、なくてよいもの。 ただ、発言するときは「を」があると、ほんの一瞬ながら息がつける、間が取れる、(だから少し言い易いのかな)という気がします。 文字にするときは「を」はないほうがいい。 一方、「会社員する」「主婦する」「大家する」などはなじめません。