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三身常住は 三位一体とどう違うでしょう
絶対(絶対者)と人間とのかかわりとして 神の受肉とどう違うのでしょうか。おしえてください。 じつは 一度質問しています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3130694.html 法身は 絶対と捉えていいのでしょうか。生身の人間(つまりゴータマ・シッダルタ)が出現したというからには さらにつまりは応身としてのブッダが歴史的事実だというからには 超経験の絶対者が この経験世界に姿を現わしたということでいいのでしょうか。 あるいは あくまで 時間過程を伴なった悟りの結果 絶対者としての実現が成ったというのでしょうか。 それでも――つまり この応身としては 無常の存在であるが それでも―― 報身としては この地上の経験世界(つまりわれわれ人間)と現実においてかかわりを持つ永遠の絶対者であるという説明になるのでしょうか。 三位一体については 神の受肉という点で 対照させていただけばよいかと思うのですが。
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- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 ちょこっと、余談。 No.20さんの問いへ。 アクセス数と人気の相関。これは必ずしも一致しないのはお書きの通りでしょう。アクセス者をシステムがいかに認証しているか?同日に同じIPアドレスからのアクセスがあった場合カウント(何度かアクセスがあっても)を1とするかもしくはアクセス回数分だけカウントするかで随分と違ってきますね。ここのシステムがどういう形態をとっているのかはわかりませんが、インターネットをご利用の場合カウンターもしくはアクセス回数表示の見方なりは、利用者も注意を払うことは大事です。 余談の余談ですが、京都の知恩院の中に大きな釣り鐘があります。釣り鐘の上部に丸いボコボコとした突起が百個以上はあります。釣り鐘を前にして「いくつあると思う?」と聞くと大抵の人はみな「ひゃくやっつ」と、よく数えもしないうちから答えます。「なぜひゃくやっつだと思うのか?」と、聞けば「煩悩を祓うのに鐘をひゃくやっつつくから」と。ここの釣り鐘にある丸いボコボコした突起はひゃくやっつではなしにひゃくよんじゅうし。縦よっつ横ここのつ(4×9=36)の固まりがよっつ(36×4=144)。京都にお出かけの際には一度、知恩院の中の大きな釣り鐘を見て確認されたし。(必見!)
最初に重々断っておきますが当方は仏教であろうがキリスト教であろうが一切詳しくないし特別の関心もないです。だから反発するだけの根拠もないし、どちらであろうと嫌いでもない。そのうえで。 クリスチャンを名乗っておられるようですが、そのわりに仏教が気になって気になってしょうがないという感じの質問を繰り返されていますね。何のために比較検討されたいのか知りませんが比較せずにいられないのは信徒であることの自信のなさゆえですか? このご質問の内容自体全体ひっくるめて信じる。それが信じるということなんじゃないんですか。「信じること」において比較検討が何の意味があるんですかね。そういうことを、いったい「信者」という者はするんだろうか? ここもなんだか見苦しいやりとりを延々やっちまってるなと思いながら >質問に即した内容が薄いので おどろき。 どうやら質問者自身の自覚はあるようなのに何のために続けているのか理解に苦しむ。チャットやってるつもりですか? なお同一人物がケータイから同じ箇所(質問)に一晩中それこそ憑かれたように何十回とアクセスすることでアクセス順位が跳ね上がるという現象はあるでしょう。必ずしも「人気」とは関係ないんじゃ? >もはや誰も知らないのだ かのじょの踊り終わるのを 知らんのは「かのじょの」踊り終わるときだけじゃなかろうが 「焼けた靴」を履いてる限り、踊りは死ぬまで続くんでしょうな。
お礼
声をかけてくださってありがとうございます。 アクセス順位の事情は そういう現象だったのでしょうか。 わかりませんでした。 もちろん きちんとしたご回答とそれへの返事もあります。 質問者から 回答者に対して 《チャット》は止めようと言えばいいんですね。その点 わかりました。 別のところで 触れたのですが 信仰の類型を把握したいという欲求もありました。ですが 何にも増して ブッディスムの内実は 知っておくに いいものがあります。古いことばで 精神の現象学というのでしょうか。なかなか わかってくると 視野が開けます。 こんなところで お応えできたでしょうか。もう少し様子を見てみます。
- littlekiss
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こんばんは、bragelonさん。 ぶらりと両手を下げた儘、圭さんがどこからか帰って来る。 「何処へ行つたね」 「一寸、町を歩いて来た」 「寺が一軒あつた」 「銀杏(いてふ)の樹(き)が一本、門前にあつた」 「夫(それ)から」 「銀杏(いてふ)の樹(き)から本堂(ほんどう)迄(まで)、一丁半(いっちょうはん)許(ばか)り、石(いし)が敷(し)き詰(つ)めてあつた。非常(ひじやう)に細長(ほそなが)い寺だつた」 「這入(はい)つ見(み)たかい」 「やめて来(き)た」 「其外(そのほか)に何(なに)もないかね」 「別段(べつだん)何(なに)もない。いつたい、寺(てら)と云(い)ふものは大概(たいがい)の村(むら)にはあるね、君(きみ)」 「さうさ、人間(にんげん)の死(し)ぬ所(ところ)には必(かなら)ずある筈(はず)ぢやないか」 「成程(なるほど)さうだね」と圭(けい)さん、首(くび)を捻(ひ)ねる。圭(けい)さんは時々(ときどき)妙(めう)な事(こと)に感心(かんしん)する。しばらくして、捻(ひ)ねつた首(くび)を眞直(まつすぐ)にして、圭(けい)さんがかう云(い)つた。 「夫(それ)から鍛冶屋(かぢや)の前(まへ)で、馬(うま)の沓(くつ)を替(か)へる所(ところ)を見(み)て来(き)たが實(じつ)に巧(たく)みなものだぬ」 「どうも寺丈(てらだけ)にしては、ちと、時間(じかん)が長過(ながすぎ)ると思(おも)つた。馬(うま)の沓(くつ)がそんなに珍(めづら)しいかい」 「珍(めづ)しくなくつても、見(み)たのさ。君(きみ)、あれに使(つか)ふ道具(どうぐ)が幾通(いくとほ)りあると思(おも)ふ」 「幾通(いくとほ)りあるかな」 「あてて見給(みたま)へ」 『夏目漱石~二百十日~より』 (^O^)/ よっ!復帰ー☆ お礼文を読みました! ●気難しく 小難しく 一つ言ったら 百返してくるともだち ↑ (*^^*) うふぅ。。。 brageloneさん、おちゃめだね~♪←座布団一枚進呈☆ 「"オーダー"入りまぁーすぅー」(^O^)/ "起.承.転.結"←これ懐かしいです! ●『日本人は 死んでいるのでしょうか』 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3346636.html ●あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3385985.html ●三身常住は 三位一体とどう違うのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3417579.html get-up-and-go
お礼
2007・11・03日本経済新聞 朝刊 15面 (google等で検索しても この記事は まだ掲載されていない模様)。 電磁波吸収材3割軽く ペースメーカー・携帯向け 大阪府立大 ・・・微細な炭素の棒を螺旋状にしたカーボンナノコイルという素材を樹脂に埋め込み 電磁波吸収材を作った。コイルが電磁波を吸収する。吸収材に当てた電磁波を最大十万分の一に弱めるなど 鉄の酸化物を埋め込む既存品と同等の性能を持つ。 鉄の酸化物などを埋め込む従来品より約三割軽く・・・新技術が普及すれば ペースメーカー使用者でも問題なく携帯電話を使える。 *** Q:コイルが吸収した電磁波は どこへ行くの?
補足
漱石は 女性に対して――もしくは 憧れの女性をめぐって――猛烈な思いを その消え尽きぬ情念とともに 抱いていたと思われます。(つまり ブッダの哲学の問題でもあるのでしょう)。 その満たされぬ思いを しかも しっかりと見つめ 見つめ続け 見つめ切り 飼い慣らしてのように そのつづる文章には ほどよく現われるように 考えつづけていったのではないでしょうか。(《圭さん》の風景も 按配がいい)。 We live in different worlds, you and I. Try what means you will. We cannot meet, you and I. You live in your world and are happy; I in mine and am contended. Then let us understand better Not to interfere with each other's lot. We break an ox's horn by bending it; We are not meant to be broken like that ! ( April 1904 ) あるいは ここで なぞなぞです。《かのじょのおどり》とは 何のことでしょう? かのじょは なぜ 踊るのでしょう? Let her dance alone in white, Let her sing with roses red Alone in white, alone on the green, Alone with roses red and white. Let roses fall from her hand In flakes red and white, Let them fall around her As she goes dancing round and round. Let her white robe flaunt Now here, now there and everywhere, Whirling upon the velvety green As she goes dancing round and round. The moon and I will gaze on her As she goes dancing round and round, But no one else shall have a peep As she goes dancing round and round. ( December 8, 1903 ) 白い衣のかのじょがひとり踊るにまかせるがよい 赤いバラをかざしてかのじょが歌うにまかせるがよい ただし 白い服を着てひとりでだ 緑の大地に ひとり バラの赤と衣の白のなかで バラは手から捨てさせたがいい 赤と白のまだら模様 それらはかのじょから取り上げたがいい かのじょが踊りおわるまで 白い衣裳はひるがえすにまかせたがいい そこでも ここでも どこでもだ 緑のヴェルヴェットの上に練り歩かせるのだ かのじょの踊りおわるまで 月とわれが 見つめるだろう かのじょが踊りおわるまで もはや誰も知らないのだ かのじょの踊り終わるのを (私訳) (余計) 《 このカテゴリで人気のQ&A 》のランキング形式が変わりましたね。まるで この前にわたしが触れた話しを聞いて変更したみたい。 (余計ではないけれど) 絵文字が 今回はじめて 意味があると分かりました。ごめんなさい。m(_ _)m (ケータイ 持ってなぁーい)。
- littlekiss
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ANo.17 参考URL 文字が一部ぬけてましたので、追加訂正かけます。 http://help.goo.ne.jp/ と artricle/731/ の 間に "goo(ぐー)" を、補って↓ http://help.goo.ne.jp/goo/article/731/ 【EXCEED英和辞典凡例】 (^人^) すまん。 何分たいちょう不良なもので…そこは、よしなに。m(_ _)m たいちょうがもどるまで、しばし、これにてお寛ぎ下さいませ。 【ブツに関して】(冷凍.カイトウする前にお読みいただければ幸いです。) http://www.jsrae.or.jp/evalTest/eval_test.php http://www.jsrae.or.jp/ 【ヒスタミン濃度】 http://www6.ocn.ne.jp/~seiken/2007m9.html 詩を贈っていただいてばかりでは、気がひけます。 こちらも手元にある絵本からひとつお気に入りを。 『みんなともだち』ー1歳からの絵本ー みわ みやこ作 ともだち ともだちの ともだち けんかしている ともだち いたずらな ともだち なきむしの ともだち みんな ともだち みんな ともだち
お礼
気難しく 小難しく 一つ言ったら 百返してくるともだち
- littlekiss
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こんばんは、bragelonさん。 I've got a cold. (→o←)ゞ うぅ…ぅ "や.ら.れ.た … " ANo.16へいただいたお礼文。悩ましいですね。 乱暴なような…乱歩のような…ランボーの詩…ご馳です! ちょい酔いました。~フラフラ~。~(((゜д゜)))~ フレミング左手の法則 http://denkinyumon.web.fc2.com/huremingu.html カラ元気とばかりにこちらからも一節~♪ 『お願いD.J』より~ ~♪たまんないね 真夜中の しじまのところ~♪ ~♪色っぺえね その声に 身を寄せそうろ~♪ ~♪やみよによりそう心 D.J.oh?Yeah!!~♪ ~♪You got it? あたしゃ Groovy~♪ ~♪あなたも冗談 よろしゅうね~♪ (*´Д`)=з Please get me a glass of water. 右脇にくれないの傷跡(あと)ふたつですと?うーん。だとすると、仏さんは左利きか。脇に差すといえば…脇差し。で、傷跡ふたつとなれば、大小を腰に下げていた。で、右脇に跡なのだから自ずと左利きだと推察できようか。あかく跡が残るとは…よほどの力がかかったか、脇に差した大小が熱をもつかしなければこれほどまでに跡は残るまいに。仏さんに何があったというのだ。うーむ。 http://help.goo.ne.jp/article/731/ http://www.rwds.net/kuroita/english/kakobunshi.html
補足
littlekissさん こんばんは。 いけませんね。でも 文章の流れからは よくなっているような感触を受けました。もう少し養生してくださいね。 (ほんとを言えば わたくしも 少々熱っぽいと感じるときが 一・二度 ありました。首にタオルを巻いていました。少々熱っぽいというだけの症状です)。 ランボーの詩は じつは 自由訳(大幅に自由訳)ですので ちゃんとした訳と解説を 次のところで見てください。左側の目次を下のほうまでたどって 《初期詩編》という作品リストの中で《谷間に眠る人》をクリックすれば 出てきます。 http://rimbaud.kuniomonji.com/japonais.html 1870年7月に始まった普仏戦争で傷つき倒れた兵士のことのようです。傷跡をめぐる詳しい事情は 必ずしも 明らかではないようですが 詩の解説は詳しいです。 ところで このQ&Aは 週間の人気一位ですね。質問に即した内容が薄いので おどろき。 詩が気に入ってもらえたのなら 既出ですが ここに掲げてプレゼントしましょう。これも訳詩です。反省ものという内容ですが けっこう美しいです。《もっとも純粋なるもの》が出てきますが ブッダの法身と言ってもよいかもと こじつけてみましょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 星を散りばめたこんな時間に ひとりして そこで もし 風の音でないとすれば 泣いて いるのは だれかしら いまにも泣こうとしているわたしのこんなにそばで いったい だれが泣いているの 何か心の深い意図に対して憑かれたかのように わたしは わたしのこの手は そっと 目鼻をかすめて わたしの中から それは多分 わたしの弱さの中から ひとつぶのしずくがこぼれるのに 触れたように 思っている 〔わたしは〕わたしの運命をおもむろに超えて 《もっとも純粋なるもの》が 静寂のかなたから この傷ついた心を照らし出してくれることを 待っている 〔大波は〕大波のうねりは わたしの耳に〔は〕 咎めのうねりをささやいている 岩礁の喉のほうへと 欺かれた藻くずを ものを苦々しくも呑むことになったような 心を締め付ける嘆きをざわめかせ 送りやっている 髪を逆立て 凍ったような手をかざして おまえは 何をしているの あらわな胸の谷間を抜ける こんなに執拗な 風に吹かれた落ち葉が ざわめきつづけるのは なぜなの この未知の天空につながれて わたしは きらめいている 災厄を求めるわたしの渇きに 限りない天体は 輝やいている 全能の異邦人のような 星ぼし ・・・ あなたがたとただ独りわたしは ここにおります 寝つかれず床を離れ来て おののいています 暗礁も 驚きに咬まれたように 目をさましました でもそれは どんな苦悩のゆえなのでしょうか わたしのおかしたつみが わたしにおかされたどんなつみとともに 咎められるのでしょう それともわたしはただ 夢を見ているのでしょうか わたしは――部屋の明かりの金色が ビロード色の風に色褪せ―― こめかみを腕に抱き この魂の火花散る瞬間を待っていたのです それらのすべてですって? でも わたしも これらすべてを身に引き受けて ――わたしは この身のあるじなのですから―― おののきで 身をまるごとこわばらせ 血のめぐりも止めたかのように しかも 身のひろがりとつながりは わたしが見ていることを知っていますし そのわたしをわたしは知っています そのわたしは くねらせた身をながめながら こころの森のあることを知っています わたしは ここまで わたしを咬むあの蛇を追って来てしまったのかしら (ポール・ヴァレリ:『若いパルク La Jeune Parque 』冒頭) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
- littlekiss
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【字体】 一般的には、文字の形をいう。ただし、それを図形としての観点から見た場合には字形と呼ぶ。たとえば、個人が実際に書き写した文字の形についていう場合には、字形を問題にしているわけである。そして、その字形が実現されるもとになる。個人的.社会的な習慣として固定された枠に当たるものが字体である。言い換えれば、文字を書くということは字体に基づいて具体的な字形を実現させろとなる。その字体のうち、点画を省いたりしない正しい字と伝えられる漢字を「正字」(正体)といい、普通には中国の清朝の「康煕(こうき)字典」の字体を指す。正字に対して、世間に通用しているが点画が正しくない漢字を「俗字」(俗体)という。「脈」に対する「脉」、「恥」に対する「耻」の類がこれに当たる。また、点画などを省いたりした漢字を「略字」という。「聲」に対して「声」、「盡」に対する「尽」などである。正字以外の俗字.略字などを異体字という。昭和二十四年に「当用漢字字体表」が制定されたが、この中には従来の字体と変わるものがあってこれを俗に新字体と呼んでいる。この新字体には俗字.略字といわれているものがかなり採用されている。前例の「声」「尽」もそうである。これらに対してもとの字「聲」「盡」を旧字体という。
お礼
谷間に眠る者 (Le Dormeur du Val――Arthur Rimbaud ) 緑なす里の野にさわやかに水流れ 狂乱の銀の衣(きぬ)草々に飛び散らす いや高き山の端に綺羅やかに日は昇り 光線の泡の生(む)すこの狭き谷合いに 年若き兵士ひとり髪乱し口を開け 鮮やかな芥子菜(からしな)の群青に頂漬け 眠りゆく。陽光の雨注ぐさみどりの 床に臥し蒼ざめて草のなか雲ながめ 足元に菖蒲(あやめ)咲き眠りゆく。口元に 病める子の微笑みを微笑んで眠りゆく。 天地(あめつち)よ暖かく揺らせ彼凍えるを。 芳(かぐわ)しき花の香も鼻元に届き得ず 陽を浴びて眠りゆく。片腕は安らかな 胸の上。右脇にくれないの傷跡(あと)ふたつ。
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 ●これまで習慣づいた治し方で しっかり 養生してください。 ↑ …習慣づいた治し方って、もしや… (|||_|||) …絶句 風呂入って、飯くって… |(>_<、)| キャーッ! そこから先は、(((ぷるぷるぷる)))おそろしくって、おぞましくって、口にできますかいなぁ。曲がりなりにも、女の子。まだ、僅かばかりの恥じらいはありますわ。(*^^*) ぽっー。風邪は風邪でも今回はノドと鼻の風邪。胃腸はセーフ。お腹中はくだしてませんので!!←そこのとこ、誤解なきように。 量子の問題について読まれるのですか? うんじゃ、【質と量について】と、書いてあるのがあったのでこれはどじゃ? http://hp.vector.co.jp/authors/VA020725/71008.htm 社会問題あたりならば、冷蔵庫いやいや冷凍あたりのなにがしかをいじくりたいのですが…いかがでしょうか?
お礼
ええぇぇっっーーー? 女の子ですか? 子ではなく 女性の方? 男性で 四十代ってとこでしたかねぇ? と思っていましたよ。 まあ だからどうということにもならないでしょうが。 そういえば Mr littlekiss と書いたときがあったのに。 ここ三・四年は風邪を引かなくなりました。熱を出すときが 少しあったですが。 SARSでしたか 中国で流行したときがありましたね。そのときから 外から帰ったときには すぐに 手洗いとウガイを励行しています。これは 風邪の予防に効くと言います。手に感染した菌から引くのだとか。 引いてからは とにかくからだを暖かくしていることだと聞きます。喉もです。熱いお茶など。 《習慣づいた治し方って、もしや…》って 何のこっちゃ? 《飯くって・・・そこから先は》って 何のこっちゃいな? あっ ちなみに 《習慣づ〈け〉た治し方》って書いたのに。同じことか。 【質と量について】は これから読んでからにします。
補足
【質と量について】について これは くだらんですよ。 このような考え方は既に過去のもので、とても通用しない----と いう未来が来る事を望んでおります。 とこの記者じしんが言っているとおり。 《差異哲学》とは聞いたこともなかった。フーコーは読んでいないし 聞くところによると 監獄制度の不備を突いて もっと人間的な中味に変えさせたとのことだが ドゥルーズとガタリが いけません。『千のプラトー』は その前のやはり大部の共著――名前も忘れました――が 紙の無駄使いであると分かったときから 読む気が起こるわけがありません。やたら文字をつらねただけの文章です。これを この差異哲学氏が取り上げている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「人間のあらゆる運動は、およそ最も暴力的なものでさえ、 もろもろの翻訳を前提しているのである。」(p83) 表現形式の実質(素材)間の移行だけでなく、翻訳(科学的認識)は内容(身体行動)への介入まで射程に入れなければならない。 (9 二重分節 ・・・) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この記者氏も 同じように この《翻訳(科学的認識)》にのみ血道を挙げている。そのあと この《科学的認識》が《内容(身体行動)へ〔・・・〕介入》するところを論じるかと思えば 人の行動はいつも知を基盤にしている。言語が行動を指図・命令 していると言い換えてもいい(指令語の世界)。 とのこと。それじゃ すでに はじめの《運動》が 《知を基盤にしている》ことを言っていることになる。それじゃあ そもそも はじめからこの知を基盤にした自己表現ないし文章表現を論じればいいではなか。・・・まあ 好みません。 わたしの苦手な自然科学はともかく この種の議論で くだらんものには 容赦ありません。 付録: ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ わたしの存在は わたしがわたしであるという自同律(アイデンティティ)の展開過程である。 自己到来するわたしの自乗・三乗・・・とその連乗積をかたちづくっていく過程である。わたしが一であるなら この冪は つねに一である。 わたしとは何か。わたしと名のる存在である。ここから わたしが自己到来をつねに新たに展開していく過程は 表現行為の過程である。一般に内面における自己還帰の確認は 広く自己表現として表わされる。外化される。直接・間接あるいは顕在・潜在を含め広く ことばをとおしての表現行為として展開される。 内面における自己同一性〔たるわたし〕そのものは 必ずしも定かになるわけではないが ことばの表現をとおして・もしくはことばを介した認識をとおして 了解し合われる。表情・振る舞いが 解釈され これを ことばの表現として認識し了解していく。 かくて わたしの生きる過程は 文体として展開される。これらの限りで 文体行為の過程が わたしである。(Le style, c'est l'homme meme.) 文体の原則(命題) 1.文体は 生活である。 ・文体に対しては わたしが生きていることが先行している。 2.文体は 生きることであるなら 過程行為であり 行為過程である。 3.生活は 自然界や社会やの世界すべてを含む。 ・《わたしの自乗》理論は 過程としてこの世界のすべてであろうと欲する。 ・文体行為としては 一人の人間の一主観であるにすぎないというのも然ることながら その(=世界過程の)事後的な認識であるにとどまることが多い。 4.過程行為である文体は 《わたし》相互のあいだの了解を求める過程として展開する。 ・各自のわたしに修められた主観としての世界観は 共通の基礎を問い求め 互いの共同化に進む。 ・主観の共同化は 経験合理性にもとづく科学行為によってその基準が用意される。 5.科学によってもたらされた新しいいわゆる客観認識を持ったとき わたしは ふたたび自己に到来し これを自乗・三乗して生きていく。 6.文体行為そして科学行為は いづれも わたしが生きることに後行している。 ・科学によるあらゆる客観知を得ない場合にも 文体は 自己の判断によって表現行為に出発する。 ・文体がいわば確立しておらず 自己の判断がまだ定まっていない状態にあっても そこに生きる人間は 世界の絶対的な現実である。 ・また 絶対的な現実であるゆえ 一人ひとりのわたしに 自らの文体行為が促されるであろうし 望まれる。 ・かくして わたしは 科学を補助行為として持ちこれを利用しつつ 文体過程として生きる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ブッディストの文体論を聞いてみたくなりました。
- littlekiss
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こんにちは、brageloneさん。 (/_\)いないない ばぁー \(^-^)/ 箱の中からぼわっと。。。 "シュレーディンガーの猫"現る~食べちゃやよ。o(^-^)o ホント、講師のセンセって、こうも nag nag言うかしら…ブツブツ。と、ヒソカに思えば…"ピカッ"と、"ゴロゴロ"と、"キャーッ!!" と。あぁ…、そうゆうことね。案の定、風邪こじらせました。クシュン=☆熱っぽい。けど、かろうじて生きてます (//▽//)。ハイ、お臍隠しそびれました。誰が言ったかは知らないけれど…"雷が臍をとる"とる、とる、きっと、とるーーちょっと遅れて、とれました-☆ポロリ。まいったなぁー。持ってくなら持ってくで、ついでに泣きベソも持ってけドロボー。おいてくなぁー。と、意味不明の遠吠えひとつ。空しく、声だけがこだまします))))) 【光の速度と人間の認識】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa521999.html 公共の建物の屋外の敷地内に置かれた自販機で¥120のあったか~い缶コーヒーを買おうと財布から小銭を取り出しました。財布の中には小銭が3枚ありました。百円玉2枚と十円玉1枚。百円玉1枚と十円玉1枚では、合わせても120円には10円分足りません。そこで、百円玉2枚を取り出し自販機の投入口へ入れてみますと。百円玉を1枚入れた時点で自販機の投入金額表示画面に赤く100と。続けて、もう1枚百円玉を投入口から入れると、カラカラカラと音がしたと思えば、投入金額表示画面の数字は先程の100のそのまま。音のした方に目をやると返却口とあります。小窓へ手をのばしそっと押して開けてみると百円玉が1枚ありました。どうしたのかな。と、思いながら返却口にある百円玉を取り出し再度投入口へ入れてみました。今度は音はカラカラカラという聞こえてきません。しかし、投入金額表示画面の数字は100と点灯したまま。手持ちの小銭はあと1枚。入れてみました。すると、投入金額表示画面は先程の100から110へと変わりました。¥110ではドリンク選択ボタンも点灯しません。取りあえず、返却レバーを下げてみました。カラカラカラカラと、戻ってきたのは表示金額と同じ¥110。百円玉1枚と十円玉1枚。1枚足りません。自販機のボディーには釣り銭が出ない場合の連絡先が明記されてあります。しかし、その連絡先はここより遙か彼方。連絡を入れて返金を受けるまでにどれほど時間がかかるか。また、連絡を入れるのにかかる費用。小銭が手元にない。おまけに近くに公衆電話もない。で、公共施設の通用口横の警備室へ連絡を入れたところ、建物内に置かれた自販機の故障等は管轄範囲であるから対応するけれど、敷地内であっても建物外の自販機については管轄外なので個人で自販機会社へ連絡をとのこと。そういわれてもなんか納得いかない。本当にそうなのかどうなのかを建物内の管理室の方へたずねたところ、敷地内の建物の外に置いてある自販機に関してもこちらの管轄ですとききそのように対応してもらった。自販機には"故障中"の紙が貼られ修理の人が来るまで一休み。どうして、部署部署でこうも対応が違うんだろう。問題意識の捉え方がちがうからか… 【量子の観測問題と放射線被曝について】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2879067.html
お礼
やあ やあ やあと威勢のいいご挨拶にて 始めますが いけませんね! これまでに習慣づけた治し方で しっかり 養生してください。 光速と音速のことは だいたい分かりました。 これから 量子の問題を読んで勉強します。 これまでの参考サイトについて まだご返事をさしあげていないものがありますが 残念ながら 特にしゃれたコメントも出て来ない状態のものです。 物権などの法律のことについては 間接的に触れることができたと思います。 自販機のお話しは 役所のたらいまわしを思い起こしますね。少々アドヴァイスをと思ってしまうならば 問題をもう少し一般化させて 社会問題に迫ったほうがよいかも。というか いいのですが 話しが少々細かすぎますよ。そこが littlekissさんの よさなのかも分かりませんが。 では では。
補足
【量子の観測問題と放射線被曝について】 これは 面白そうですが 簡単に分かるというわけにはいかない。 《シュレーディンガーの猫》も 面白そうだけれど むつかしい。 どちらも 自然科学としての表現 つまり言いかえると 自然科学語が 別にあって しかも その言語で表現された世界までが ふつうの一般人にとっての現実世界とは 別にあるのかと思わせるところがあります。 被曝しているのに 人間の観察が行なわれていなければ まだ 確定していないと言い切るとすれば 言語が違っているのだと受け留めてしまう。・・・これ以上 議論が発展せず。・・・ ではまた。
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 仮装の概念装置とのこと、 うんじゃ、その箱の中にコレを入れ、"チン"すると?食後のデザートとがでてくるかも? http://homepage2.nifty.com/kmatsui/test/m2tt97.htm http://homepage2.nifty.com/and-/minpou/bukken1.txt http://www.kkin-en.net/houritu/x41-4.html http://wapedia.mobi/ja/天然果実
お礼
こんばんは littlekissさん。 それでは bragelone講師に登場していただきましょう。 ただいまご紹介にあづかりましたブラジュローヌと申します。 えぇー 憲法には 結婚は両性の合意にもとづくとうたっています。つまり個人である人の意志の自由な選択・その表現(意思表示)によって成り立つというわけでありまして・・・。 要するに 良心・信教の自由から始まって さまざまな表現の自由まで 人間にとって自由は 大前提です。そして これは 公理です。あらためて 証明せねばならない性質のものではなく そもそも 自由は 自明のことわりであるということになっています。 ところで 公理は 《自然法》として成り立っていると想定されます。この自然法のもとに 結社の自由なり 契約の自由なりといった具体的な内容を規定する法律が 取り決められていきます。これは 《人定法》と言います。 逆に 今度は 公理である自然法のさらに奥にある根拠 そのような言わば自由のそのまた根拠は何かと仮りに考えたなら どうなるか。これを 仮りの概念装置として 絶対者なる法と想定しますとなります。《神の法 あるいは 永久法》などと言います。 つまり 根源と思われるほうから順番に 神の法 自然法 そして 人定法です。憲法が最高の法規ですが これも 自然法にもとづくものであり その憲法にもとづく人定法を含めて 法律一般は 言わば相対の世界――経験領域= Y の世界――です。ですから 神の法は 絶対の領域= X です。あくまで想定上の世界です。(これこれが 絶対の見本ですと言って 手にとって示すことなど出来ません)。 以上 ご清聴ありがとうございました。 ちなみに お釈迦さんの教えは どうかというのが 質問の趣旨です。神の法の領域( X )を扱っているようなのですが どうも話しを聞くと 自然法以下の経験領域( Y )のみだとも――つまりは 自然科学を含む実践哲学のみだとも――思えるようなのです。
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 三 (/ ^^)/ ≡ ≡ ≡ ピッー 走る 走る (*´Д`)=з ふぅー おまっとさん。遅れて(^人^) ごめん。 ●"この現実を見よ。" ↑ なんて、言葉をおいてあるもんだから…予告編か?!気になるーって。ホント、謎めかしいんだから。ほい、ほい、見ましたよ、ホームセンターへシャワーヘッドを買いに出かけたら、ワゴンの特盛りの中に中古CD.ビデオ一枚、一本各¥298と。ワゴンの中をチラリと覗き見たらありましたよ。ええーい、買っちゃえと。買いました。で、家へ帰ってから見ましたよ。何を見たかって?2001年度アカデミー賞主要4部門受賞/作品賞/監督賞/助演女優賞/脚色賞『ー ラッセルクロウ ー ビューティフル.マインド 』を。(リーマン予想) 【コマの性質】をもってきたところ゛重心は下"なのに…"?"と、そこはそれ"上が熱くて下はつめたいのはなーんだ?"を思い出して。逆転層。 http://www9.ocn.ne.jp/~maqqn/contents06a1104.htm うんで、ANo.6の補足欄ちょこっといじくります。 YとXの箇所が"?"だよ。わかんない。何がどうわかんないかといえば… Y 考えれば分かること X 考えても分かんないこと ↑ ここで説明されているYとXなんだけどね、一つのページの中に書かれてあるから続けて読んじゃうけれどよく読めば時間にズレがあんじゃないの?Yの到達時間とXの到達時間の差異。うさぎとかめの徒競走のお話があるから、うさぎとかめがカケッコしたからといって必ずしもピョンピョン跳ねて走ることのできるうさぎが先にゴールにつくとは限らない。途中で何が起きるか起こるか予測は出来ても確定ではない。どちらも不確定な事象でありまた、どちらも時間の差異こそあれ確定出来得る事象でもあんじゃないのかな。 時間が抜け落ちてる、等しくない
お礼
Good morning, Mr littlekiss. 昨夜(いえ 今日・24日になった夜)は ほかの質問への応答で 二時ごろまで 起きていたのですが それを書いたらすぐさま寝ちゃいました。 X :考えても分かんないこと これは 時空間を超えた領域として 想定するというだけの装置です。単純です。まったくの仮想です。つまり 絶対です。 ですから たとえば 光(光速)は 自然科学において 《絶対》として想定されているのですかと尋ねました。ですから 《 X 》は 光速を超えたところの仮想の概念装置ですし 自然科学の対象外ということになります。 とりあえず この一点について記しました。ほかは 補足欄にて。
お礼
littlekissさん こんばんは。 また ひやひやするお話しですね。設問にちなんで答えてくださいな。 アクセス数は そういう仕組みですか。と言っても ここの場合は 画面が一つしかないじゃないですか。それでも 一度のアクセスにつき 何回もクリックしたりするっていうことですか? ちなみに ランキングの表示が 一たん 変わって また元に戻りましたね。 そして もう一点。ここの画面のコピーが 出来なくなりました。はみ出してしまうんですよ。要するに システムを変えたのですかね? 釣り鐘のボコボコですか? ひゃくやっつ→煩悩→ブッディスム? これで 質問の関係? 煩悩に悩まされていた頃が なつかしいなぁ。なんて ちょっと言ってみようかね。 それにしても ちゃあんと 質疑応答の内容を見てくれている人がいるもんなんですね。 ブッディスムにかんしては いま ほかの別様の質問で そうとういい段階にまで たどりついたところです。ちょっと 満足気味です。ありがとう。
補足
(20071104記) この質問欄での見どころ (1)《神に性はない》:No.2&4の補足欄 (2)《絶対(X)は 仮想の概念装置である》:No.6&5の補足欄 (3)《誇るのなら(この現実を見よ)》:No.11補足欄 (4)《永久法(神の法 X)と自然法・人定法(Y)》:No.13お礼欄 (5)《文体論》:No.15補足欄 (6)訳詩《谷間に眠る者》Rimbaud:No.16お礼欄 (7)訳詩《若いパルク》Valery:No.17補足欄 (8)詩《みんなともだち》みわみやこ:No.18回答欄 (9)漱石《二百十日》《英詩》:No.19回答・補足欄