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ワイマール時代の反逆罪規定について

 ヒトラーは、ミュンヘン一揆の後の人民裁判にて、反逆罪で禁固5年の判決が下されましたが、そもそも反逆罪はどの条項に規定されていて、最大でどの程度の刑を下すことができたものだったのでしょうか。  というのは、当時の反逆罪となると、最高刑は死刑なのではないか、と思うのですが・・。  ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非教えていただければと存じます。

みんなの回答

  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.1

 大陸法(ドイツ、フランス、日本など)のどこの国も大した違いはないと思いますので日本の例を書きます。日本の反逆(反乱)罪は軍刑法(陸軍刑法・海軍刑法)に規定されていました。陸軍刑法によりますと、首魁は死刑、謀議に参与しまたは群衆の指揮をなしたるものは死刑、無期もしくは5年以上の懲役または禁錮、附和随行としたるものは5年以下の懲役または禁錮、予備・陰謀に過ぎなければ、1年以上の有期懲役または禁錮になっていました。反乱して、敵国に軍の施設を交付したり、敵国を利する目的で軍施設など壊しますと、絶対刑として死刑のみが適用されます。総じて、敵国が絡まなければ、割合、緩やかだったものと思われます。2・26事件も首謀者以外は寛刑でした。

kim_chi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございました。  日本の例を見ると、ヒトラーのケースも特段の例外的な扱いではなかったようですね。もっとも、彼の場合、国籍の関係を考えると、やはり特殊なケースになるかもしれませんが。  ワイマールの場合の条文も見れればよいのですが、なかなか見つけられません・・。

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