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上杉謙信の鎌倉入りと上洛
上杉謙信は関東管領職の就任式(?)を鶴岡八幡宮で行ったようですがこれは宿敵北条氏康領のど真ん中ですね。公式行事を行うのですから堂々と入府したはず、氏康の妨害等はなかったのでしょうか。精密な地図のない当時、上杉側の主要人物が関東までの交通事情を知らしめることは戦術上大いに不利では?また上杉側は謙信が暗殺されるケースなどは考慮しなかったのでしょうか? 同様に謙信は上洛して将軍義輝に謁見していますがこの場合も隣国朝倉領を通過しているはず、同様の妨害は考えられなかったのでしょうか?
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- 6dou_rinne
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回答No.1
お礼
回答ありがとうございます、確かに関東の豪族は北条がくれば北条、上杉がくれば上杉になびいてますから途中の道はそれほど困難がなかったのかも。 京入りは幕府公式行事で朝倉も妨害する意図がなかったのですね。