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反戦主義・平和主義とは
他国に侵略されたら、 すぐに白旗をあげることが、 反戦主義(or平和主義)の当然のありようなんでしょうか? (取りあえず降伏すれば、 自由を奪われることになっても、 殺されることはない状況とします) 命に最大の価値を置くなら、 命をかけて戦うことは無謀と判断することは可能でしょうが・・・ ご意見を聞かせて下さい。
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反戦主義のありようは、戦争に加わらないことにあると考えられます。 個人の反戦主義の実現は、兵役の拒否、暴力による抵抗の放棄によって実現されるでしょう。 であれば、それが自国政府に対してであれ、他国政府に対してであれ、命を賭してでも、兵役に着くことを拒否し、他人を殺害することを拒否するのが、真の反戦主義のあり方であろうと思います。 一方、平和主義といった場合、これは多義的な意味を含んでおり、どのような対応が平和主義的であるかを一義的に決定することは困難です。 たとえば、自国政府の圧制に遭っている国民が、自由な他国軍の侵攻を受けて自国政府に対するゲリラ活動を行うことは、反戦主義には反しますが、平和主義には合致するかもしれません。 また、逆に帝国主義的志向を持つ国家の侵攻を受けた国民が、その軍隊に対しゲリラ的抵抗を行うことも、広義には平和主義といえるかもしれません。 平和主義に関して言えば、「当然のありよう」という言い方は困難であると考えます。
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- dfghjk
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反戦主義ですか。 少なくとも日本は、いくら平和憲法っていっても、 一方的に侵略行為を受けたら、それを食い止める為の抵抗(武力阻止=戦争)は、 やるんじゃないですかねえ。 そのレベルのことは、憲法でも認められていると思うし。 で、質問者と回答者の間で、ちょっと認識のずれがある点ですが―― ようは質問者さんは、他国に武力で威嚇されて、 要求を受け入れないと攻撃するぞ―― 要求を飲めば命だけは助けてやる―― そんな状況下なら、 抵抗しないで要求を受け入れるのが、 反戦主義を標榜する国家の、真のあり方なのかって、 それを聞きたいんじゃないですかねえ。 確かに真の反戦主義国家なら、 そんな状況だったら、戦わずして要求を飲むべきなんでしょうね。 そのことの是非はまた別問題だけど。 質問文からはそう読み取れました。 あと、 >>(取りあえず降伏すれば、 >>自由を奪われることになっても、 >>殺されることはない状況とします) この前提が崩れることになるとの指摘がありますが、 その意味がよくわかりませんでした。
お礼
有難うございました。 >質問文からはそう読み取れました。 その通りです。 >この前提が崩れることになるとの指摘がありますが、 >その意味がよくわかりませんでした。 私も意味不明でした(笑)
- Singollo
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> 反戦主義の是非についてではなく、 > 侵略行為を受けた時の国家としてのベスト > な対応の仕方でもなく、 > 反戦主義とはどういうものなのか > > すぐに白旗をあげることが、 > 反戦主義(or平和主義)の当然のありよう > なんでしょうか ですから、『すぐに白旗をあげる』=『無条件降伏』ならば、それを『反戦主義』の前提とすることは、少なくとも国家の政策としては当然のありようとは言い難い、と申し上げ、また同様に、無条件降伏を前提するなら >>(取りあえず降伏すれば、 >>自由を奪われることになっても、 >>殺されることはない状況とします) という前提は崩れてしまう、と指摘しただけなのですが?
お礼
>ですから、『すぐに白旗をあげる』=『無条件降伏』ならば、それを『反戦主義』の前提とする >ことは、少なくとも国家の政策としては当然のありようとは言い難い、と申し上げ、 確かに、それが、国家として当然のありようだったら、 過去にこれほど多くの戦争は起こってないでしょう。 当たり前のことですよね。 >>(取りあえず降伏すれば、 >>自由を奪われることになっても、 >>殺されることはない状況とします) >という前提は崩れてしまう、と指摘しただけなのですが? どうして崩れてしまうのですか? というか、質問者に断りなく、 勝手に前提を崩さないで頂きたく思います。 例えば、日本民族に対してジェノサイドを仕掛けてきた場合などは、 筋金入りの無抵抗主義者でない限りは、 戦うのが当然だと思いますので、 あのような前提は必要なのです。 ようは、反戦主義がお気に召さないのですかね?
- Singollo
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> 反戦が国民の共通意識になっている状況 > だったら、背信行為にはならないのでは > ないでしょうか。 『殺すよりは殺される方がまし』という姿勢は、個人の信念としては採用できても、国家の政策としては、軽々に採用する時点で問題があるのではないかと思います いわば自然権の一部を放棄しているわけですが、その国に生まれたというだけで、自動的に自然権を放棄させられるというは、行き過ぎではないでしょうか? > 降伏しないと攻撃される=死者が発生す > る > という状況下なら、 > 無条件降伏をすることで、国民の生命を > 守ることにもなる 無条件降伏というのは、どんな理不尽な要求にも従わなければならなくなるということです 相手から見れば、殺すための難癖もつけ放題になります 無条件降伏すれば絶対殺されない、と期待するのは楽天的に過ぎるでしょう 国民の生命財産の被害を最小にするため、最良の講和条件を模索するのが、責任ある政府のあり方ではないでしょうか?
お礼
>無条件降伏すれば絶対殺されない、と期待するのは楽天的に過ぎるでしょう 私の質問をもう一度お読み頂ければと思います。 降伏ということに関して、一般論として疑問を呈しているのではなく、 >>(取りあえず降伏すれば、 >>自由を奪われることになっても、 >>殺されることはない状況とします) 上記の状況を想定しております。 >最良の講和条件を模索するのが、責任ある政府のあり方ではないでしょうか? それは当然でしょう。 ただ、一切武力抵抗をしない「反戦」に徹した場合は、 侵略をしてくるような国ですから、 講和という形になったしても、無条件降伏と同等な状況になってしまうことは、 想像に難くないと思いますが・・・・ そもそも私の質問は、 反戦主義の是非についてではなく、 侵略行為を受けた時の国家としてのベストな対応の仕方でもなく、 反戦主義とはどういうものなのか、ということです。
- Singollo
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『すぐに白旗をあげる』=『無条件降伏する』としますと、軍の無条件降伏はともかく、政府の無条件降伏は、国民の生命財産の保護義務を放棄した、国民に対する背信行為だと思います
お礼
有難うございました。 ただ、反戦が国民の共通意識になっている状況だったら、 背信行為にはならないのではないでしょうか。 それに、 降伏しないと攻撃される=死者が発生する という状況下なら、 無条件降伏をすることで、国民の生命を守ることにもなるでしょうし。
お礼
有難うございました。 平和憲法は反戦主義の憲法なんでしょうか? と、疑問に感じました。