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犠牲者は100人/に及んだ/に達した/を上回った
オヤジです。 小学校高学年か中学校の頃、国語の授業で、 喜ばしくない数量については、「達する」という言葉を使うのはよくなく、「及ぶ」とすべきである、 というようなことを習ったような記憶があります。(教科書にも書いてありました。) たとえば、 ×「犠牲者は100人に達した。」 ○「犠牲者は100人に及んだ。」 しかし、テレビでニュースを見ていると、喜ばしくない数でも「~に達した」という言い方をするのを時々聞きます。 何か、おかしいと思います。 また、授業で習ったわけじゃないですが、 喜ばしくない数量が、ある水準を超えたとき、「上回る」という言葉を使うことに違和感があります。(これも最近ニュースで聞きました。) たとえば、 「犠牲者は100人を上回った。」→×? 「犠牲者は100人を超えた。」→○? ・・・というわけで、「達する」「及ぶ」「上回る」などに関して、 ・上述の私の判断は正しいでしょうか? ・このような例(良い例、悪い例)は、ほかにありますか? (たとえば、「犠牲者が100人を突破した」は、なんとなく、まずい例のような気がします。)
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- mabomk
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×「犠牲者は100人に達した。」 ○「犠牲者は100人に及んだ。」 X「犠牲者は、、、、達した。」がおかしいのは「達する」が本来は「達成する」の「達」から来たものと考えれば、納得いきます。 幸でも不幸でもない、或る程度中間の(まー、不幸ちゃー不幸事だが)(タモリ風)(笑)、例えば、こんな例は、それこそどれを使っても、無理はないですね。オールマイティー(万能)ですね、 ○「葬儀の参列者は、2000人を上回った。」 (極めて客観的) ○「、、、は、2000人を超えた。」 (余りにも冷静すぎる) ○「、、、は、約2000人にも達した。」 (何となく記者は喜んでいる感じがしないこともないが)(イヤ、充分喜んでいる)(笑) ○「、、、は、約2000人にも及んだ。」 (少しは喜んでいるネ) 「可能性」に関しては、「地域紛争の可能性云々」と使われる限りは全然耳障りでも何でもありませんね。 殆ど書き殴りに近い答えで済みません。
- offside99
- ベストアンサー率17% (6/34)
たしかに、言葉そのものに最初からネガティブなイメージが含まれているかどうか、によって使い方が限定されるというのは、あると思います。 ご指摘の例も、言われてみるとどことなくわかるような気がします。 「達」というのはある物事に「とどく」「十分になる」等々の意味があるようですから、「達成」したくない(して欲しくない)ものに対して使うのは誤りかも知れません。 同様の意味で、上回るというのも、おかしいかも知れません。 ただ、私は今までご質問を読むまで、特にこれについて違和感を覚えていなかったことも事実です。言われてみて、ああなるほどなあ、そうかも知れんなあと思った次第です。 ではなぜ投稿しているかと言いますと、別の例で似たようなことを感じているからなのです。 それは「可能性」という言葉。 誤用→「・・・気象庁では余震の可能性もあるとして、引き続き警戒を・・・」 正 →「・・・気象庁では余震の恐れもあるとして、引き続き警戒を・・・」 これは例ですから、実際ニュースでこのように言ったかどうか、定かではありませんが、望ましくない出来事に対して「可能性」と使っている場面は相当にあります。 こういうことは、気にし出すと妙に気になってしまいます。 大して参考にならず、済みません。
お礼
いえいえー、助かります。 「可能性」については、意外でした。 辞書をいくつか引いてみたら、たしかにポジティブな意味に使われることが多いようですね。 今まで全然気づきませんでした。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。