- ベストアンサー
自信の無い人と面接
幾度か心理的な質問をさせていただいています。 他の方の「就職」「面接」の質問を見ていてふと感じたことをまた投稿させていただきます。 過去に「自己否定」や「自己否認」の問題で様々なアドバイスを頂きましたように、私は非常に自己否定感の強い人間です。 面接の際、「あなたの長所は?」と聞かれても応えることはできないと思います。 「自己PRを」と言われれば、延々と自分のことを悪く言うでしょう。 けれどもそれで面接、通るわけがありません。 ということは、面接を受けて就職した人は、 みな何かしら人にアピールできるものを持っているということになりますね。 何と言うか彼我の差を物凄く感じますが、 特にそれで落ち込むということはありません。 私は今後もこれまで通り、面接で人柄(人物)を査定されるような場所に赴く予定はありませんので、それは構わないのです。 要はそれだけ人に誇れるものを持った人が世に溢れていると判断してよいのでしょうか?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
横レス失礼いたします。ひとつの可能性としての推測です。 まず、「>私は非常に自己否定感の強い人間です。」というご見解はおそらく違っていて、実際はとてもナルチスムの傾向の強い方ではないかという印象を受けます。 #3さんへのお礼で、『>「負のアイデンティティー」に拠って支えられているのかもしれません』ともおっしゃっていますね。 自己否定、負のアイデンティティといったような要素は少なからず誰しもが持っているものなわけですが、loser_blueさんの場合はそれが強烈に作用している、ということなのでしょう。 ここに無理があると思われます。 無論、無理があるにはそれなりの理由があるわけですが、それはおそらく『他者から認められない』ことを非常に怖れているからではないでしょうか。 認められないことを怖れるために、先に自身で自身を否定してしまうわけです。 こうすると、たとえ他者から否定されても「自分でもわかっているんだから別に驚きはしない」とう理屈が成立しますから、ダメージは小さくなります。 過去の大事な時期に、自身を認めてもらえるべき人から認めてもらえなかったという経験が強いトラウマとして無意識に潜在しているようにも思われます。 人間が本来持っている愛情エネルギー(=リビドー)は、他者に纏綿されて初めてその目的を健全に達成できます。 ナルチスムというのは、その纏綿対象が失われたり、対象から拒否された場合にリビドーが内向的(退行的)に流動した結果です。 現在の日常で接触する人々に、その過去の対象(最も多いのは親の場合ですが)を投影(錯綜)してしまうわけです。 この場合、過去と現在の明確な区分けができるようになると改善されるはずですが、loser_blueさんのケースに当てはまるかどうかは不明です。
その他の回答 (5)
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
>私は自己を深めること、心を豊かにすることを否定しているのではなく、それは何にもまして人間が人間であるために不可欠な営みと思います。 ちゃんと正のアイデンティティが確立されているんじゃないでしょうか。自己否定しながらも自分を保っていられる理由はここにあるのではないでしょうか。 他人との比較によって生まれる自己否定が、事あるごとに、また他人と自分を比較する。その負のスパイラルが問題なのかもしれません。 なぜ他人と比較するのかを見極めると答えに近づくのかもしれません。 変な質問に答えていただきありがとうございました。
お礼
>変な質問に答えていただきありがとうございました。 こちらこそ、いつもお世話になっています。 ご指摘のこと正にその通りだと思っています。 このスパイラルからいつか抜け出せるのか・・・ しかし皆さんとのこれまでのやり取りで いろいろと目を開かされた思いでいます。 またアドバイスをいただけると幸いです。 ありがとうございました。
補足
新しい質問をしましたので、お暇な折りにおより下さい。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
こんばんは、 また質問していいでしょうか。 >負のアイデンティティー」に拠って支えられている 自分を否定しているのは誰だろうと考えると、否定している自分が正のアイデンティティーで否定されている自分が負のアイデンティティーという事になるのでしょうか。故に負を否定することによって正はそのアイデンティティを維持していられると解釈できるのですが。負だけが存在することはないので、どこかに正があるはずだと思うのです。 その正を人(例えば面接官)に説明することは秋波を送ることにはならないと思うのです。 >「どなたか」(笑)に「行間を読む」というご指摘をなされていたと思います イテテ、これを突っ込まれるとは思わなかった。
お礼
そうですね・・・ わたし自身では何処かに「正」の自分がいて、「負の」自己を否定しているという感覚はないですね。 無論正も負も、相対関係にあるので、片方がなければもう一方も存在し得ないのですが、わたしの場合「正」というのは「他者」ということになるでしょうか?他者の目を内面化して自己を点検する時に、自ずと「負の」自己イメージが立ち現れてくるようです・・・ (これもまた不確かな推測に過ぎませんが・・・) >その正を人(例えば面接官)に説明することは秋波を送ることにはならないと思うのです。 なかなか即答できない問題ですね・・・
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
こんばんは、 質問してもいいですか。 ・「内面を磨く」「自己磨き」ということに抵抗があります。 この質問とご自身の自己否定感とはリンクしており、また裏腹にも感じます。「内面を磨く」事を否定し、自己も否定するなら自分の置き場所がなくなるようにも思いますが、そこら辺はどのように処理されてらっしゃるのでしょうか。
お礼
>「内面を磨く」事を否定し、自己も否定するなら自分の置き場所がなくなるようにも思いますが、 難しい問いかけですね・・・ その辺りを整然と説明できれば、ここでいろいろ質問していないと思います(苦笑) shift-2007さん自身、「どなたか」(笑)に「行間を読む」というご指摘をなされていたと思います。 先の質問をお読みくださっておわかりかと思いますが、 私自身、人一倍自己の充足ということに関しては関心を持っています。 ただ、それはあくまで、自分の欲求を充たすためのもので、 社会性のあるものではありません。そして、社会に秋波を送るような「内面磨き」というものに抵抗を感じています。 確信をもって言えることではありませんが、 あえてご質問に答える言葉を探すとすれば「負のアイデンティティー」に拠って支えられているのかもしれません。 このあたり、自分もよくわからない部分ですので、 よかったらまた質問をぶつけてください、 「どなたか」のようにはならないと思いますよ・・・ お答えになっていませんがご容赦。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
目の覚めるような蛍光色のシャツを着た友人(しかも反論意見を言うとあとが面倒なタイプ)が 『これ、色使いとか、カッコよくね?』 と聞いてきたらどうでしょう? 「あっ、あぁうん。い…いいんじゃないかな」 じゃ、ダメですよね。 自分を評価するとなると、もっと難しいです。 (自己否定(マイナスだけでプラスの評価をしないので評価放棄)は簡単すぎる) 褒めるところなんてない自分を褒めよう、それが自己PRの狙いです。 自分にお世辞は通用しない、ウソはダメ、その状況で如何に難アリ商品(自分)を客観的にプラスの評価できるかを試されているわけです。 それができずに、どうして自社商品を宣伝できるのでしょう? (面接する側は自己PRの内容自体はどうでもよくて、PRの方法やアプローチの仕方を評価したい) 自己PRできる人全てが誇れるものがあるわけではなく、誇れもしないものを強引に誇っている人も相当います。 むしろ誇れる人のほうが少ないでしょう。
お礼
>褒めるところなんてない自分を褒めよう、それが自己PRの狙いです。 自分にお世辞は通用しない、ウソはダメ、その状況で如何に難アリ商品(自分)を客観的にプラスの評価できるかを試されているわけです。 うっわ~・・・ これはとてもできません。 >(自己否定(マイナスだけでプラスの評価をしないので評価放棄)は簡単すぎる) このご指摘も考えさせられました。 お礼のコメント以前に頭を抱えて考えています(苦笑) またお暇な折り、ご意見お聞かせください。 ありがとうございました。
- mijinco
- ベストアンサー率25% (87/346)
そのご判断は間違っていると思います。 「人に誇れるものを持っていると面接で述べる人は多くいるが、実際に誇れるものを持っている、あるいは持っていると自分で思っている人は世に溢れているかどうかは分からない」と判断すべきです。 実際のところは多かれ少なかれ不安を感じているだろうと私は見ています。 面接では、単純に自己アピールで嘘をつく人もいるでしょう。 しかし多くの方は嘘をつくのではなく、自分をうまく解釈されているのだろうと思います。まあ、悪く言えば自分をごまかしているということですね。 欠点はうまく言い方を変えれば長所になります。 暗くて物事を悲観的に考える→落ち着いていて慎重 自己否定的である→良くないところを自己反省できる …。てなぐあいです。 このような視点は自己欺瞞的ですが、社会が多くの矛盾を抱え歪んでいることも考えると、バランス感覚としてあんがいたいせつなことだと考えています。
お礼
私は本格的な面接(大企業の・・・といってもいいかもしれません) を受けたことが無いので、そういうところの面接官(人事担当)って 鷹のような目をもっている人物・・・というイメージがあります。 確かに長所・短所が紙の裏表のような場合は多いですよね。 でもそれは述べられているように、どうしても「自己欺瞞」でしかないと感じてしまうのです。 そんなに都合よく思えない。 そしてそのような誤魔化しが果たして「人事」に通用うるものか疑問です。 私は人事を過大評価しているのでしょうか・・・ ご回答ありがとうございました。
お礼
度々鋭いご指摘をありがとうございます。 町沢静夫から「自己愛性人格障害」と言われた時には、 ああ、こいつはヤブだと思いました(今でも思っていますが(苦笑)) けれども町沢の見当違いの見立ても、このように分析されると 頷けるのです。 それにしても町沢自身が作った「自己愛性人格障害」のリストに丸っきりチェックがつかないのにこういう診断をするのは誰が考えてもおかしいです。 近いうちに大学の心理相談センターと言うところに行く予定です。 そおことで再度質問を立てるつもりですので、 是非またアドバイスをいただければ幸いです。 >過去と現在の明確な区分けができるようになると改善されるはずですが、 現在のも、未来も全て過去に引かれた線の延長であって、この連続性は途切れることはあり得ないと感じています・・・ つづく・・・