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おおらか?躾?どっちが大事?
こんにちは、6ヶ月児の新米ママです。 この間、Aちゃん、Bちゃんと3人でBちゃん宅でおしゃべりをしていた時のことです。 Aちゃんはすでに小学生の子供を持つ先輩ママ、Bちゃんは魔の2歳児の育児に疲れているママ、そして私は6ヶ月児の新米ママです。 おしゃべりしてる最中、ちょっとぐずってきたBちゃんの2歳の息子がお絵かきのノートと色鉛筆をなげ始めました。 Bちゃんは「またか」とばかりにため息をついて手を掴んでちょっと強めに「だめでしょう、モノを投げたら」とたしなめていましたが、Aちゃんは 「いいよいいよ、投げたいんだよね。ほら、ぽーんって投げよう!どこまで高くあがるかなー?」と話しかけていました。 それを聞いてBちゃんの息子はぽかーんとAちゃんを見て投げるのをやめてしまいました。 それを見て私は最初「ほほぅ、反面教師ってやつ?さすが子育ての先輩は違うなぁ」と思ったのですが、よく考えればそれでは躾はどこでやったらいいのかなぁ、と思いました。 でもダメって言われたらやりたくなるのが子どもの心理、あまりダメダメ言うのも返って反発するのかなぁ? 2歳児にはまだそんなに躾は必要ないのでしょうか?それともちゃんと言って聞かせないとあとあと響くのでしょうか? 自分の息子もおおらかに育てたいとは思っていますが躾もちゃんとしたい、こういうのに正解はないかもしれませんが、他の方々はそのへんの兼ね合いをどうしていらっしゃるのか今後の参考にさせてもらいたくて質問しました。 ※ちなみに3人とも幼なじみで仲がよいため横から色々言われてもアドバイスとして受け止めているので「口出さない出よ!」とは思っていません。
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- takekanalo
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Aさん、さすがですね。 反抗期の天邪鬼の子供には、あえて反対のことを言ってみると効き目があるときがあります。 さて、躾とおおらかさですが皆さんおっしゃるように両方を使い分ける事が大事です。危険なことや、周囲に迷惑なことは毅然としかる必要があります。しかしそれは、ふだん大抵の事は許してもらっているから効き目があるのです。ママに愛されているという自信と親子の信頼関係があってはじめてしつけができるのです。いつもしかっていると、またかという感じで効き目がなくなります。おおらかさの延長上に躾があるといってもいいですね。 今回の場合、ノートや色鉛筆を投げるのは確かに悪いことですが、子供の立場に立って考えると、「ママったらおしゃべりに夢中になってちっとも僕と遊んでくれない!もう、えいっ!」という感じでしょうか。まだ自分の気持ちを言葉できちんと説明できないのだから仕方ないですよね。かといって、「よちよち、ごめんねー。」なんて言う訳にも行かない。Aさんのやり方は賢いです。気持ちが落ち着いてから、投げたらだめなんだよと教えればよいのです。 Aさんは、魔の2歳児を通り越してきたからこそ、こういううまいやり方ができるのでしょう。あと、よそのおばさんのことは言うことを聞くってこともありますし。渦中のBさんには難しいかもしれませんね。
時と場合によるかな?と思います。ただ物を投げるのにも理由がありますよね。 (1)何かを投げることが楽しい→鉛筆は投げるものじゃないからと、柔らかいボール等を渡してあげる。 (2)ただ退屈→危ないから止めさせる。他の遊びをあげる。 (3)親の注意を引きたい→場合によっては相手にしない。 この場合は(2)か(3)だと思います。 子供と2人ならAさんのように大らかにでもいいですけど、公共の場(みんながいて投げたら怪我をするかも)ではBさんのように注意してもらいたいです。 イヤイヤ期の2歳児の場合は、ダメは聞きなれているので、たまにはわざといいよと言ってみるのも面白いですよね。そんなに危ないことじゃなければ、一度やらせてみれば諦めることもありますし、機嫌が良くなれば悪さもしなくなります。 でも、AさんもBさんも「鉛筆を投げたら危ない」ということを注意してないのが気になります。どちらの方法にしても、なぜ鉛筆を投げたらダメか、なぜ上に投げるのはいいのかを教えるべきだと思います。
状況によるんじゃないかなあ。常に同じ姿勢もアリだけど、3回までは許す、4回目は怒るとか。人それぞれじゃないかな。道路で騒がれたら危ないけど、家の中なら放っていくとかありますよね? ただ、私も小2の子がいますが、子供って、どんなに厳しく育てても一通りの事を やる子はやるし、やらない子はやらない。だからAさんの行動って解ります。叱ることこそが躾ではない、そこで1回叱るよりは誘導して終わらせるという手もあるってことです。 やらない子は良い子か?というと、そうでもなくて小学校へ上がったらある程度は自己主張できないと「授業中に手を上げない」=「勉強が苦手」という判断になりうる事があるし、小学生になると、子供の脳、体力のスピードはどんどん上がってくるから、おとなしい子は集団生活の中で置いてきぼりな存在になりかねなくなります。 毎日、規則正しい生活とか、宿題をやるとか、公共の場所で騒がないとか、他人に挨拶をするとか(とりあえず)親の言う事を守るとか、そんな事は躾てさえいれば10歳にもなればある程度は出来ますよ。 ただし、根っこの部分ですね。 死んでいない虫なのに「もういらん」と殺す子。 自分で作った工作やもらった玩具をカンタンに捨てる子。 友達をすぐ裏切る子。 逆に、 親の誕生日に何かあげたいと、お小遣いを貯める子。 おじいちゃんや、おばあちゃんを大切にする子。 公園でつんだキレイな花をお母さんの為に持ってくる子。 これって、2歳3歳の躾でどうにかなる部分じゃないですよね。 何かに直面した時、親の意見じゃなくて自分の意志で良い方向へ考える事が出来て、優しい気持ちで行動できる子って、親が言って出来るもんじゃないと思います。 小学生になると、もう赤ちゃんじゃないから自分で考えて行動するようになります。そうなると親がどんなに立派でキチンとしていようが色々と見えてくるもなんですよ。 そして20歳くらいになったら、もっとハッキリするんじゃないかな。 あまり「躾」というワードにこだわらない方がいいと思います。
- sankansion
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かまって欲しいから親が気になる事をする。それが子供。 好きな子を苛めてしまう子供心みたいな物。 駄目なこと理解しないないでやっているのやら… 駄目だと理解しているけども、それ以外の方法で親の気を引くほうを知らないのやら… それが重要な気もしますがね…。 家事が忙しいのはわかります。 しかし、忙しさのせいにして子供のオネダリ(遊んで等)を後回しにしていたりすると…ねぇ。 怒ってくれる時だけは私の事を見てくれるとか思ったりするんでしょうね。 怒った時点で親の負け。またやります。 ぽかーんとする=予想外の事。 怒られると思っていたが怒られなかったって事では? 駄目だって理解しているけど…なんでしょうね。 人間が悪い事を行う時って 1悪い事だってしっているが、自分の意思でやってしまう。(交通法違反等 2悪い事だって知らない。 3悪い事なのだと知っているが、自分の意思ではどうにもならない。(飲酒喫煙など 1ならば、なんで自分の意思であえてやるの?そこを考える 2ならば、悪い事なのだと…なぜ悪い事なのか教える。 3ならば、共に止める努力をする(子供の場合3の事って、大抵は親が同じ事やっている。女の子なのに胡坐とか…親がやってたりするんですよね。 こうしてくれたら、一緒に遊んであげるよ(かまってあげるよ)みたいな物を教えてあげれば良いと思うんですが… 一緒に話ながら洗濯物たたみを手伝って貰うとかね。 やってくれないからって怒るのはタブーですがね。 手伝ってくれないのは、口うるさいからです。面倒臭いからです。 洗濯物たたむの手伝ってまで、あなたと話す価値はないって思ってるんです。 …洗濯物たたみの手間>親 って思われてるんです。 叱るのは教える方法ではなくて、 社会に出たときに上司などの叱責耐性作りみたいな物だと思うのですがね。 躾は叱る事じゃない。何が悪くて何が正しい(良い事)なのかを理解させる事。 なぜ色鉛筆を投げたら駄目なのかを理解させないと、今度は別のものを投げます。 色鉛筆が壊れたら?人にあたって怪我させてりしたら? そこを理解させないとね。 Aさんは上手ですねぇ…。 人に当たらないように、物に当たって壊したりしないように上に投げさせている。 「この程度の力で、この位に投げてたなら怒られないのか」と理解した可能性。 物にぶつけたり、人に怪我させないように、色鉛筆を壊さない程度の高さで投げてるだけなら…別に問題ないですからね。 むしろ、物や人に気をつかえる子供に育ったりしたり? まぁ…子供は黙っていても育つ。良き方向に向ける程度で十分だと思いますよ。 by10歳年下の妹の躾をさせられた不思議な兄よりorz
- nnmsg1327
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こんばんは! 私見ですが、結論としては、 「思ったとおりにやらせる」 「ダメ、と言って断固としてやらせない」 両方実行するのが一番だと思います。 どちらを選ぶかは、「時と場所」です。 「投げたい」欲求も、手を変え品を変え、別の方法で満たしてやる、 たとえば、さっとノートと鉛筆をとりあげてゴムボールを渡すとか、 その場しのぎでも、子供に振り回されつつ、 最悪の事態を回避するためにアイデアというか、機転が必要になってきます。 ここはどうしてもだめ!というときは、泣かせてでも、取り上げる、 やっても安全で大丈夫なときは、好きなだけやらせる、と、 両方ありではないでしょうか。 娘は2歳のころ、保育園に迎えに行って家に帰る6時半過ぎ、 どうしても家に入ってくれないことがありました。 裏の川原の遊歩道の方を指差すので、ちょっとぐらいいいか、と思い、 連れて行ったら、突然気が狂ったように走り出して、 夕闇迫る中、おろおろしながら追いかけていました。 でも、特にこの後予定もないし、ちょっとぐらいいいか、と開き直って、 真っ暗になる7時過ぎまで、好きにさせていました。 近所のスーパーでどうしても欲しいものが我慢できなくて、 ひっくり返って吐きそうになるまで、むせて泣くこともよくありました。 でも、しつけ上買ってやって済ます場ではないので、 半分笑顔で淡々と「ダメダメ」と言って、衆人環視の中、相手したこともあります。 結果、あきらめて、「自分でもう一度手にとって返す」という方法を選んだので、 そのとおりにさせてやると、満足して、抱きついてきました。 そういうことの繰り返しで、ただただ「ダメ!」と言って我慢させる親でもなく、 かといって、やらせ放題の、無責任な親でもなく、 「いつもは優しいけど、怒るとコワイ」親になるのがいいのかな、と思いながら、 現在に至っています。(いま6歳小1です) どちらと決めるのでなく、両方その場に応じて使い分けるのがいいと思います。 あと、人の目は気にすることありません。とにかく、姿勢を貫くことが大切かと。 お互い、試行錯誤しながら、子供を育てていきましょう!
- KusutoFuna
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未婚ですが、今度甥か姪が生まれます。 経験の無い私が言うのもなんですが、子供の育て方って本当に難しいですよね。 子供にはノビノビと育ってもらいたい、穏やかな子になってほしい、 だけれども人として立派に成長してもらうには躾が不可欠、 とはいえあまり厳しくやりすぎては逆効果? しかも相手が2歳時となると、その後を左右しかねない時期だけに 結論を出すのは余りに難しい・・・。 ですが私は厳しめに躾ける方に一票を投じたいと思います。 先に述べたとおり、小さいうちにどう接するかはその後を左右する大きな問題です。 先天的な性格もありましょうが、小さいうちから躾けなかった子供は成長してからも親の言うことを良く聞かないように思います。 というのは私の妹を見ての実感なのですが・・・。 今回のAさん、Bさん、質問者さんの場合は 親ではなく、「他の大人」だからこそ優しくしてもいいのでは? さすがに三人の大人に集中的に叱られては子供の精神がもちません。 そういうときに助け舟を出してくれる「優しいAおばさん」は 2歳の彼と、Bさんにとって説教中のクッションであると思います。 ですから親はこういうときこそ躾をするべきではないでしょうか。 これにより彼が人の情と親の厳しさを感じてくれればいいと思うのですが・・・。 更に、小さいうちから躾けるのは、 子供の教育だけでなく親の訓練であるとも思います。 勿論理想はメリハリですが実際にはうまくいかないことが多く 普段叱らない親は叱るべき状況下でも叱れないことが多いようです。 叱られずに育った子供がどうなるかは・・・、お分かりですよね? あと、叱るときは叱るとして、褒める時は褒めてあげて下さい。 やはり子供は褒めることが必要だと思います。 少し大きくなったら積極的にお手伝いをさせて 特に自発的に手伝いをしたときに褒めてあげるのがいいと思います。 蛇足ですが、おおらかに育つのと、躾けが緩いのとはあまり関係ないように思います。 むしろ小さい頃叱られずに育った子供は、かえって感情の起伏が激しく 激昂すると手がつけられない、というのが私の実感です。 そこでいわゆる情操教育ということになりますが 御勧めは外に出て色々なものに触れることです。 特に動物は効果的ではないでしょうか。 それと、もう少し大きくなって文字が読めるようになったら 文学もお勧めです。 最初は絵本から、徐々に日本昔話なども、読み聞かせから、自発的な読書へとステップアップできれば理想的だと思います。